第2話 魔女に会おう
三日前。僕が異世界に来てしまった日。
森の中で出会った二人のお姉さん。クーデルさんとナガレさんに元の世界に帰る方法を訊くと、こんな答えが返ってきた。
「魔女さんにお願いするしかないかな……」
「魔女に会うしかあるまい」
それを聞いた僕は、驚くと同時に大喜びした。
「魔女だって!? 魔法とか使うんですか!? うわ、すっごく会いたい! ぜひ連れてって下さい!」
テンション急上昇の僕に唖然としていた二人だったけど、その後なぜかクスクスと笑われながらも案内を引き受けてくれた。
「で、その魔女さんは何処に居るんです? ここから遠いですか?」
「あのねミツル。この森は、『魔女の森』って呼ばれているの」
「つまり、この奥にあの強欲魔女がいるというわけだ」
ナガレさんの言葉に引っ掛かりながらも、僕ら三人は魔女さんに会うべく、森の奥へと向かった。
魔女さんの名は、『真紅の魔女』、スカーレットというそうだ。
どんな願いでも叶えられるほどの、強い魔力の持ち主だという。
問題は、彼女の求める対価があまりに法外だということだった。
そのあまりの強欲ぶりに、『強欲の赤』という蔑称まであるとか。
「私はお母さんの病気を治してもらおうとしたんだけど、間に合わなかったわ……」
クーデルさんのお母さんは、二ヶ月前に病死してしまったそうだ。お父さんも既にいなくて、今は独りぼっちで家業の道具屋を切り盛りしている新米店長さんらしい。
「自分も宿願を果たすべくあの魔女に願ったが、あまりの法外な対価に呆れたものだ。結局、自分で叶えた方が早いと判断した」
ナガレさんの宿願がなにか気になったけど、なんとなく訊けなかった。
それでも二人は、その魔女さんを恨んではいないと言う。魔女さんは中立なんだって。
でも、そう思わない人も多いんじゃないかな?
クーデルさんの採取作業を手伝いながら森を進んでいくと、ほどなくして、一軒の家が見えた。
その家は、まさに『魔女の家』と呼ぶに相応しい佇まいだった。こぢんまりとしたレンガ造りの家なのに、あちこち湾曲している。細く尖った屋根の上にある煙突は直角に曲がっていて、そこからは毒々しい赤紫色の煙が出ている。外壁も屋根も全部真っ赤で、入り口前の庭には、なぜかビーチパラソルと安楽椅子。
「フン、相変わらず悪趣味な家だな」
「ね、ねぇミツル、怖かったらお姉さんが手を繋いであげるよ…?」
クーデルさんの上ずった声に、僕は首を横に振った。
怖いだって? とんでもない! あれこそまさにファンタジーの塊だ!
僕は全速力で魔女の家へと駆け出した。
「おじゃましまーす!」
真っ赤な木の扉をノックすると、その扉から大きな口が飛び出した。真っ赤な口紅を付けた女性らしいその口は「ようこそ~♪」と節を付けて歌いながら、自らの身体である扉を内側へと開いてくれた。シュールな自動ドアだなぁ。
親切な扉に「どうもありがとう」とお礼を言うと、中からケラケラと甲高い笑い声が聞こえてきた。若い女の人の声だ。
「扉に礼を言うお客は初めてだわぁ。坊や、中々面白いじゃないのぉ」
「わ、わわわっ!」
僕は慌てて両手で目を覆った。
スカーレットさんは、魔女らしい赤黒いローブを羽織ってはいるものの、その下はなんと下着姿だった。前は完全にはだけていて、上着の意味をちっとも成していない。
でも、下着まで真っ赤なレースとは徹底してるなぁ……。
「スカーレットさん!? なんて恰好をしてるんです!!」
「幼気な少年をからかうな、この破廉恥魔女が」
すかさずナガレさんとクーデルさんが僕の前に立ち塞がった。おかげで両手を顔から離すことができたけど、なんだろう、この複雑な気持ち……。
家の中は明らかに外観よりも広い。この部屋だけでも教室くらいはあるし、扉もあちこちにある。壁紙も絨毯もほとんど真っ赤だ。目がチカチカする。
「あらあら、二人共久しぶりだというのに、失礼しちゃうわぁ。まぁでもぉ、お客様を部屋着姿で迎えるアタシの方も、それは同じかしらねぇ」
それ、部屋着なんですね……。
スカーレットさんは、見た目だけならナガレさんと同じ二十歳くらいのお姉さんだ。しかしその纏う雰囲気は、大人っぽいというか、扇情的というか……。
そういえば、スカーレットさんには獣耳や尻尾はないみたいだ。それが魔女だからなのか、元々ない種族がいるのかは、今はまだ分からないけど。
「それじゃ、早速商談を始めようかしらぁ?」
服装を正したスカーレットさんが指をパチンと鳴らすと、部屋の中央に丸いウッドテーブルとウッドチェアが現れ、「ど~ぞぉ~♪」と僕らに着席を勧めた。
僕らが腰を下ろすと、今度は陶器のポットとティーカップが宙を浮かびながらこちらにやってきて、空中でお茶を注いでいる。まるでディ◯二ーの世界だ。
「さぁて、まずははじめましてねぇ。異世界からやって来た、迷子のミツルちゃん♪」
「ぼ、僕のこと、知ってるんですか?」
「当然よぉ。坊やが最初に来たのは、この森でしょう? この森はアタシのテリトリーですものぉ。あぁでも、呼んだのはアタシじゃないわよぉ?」
「じゃあ、僕はどうしてこの世界に来てしまったんでしょう? 誰かに呼ばれたってことですか?」
「あぁん、ダメダメ、それを知ることは、貴方の願いではないでしょぉ? その内なる願いは、ちゃあんと口にしてもらわないとねぇ。自分の口で言えるかが大切なのよぉ。魔術は契約と誓約が大切なんだからぁ」
そう言われた僕は、できるだけハッキリとした声で、願いを口にした。
「スカーレットさん! どうか僕を、元の世界に帰して下さい!」
「は~い、よく言えました~♪ 安心なさい、小さな旅人さん。アタシなら、異世界を渡る魔法を使えるわぁ。むしろぉ、この辺りではアタシくらいしかできない魔法よぉ」
「本当ですか!? じゃあ、どうしたらその願いを叶えてもらえるんですか?」
「話が早くて助かるわぁ。二人が上手にアタシのことを紹介してくれたおかげねぇ」
そう言うと、スカーレットさんはまた指をパチンと鳴らした。
すると、僕の目の前にポンと小さな紙切れが宙に浮く形で現れた。
「注文書よぉ♪ コレをぜぇ~んぶ集めてアタシの前に持って来てくれたら、その願いをカンペキに叶えてあげるわよぉ」
僕は恐る恐るその内容を確認する。両サイドから二人も覗きこんできた。
まず驚いたのは、文字が違うことだった。言葉が通じるものだから、これは完全に予想外だ。
でも、これも魔法なのか、僕にも読むことができた。
1・神の聖杯
2・ユグドラシルの種
3・レインボーオーブ
4・火龍の尻尾
5・フェニックスの聖灰
「……なんだこれ?」
思わずそんなことを口走る。まるで、ゲームのクエスト依頼だ。
でも、二人はそれらの価値を把握しているようだった。
「……こんなの……絶対ムリだよ……」
「スカーレット! このような無理難題を、どうして罪もない少年に求められる!!」
「あ~ら、アタシの求めるものはいつだってその願いとキッチリ等価よぉ? 過不足のある取引は、災いしか招かないものぉ」
二人のリアクションが、これらのアイテムが相当に入手困難なレアアイテムばかりであることを物語っている。
「あの、ここに書かれているアイテムって、そんなに手に入りにくいものなんですか?」
「む、そうか。失念していた。道中にレアアイテムの等級の話はしたな? これらのアイテムは、どれも特級と一級ばかりだ」
「コルトニアの王様も、元は有名な旅の商人だったんだけど、ある特級レアアイテムを手に入れて、この国を興したのよ」
二人の説明と暗い表情に、ようやく僕にも事態の深刻さが分かってきた。頭の中では『国家予算』という単語が浮かぶ。
僕なんかでは、一つだって手に入りっこないじゃないか。それを五つもだなんて!
「その……少しオマケしてもらえませんか?」
ダメ元で頼んではみたものの、スカーレットさんには盛大に笑い飛ばされてしまった。
「あっはっはっはっは! 魔女に向かってオマケしてくれだなんて、長いこと生きてるけど初めて聞いたわぁ! イマドキの異世界の子って、本当に面白いわねぇ!!」
途端に耳が熱くなってしまった。別に笑わせようとしたわけじゃないのに……。
「ちょっとスカーレットさん! ミツルは真剣なんですよ!? それをそんなに笑ったりしちゃ可哀想じゃないですか!」
クーデルさんは、その手の擁護が逆効果だと知らないらしい。自分が庇護の対象だと知らしめられて、ますます気分が沈んでしまう。
『恥を知り、経験をどれだけ活かせるかが、その者の価値を決める』
父さんの言葉を思い出し、僕は決心した。
こんなことで弱気になっていては、無事に元の世界に帰ったって意味がない。
僕は、この世界で価値ある男になるんだ!
「いいんですクーデルさん。失礼なことを言っちゃったのは僕の方なんだ。異世界を渡るのは、それだけ大変なお願いだってことでしょう?」
「で、でもミツルは……」
「よせクーデル。これ以上ミツルの男としてのプライドを傷付けてやるな」
ナガレさんにぴしゃりと言われ、クーデルさんはぐっと押し黙った。二人共、ありがとうございます。
「あらあらぁ、ミツルちゃんも一端の男じゃないのぉ。ますます気に入っちゃったわぁ。思わずサービスしたくなっちゃうわねぇ♪」
聞き慣れたその単語は、反射的に父さんの教えを思い出させた。
『我々はサービスを提供する側だ。相手に過度なものを求めてはならない』
父さん、ちょっと黙っててくれる?
「聞かせてちょうだい。貴方をそうまで駆り立たせる、その願いの根源を」
スカーレットさんの口調と雰囲気が、明らかに変わった。
真っ赤な部屋に緊張が走る。
僕は奥歯を噛み締めて、まっすぐにスカーレットさんを見据えた。
「……僕には、僕の世界で叶えたい願いがあるんです」
声が震えてる。やっぱり僕って情けないなぁ。
それでも、この想いだけは揺れちゃいけないんだ!
「想いを伝えたい人が、あっちの世界にいるんです!!」
……言った。言ってしまった。
しんと静まり返る真っ赤な部屋で、僕は堪らず顔を伏せた。顔が熱い。きっと真っ赤っ赤だ。カメレオンみたいにこの部屋と同化してしまうかもしれない。
そう、僕は幼馴染の女の子、桃ちゃんに恋をしている。
橋から落ちたのも、学校帰りに告白しようと待ちぶせしてて、僕に気を取られた桃ちゃんがトラックに轢かれそうになったところを助けた拍子だった。
「対価を減らすことはできないわ。それがルールですもの」
スカーレットさんの声が、僕の火照った耳に冷たく響く。
「……そうですか。無理を言ってスミマセンでした」
なんだ、やっぱり父さんの言った通りじゃないか。
「それでも、サービスだけなら、してあげてもいいわよぉ♪」
お読み下さった方、誠にありがとうございます。