第4話 マーレ
この世界には、『お金』が存在しない。
取引の際には、同等の価値とみなしたアイテムを物々交換するか、労働や芸、情報などのサービスを対価とする。
それを可能とするだけの資源も実に豊富で、この国は商業以外にも農業や工業などもかなり盛んだそうだ。
そんなコルトニア王国はほぼ真円の形をしていて、大きく五つのエリアに分かれている。
街の外の鉱山地帯に最も近く、職人達の集う西側のエリアを【職人街】。
牧場や農場が集まり、海や川に最も近い農家と漁師の集う東側のエリアを【農民街】。
そして、クーデルさんの店舗兼自宅であり、僕の職場兼仮宿となった道具屋【バニラ】があるエリアを【商人街】。国の北と南に二分されているらしい。
【バニラ】があるのは北の商人街で、数ある商店街の一つ、長靴通りにある。
二つの商人街には、商人以外にもナガレさんのような国外の人が住む宿もあり、国に仕える兵士やメイド、公務員さん達などの居住区もあるらしい。
これら四つのエリアを総じて、【一般街】と呼ぶのだそうだ。
そして、この国の中心にある巨大なお城の周りを囲んでいる高台には、【豪商街】と呼ばれる富裕層エリアがある。
このエリアに豪邸を構える人達は、全員が豪商人と呼ばれるほどに成功を収めた商人達で、大きな商会を束ねる人や、幾つもの工場を持つ人などがいるらしい。
なによりの特権は、国外との貿易を許されていることだそうだ。
いわゆる貴族って感じなのかな?
この仕組みは、元大商人の王様ならではの国政らしい。
僕が求めるレアアイテムを得るためには、この豪商街の人達ともいずれ商売をしなければならない。
もしくは、僕らが豪商街に住めるくらいに成功しなければ、とてもあれらのレアアイテムには手が届かない。
自信はないけど、まずは目の前の商機を掴まなくっちゃ。
「――い! おーい! 朝だよー! 早く起きてー!」
誰かが僕を起こしてる。母さんの声じゃない。
でも、まだ眠いよ……。
「ぐえっ!」
急に僕の身体に何かが乗っかってきた。
たまらず毛布から顔を出すと、そこには藍色のエプロンドレスを纏った猫耳のお姉さんが、僕に馬乗りになっていた。
「あ、やっと起きた。ミツルはお寝坊さんだね」
「……おはようございます……クーデルさん……」
そうだった。僕は三日……いや四日前、異世界に来てしまったんだった。
ここはクーデルさんの経営する道具屋【バニラ】の二階。居候の僕は二ヶ月前に病気で亡くなったクーデルさんのお母さんのお部屋を借りている。
「もう朝ごはんできてるよ。今日は大事な『マーレ』の日だから、張り切っちゃった!」
言われてみれば、美味しそうな匂いが部屋の外から漂ってくる。
でも、クーデルさんからもすごくいい匂いがした。
「あ、あの、クーデルさん、早く…その、降りてもらえませんか?」
「え!? やっぱり私って重いかな!?」
「そうじゃなくて……」
スカートがめくれ上がって…その…太ももが……。
「ホント? ホントにホント?」
今度はズイと顔を近付けてくるクーデルさん。前かがみになると、今度は胸元が……。
「だ、大丈夫です、重くないですから、だから早く降りて下さい……」
「ホントね? じゃあミツルも、早くリビングに降りて来てね!」
ひょいと軽い身のこなしでベッドから降りて、着地に失敗してずっこけて、照れ笑いを浮かべつつも赤くなった鼻をさすりながら、クーデルさんは部屋を後にした。
早く元の世界に帰らないと、僕の身が持ちそうにないよ……。
美味しい朝ごはんを食べて、僕達は北門の広場――ウンディーネ広場へとやってきた。広場中央の噴水には、美しい女性の姿をしたウンディーネの銅像がある。
「水と愛の精霊なんだよ。水は豊かさの象徴なの」
と、クーデルさんが教えてくれた。
学校のグラウンドよりもうんと広いウンディーネ広場は、いまや白い石畳の地面もまともに見えないくらい沢山のお店と人で大賑わいだ。
『さぁさぁ寄ってらっしゃい! ベルフィーニ地方にしか生息しないベニオオカミの毛皮だよー! 今年の冬は真っ赤な毛皮のコートを仕立てたい奥様必見だー!』
『コハク貝焼きたてだよ! ホラホラそこのお兄さん、商談前に腹ごしらえはどう?』
『夏風邪に効く薬草あるわよ~! 今なら特別な調合法も教えちゃうわよ~!』
『アグーの実五つはボリすぎだろ! 三つでどうだ!?』
広場の入り口からでも、商人とお客さん達の声がそこら中から聴こえてくる。端っこの方では歌やダンスや大道芸などを披露している集団もいる。新聞のような紙の束を抱えている人達は、国外の情報を商品とする情報屋らしい。
広場全体が活気に満ち溢れているのが、ひしひしと伝わってきた。
僕のテンションも急上昇だ。
「スゴいスゴい! これが『マーレ』ですか!! うわっ! あのお店ヘビがいっぱいぶら下がってる! わわっ! アレはなんて食べ物ですか!? 蛍光ピンクなのにすごくいい匂い!」
「ふふ、ミツルを見ていると、なんだか私も初めてお母さんに連れて来てもらった日を思い出しちゃった。あの時は、私が迷子になっちゃって大変だったっけ」
「自分も初めて訪れた時は度肝を抜かれたものだ。興奮する気持ちも分かる」
しまった、はしゃぎすぎた。お姉さん二人が完全に保護者モードだ。
「ん、んんっ。さ、早く行きましょう。良い品物が売り切れてしまいます」
クーデルさんお手製の傷薬や木彫りの雑貨など、この二日間必死に拵えた秘蔵のアイテムをいっぱいに詰め込んだ通学カバンを持ち直して、僕はクールに出陣を促した。
この『マーレ』は国外の商品を仕入れる貴重な機会だ。仕入れは商売の土台になる。頑張らないと!
「ミツル、もし迷子になったらあの噴水に集合よ?」
「不貞な輩が紛れ込んでいることもある。慎重にな」
ダメだ、もうしばらくお子様扱いを払拭できそうにない……。
「クーデル、また商品を買い食いに使いすぎないようにな」
「だ、だいじょうぶですよぉ!」
そっか、物々交換だから、取引の弾数が限られているんだ。お釣りとかはどうするんだろう?
やっぱりお金がないのは不便だよなぁ。これだけの文明があって、どうしてお金だけないんだろう?
「さぁさぁ、行こうミツル! お姉さんが案内してあげる!」
クーデルさんは躊躇いもなく僕の手をギュッと握って、広場の中へと歩き出した。
ドキドキしている場合じゃないぞ。まずはここで良い商品を沢山仕入れて、一稼ぎしてやるんだ!
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