第7話 成功と義務
威勢よく営業に行くと言ったものの、クーデルさんから「一人じゃダメよ」とキッパリ言われてしまった。
うん、まぁ街の地理もまだ覚えてないし、僕一人じゃ相手にされないよね……。
とにかく、まずはこの界隈では一番人気の食堂だという、【豚足亭】に案内してもらった。
「あら、クーデルちゃんじゃないの! 久しぶりだねぇ」
出迎えてくれたオカミさんを見た瞬間、この店名の理由が分かった。
オカミさんは獣耳も尻尾もないけど、小太りで鼻も大きくて、豚さんにそっくりだ。でも、愛想が良くて笑顔がカワイイ、『肝っ玉母ちゃん』って感じ。
「ご無沙汰しております、おばさま。母の葬儀以来顔もお見せできず、申し訳ありませんでした」
「そんなのいいんだよ。色々大変だったろう? 頑張ってるみたいでおばちゃんも嬉しいよ。おや、そっちのボウヤが噂のミツルちゃんだね? なるほどたしかにカワイイじゃないか。だけど、ちょっと頼りないねぇ。ちゃんと食べてるかい?」
「あ…その……」
オカミさんの勢いに思わずたじろぐ。友達のお母さんと話す時も、いつも緊張しちゃうんだよね。
『営業に必要なのは誠意と根気、そして勢いだ。弱気を見せれば相手の購買意欲を削ぐぞ』
父さんの言葉を思い出し、グッと奥歯を噛みしめる。
「あ、あの! 今日は僕達、オカミさんにおすすめ商品のご提案をしに来ました!」
「あぁ、そうじゃないかと思ったよ。新聞に載ってたガーラの実だろ? 昼間もお客さんに何度も聞かれたよ」
よかった、話が早くて助かる。メディアの力ってすごい。
「それじゃ、試しに十個くらい貰おうかね。お代は……」
「おばさま、今日はオマケも用意しているんです」
クーデルさんの言葉に、オカミさんの小さな目が光る。
期待通り、どの世界でもおばちゃんはオマケに弱い。
「はい! ガーラの実を使ったパスタ料理のレシピを特別にご用意しました。僕の故郷の料理なので、目新しい品になるのではないでしょうか」
僕がこの世界に来た日は、期末テストの最終日だった。その日のテスト科目には家庭科もあったので、教科書も持っていた。
その中にあったペペロンチーノのレシピをクーデルさんと一緒に翻訳して、一枚の羊皮紙にまとめたものだ。
「ふむふむ、なるほど、ニンニクと果実油を使うのかい。こりゃいいね。シンプルでアレンジもしやすそうだ。さっそく試してみるから、ちょいと実を分けてくれるかい?」
その後、オカミさんの作ったペペロンチーノをみんなで試食した。
「う~ん! 辛いけど美味しいね!」
「はい! 味も香りも完璧です!」
「でもおばさま、その、お水を一杯いただけますか?」
「あ、僕も……」
「あっはっは。アンタらには刺激が強すぎたかね。でも我ながらいい出来だ。色々試行錯誤して、新メニューにさせてもらうよ。ガーラの実も三十個貰おうか」
「「ありがとうございます!」」
「だが、このレシピを他の店に教えないと約束してくれるなら、五十個買おうかね」
なるほど、新商品の独占か。オカミさんも商売上手だ。
さぁ、ここからどうやって交渉していこうか。
「もちろん構いませんよおばさま。沢山買ってくださって、ありがとうございます!」
「……あははは」
僕はもう、笑うしかない。
だって、クーデルさんってばすごく嬉しそうに尻尾をぴょこぴょこしてるんだもの。
こうしてガーラの実五十個は、大きな野牛の塊肉と麻袋に詰まった小麦粉で売ることができました。
人気店での新メニューにガーラの実が使われたことで、遂に『辛いものブーム』に火が付いた。いつの間にか美容と健康にも良いという謳い文句まで付随していたのには驚いたけど。
【バニラ】には長蛇の列ができて、大忙しの僕らはうれしい悲鳴を上げた。
そんな中でも、販売の際にはその取引内容をキチンと書き記すようクーデルさんにお願いした。この世界には当然レジもないからね。
毎晩その内容を二人で報告し合って、相場を相談して、今後についてのミーティングも行った。いわゆる『報告・連絡・相談』だ。これはクーデルさんのどんぶり勘定を正すための意味合いも強い。
同時に、この世界の文字や単位などもクーデルさんから教わった。あらかた覚えると、逆に数字に弱いクーデルさんに僕が計算を教えた。この世界では義務教育は一年しかないらしい。
この世界特有の単位は、僕が毎日欠かさず測っていた身長と体重とを比較して、僕の世界の単位に置き換えて覚えた。
重さは一リンド=約五㎏、一リン=約五g。
長さは一ロム=約一m、一リム=約一㎝と大体同じ法則だった。
一番長い単位である一クロムは一〇〇〇ロム、つまり約一㎞。
時間や数の概念は僕の世界と全く同じなので、その点はかなり助かった。これ以上は頭が混乱してしまうもの。
こうして一緒に生活していると、クーデルさんについても色々なことが分かってきた。
たしかに商才はないかもしれないけど、それを補って余りあるほどに手先が器用で、売り物の雑貨を拵える技能とセンスは素晴らしかった。
簡単な物なら材料さえあればなんでも作ってしまい、その細かく鮮やかな細工は評判が高い。数種類の薬草を煎じて作るオリジナルの傷薬などは、ナガレさんからも好評だとか。
料理や裁縫も得意で、いつも着ているエプロンドレスもやはり手作りらしい。
これらの技術や知識は、どれも亡きお母さんから教わったそうだ。
そんなクーデルさんは、小売業における基本業務『接客』もほぼ完璧だった。いつも明るい笑顔でお客さんと接して、一度会った人の顔と名前は決して忘れない。
一人一人に親身になりすぎて沢山オマケしてしまったり、カウンター越しでの長話が玉にキズだけど。
「困ったときはお互い様よ」
これがクーデルさんのお母さんから教わった、一番の信条なのだという。
いうなれば、それが【バニラ】の経営理念なのかもしれない。
実にクーデルさんらしいと思う。街の人達の評判も高いわけだ。
ガーラの実は飛ぶように売れ、販売用の二樽分全てが完売したのは、販売開始からたった十日目の昼のことだった。
空っぽ同然だった地下室の倉庫には、今や様々なアイテムが収まっている。店の棚にも見栄えする程度には商品を並べることができた。
お昼休みに倉庫のアイテムを二人で眺めて成功を噛み締めていると、不意にクーデルさんに抱きつかれた!?
「やったねミツル! 大成功だよ!!」
力いっぱい僕を抱きしめるクーデルさんに、僕はしどろもどろでなんとか応える。
「……う、上手くいって本当に良かったです。この十日間は、正直生きた心地がしませんでした……」
自分で商売をすることが、これほど怖いものだとは思わなかった。売れ残ったガーラの実を二人で見つめながら溜息をついている夢を見て飛び起きた夜もある。
それでも、この達成感はいままで味わったことのないものだった。ゲームをクリアした時とはワケが違う。
この世界の商売方法にも、だいぶ慣れてきたという自信も得られた。
平凡な僕にも、できることがあったんだ。
「本当にありがとう。ミツルは私の……この【バニラ】の救世主よ!」
ようやく抱擁を解いたクーデルさんの目には、ちょっぴり涙が滲んでいた。
「そんな、大げさですよ」
「ううん、そんなことないよ。もう少しでこの街から出ていかなくちゃいけなくなるところだったもの」
「……え?」
その時、上から入り口の扉が開くベルの音が聞こえてきた。
お客さんかと思って全速力で階段を駆け上がると、入り口には紺色の制服を着た汗だくのお兄さんが立っていた。帽子から山羊の角が突き出ている。
「こんにちは坊ちゃん。クーデル・ヴァニラさんはご在宅かな?」
「はいはーい。クーデルは私です」
そのお兄さんは郵便屋さんらしい。「やぁありがたい」とクーデルさんが差し出したお水を一気に飲み干すと、カラになったコップと一緒に一通の手紙を差し出した。
「ご苦労さまでーす」
クーデルさんは郵便屋さんを見送ると、扉を閉めた途端に「はぁ…」とらしくない溜息をついていた。
「誰かからのお手紙ですか?」
ひょっとしたらナガレさんからじゃないかと勘ぐった。ナガレさんはあの『マーレ』以来一度も姿を見せない。クーデルさんは「きっとまたお仕事よ。すぐに元気で帰ってくるわ」とあまり気にしていないようだったけど。
「うーん、お手紙はお手紙だけど、お城からの通達と言えば分かるかしら」
クーデルさんはフェニックスの紋章が描かれた紅い封蝋を破ると、中から一枚の紙切れを取り出して、僕に広げて見せてくれた。
まだ全ての文字は読めないけれど、どうやらそれは、何かのリストのようだった。
「これはね、納税対象アイテムのリストなの」
読んで下さった方、誠にありがとうございます。