第12話 出来レース
あっという間に勝負当日の朝を迎えてしまった。
南の商人街へと向かう定期便の乗り合い馬車に始めて乗った感動も、緊張と不安で消し飛んだ。昨晩はあまり眠れなかったのに、今もちっとも眠くならない。
「ミツル、何を見ているの?」
「え? あ、その、ちょっと作戦の確認を」
「ふ~ん?」
クーデルさんにジトッと睨まれながら、慌てて生徒手帳をベストのポケットにしまう。
……本当は、そこに挟んである桃ちゃんの写真を見ていました。
早く会いたいよ、桃ちゃん。
絶対に勝ってみせるからね!
二時間ほどで無事到着すると、駅にはカレンさんとあの燕尾服の美少年が待っていた。
今日は仕事モードなのか、カレンさんは装飾品も控えめで、シンプルな黒のワンピース姿だ。白い胸元が際立っているのは相変わらずだけど。
「おはようわたしのミツルちゃん。また会えて嬉しいわ」
「うちのミツルに近寄らないで!」
クーデルさんは声を荒げて、僕とカレンさんの間に立ちはだかった。耳と尻尾をピンと逆立たせている。
「あら怖い。そういえば、ナガレさんの姿が見えないわね?」
「……ナガレさんは、あくまでウチのお客様ですから。今日も応援に来てくれると言っていました。だから……」
そこで、クーデルさんは言葉を詰まらせた。
ナガレさんは、「商人でも店の者でもない自分は、勝負の舞台には立たない方がよかろう」と言っていた。
たしかにそれはそうなのかもしれない。でも、クーデルさんはナガレさんを家族のように思っているんじゃないのかな?
「安心なさい、クーデルちゃんだったかしら? 貴女もわたしの屋敷で働かせてあげるわ。ちょうど新しいメイドが欲しかったのよ」
それは止めた方が……とは、ちょっと言い出せない雰囲気だ。
「お断りします! それに私達は、まだ負けてません!」
「えぇそうね。ギャンブルも商売も、何が起こるか分からない。だから辞められないの」
あのグリフォン馬車で案内されると、そこにはウンディーネ広場と同じ作りの広場があった。ただし噴水はなく、代わりにもっと大きな銅像が建っている。
炎を纏った逞しい身体の男性像で、牛のような角が生えている。イフリートだ。力と文明の象徴らしい。
『マーレ』ほどの規模ではないけど、すでにいくつもの出店用テントが張られている。沢山の商人さん達が準備に忙しそうだ。
僕らが案内されたテントも、すでに準備が整えられていた。
「必要なものは全て揃えてあるわ。確認して頂戴」
正面に構えた同じ作りのテントから、カレンさんが促す。あちらが敵陣だ。
僕らはすぐにテントの奥に並べられた五つの樽の中身を確認した。中には純白のラゴの実がギッシリ詰まっている。品質も問題なさそうだ。
「わたしの束ねる【セブンス商会】が仕入れた初物よ。味も品質も保証するわ」
まだ二十代であろうその若さで商会まで束ねているなんて、やっぱりスゴい人なのだ。
そんな人が、なんの策も用意していないはずがない。
「さぁ、そろそろ朝市が始まるわ」
カレンさんの言う通り、広場にゴーンゴーンと鐘の音が鳴り響く。開店の合図だ。
徐々に人が集まってきたかと思えば、すぐに広場は大勢の人で賑わい始めた。
すぐさま、僕らは作戦を開始した。
持ってきた道具を使って、僕らはラゴの実をその場で絞ってジュースにした。お求めやすい形にするためだ。価格は一杯でラゴの実二個分とほぼ原価。
ミキサーがあればもっと無駄なく作れるし、ガスコンロやホットプレートがあればもっと色々な調理ができるけど、無い物ねだりだよなぁ。
ジュースは店先で絞って、芳醇な香りを客寄せに。貴重な氷はナガレさんの愛刀【銀牙】の魔力で作ってもらった特別製だ。
真夏の日差しの下で飲む冷たい飲み物は格別だ。この世界では野外で物を冷やすことがかなり難しいから、それだけで十分な強みになる。
もちろん、ジュースが美味しければラゴの実も売れてくれるかも、という心算だ。
あとは、全力で呼びかけるのみ!
「いらっしゃいいらっしゃい! 美味しいラゴの実と冷たいジュースはいかがですかーっ!!」
「さぁさぁ! 採れたばかりの初物ですよーっ!」
しかし、僕はすぐに気付かされた。
南の商人街は、僕らにとってはアウェーでしかないのだ。道行く人は僕らの顔を見るなりそっぽを向いたり、クスクスと笑い合ったりしている。
この場所を指定してきた時から、すでにカレンさんの策は始まっていたんだ。
クーデルさんは、北と南の商人街の間に確執があることを知っていたに違いない。そうと知りつつ黙っていたのは、きっとバカな僕を気遣ってのことだ。
どうして僕はこうもバカなんだ! せめてもっと事前にやれることがあったはずだろ!
クーデルさんは、この勝負のことを「お客様に同情を乞うような真似は良くない」と言って口止めしていた。だから来店してくれたお客さんには、朝市に出店することだけを普通に宣伝し続けた。
でも、馬車で二時間以上もかかる所にまでわざわざ珍しくもない木の実を買いに来てくれる人なんて、いるはずがない。
その誠実さは、やっぱり甘かったのか?
「ねぇミツル、あっちのお店、なんか変だよ」
クーデルさんがカレンさんのお店の方を指し示す。
そこには、長蛇の列があった。
絶対に不自然だ。まだ朝市は始まったばかりなのに、なんでただの木の実しか売っていないお店に、あんなに人が並ぶんだよ!?
「おぉカレン様、今日もお美しい……」
「下手なお世辞はいいから、さっさと買って行きなさい。買い占めようとしないの、一人五つまでと言ったはずよ」
よくよく見れば、その行列は全員身なりの良い商人風の男達ばかりだ。
「えぇえぇ、五つで結構ですとも。では、この【純銀】のティアラをば。……あとはその、来月のラジア男爵との商談は、是非わたくしめにお任せを……」
やられた……!
「ちょっとカレンさん! その人達は、あなたの商会の人達じゃない!!」
「えぇそうよ。でも今は、立派なお客様だわ。会長のわたしに気に入られようと、少々羽振りのいい買い方をするけどね」
列をなす商人達が、野太い笑い声を響かせる。
「ふふふ、どれ、わたしも一つ頂こうかしら」
言うが早いか、カレンさんは自分の樽からラゴの実を一つ手に取り、がぶりとその実を食べてしまった。今年もいい出来ね、なんて言っている。
「先日のハンデのお返しよ。これで貴方達が時間内に売り切れば、それで勝ちとなるわ」
ありえないほどのハンデも、僕らはちっとも喜べない。
この勝負は、最初から出来レースだったんだ……。
「ほらミツル! しゃんとして! お客様に失礼よ!」
真っ暗になりかけた僕の視界が、クーデルさんの厳しい声で元に戻る。
僕らのお店の前には、お客さんなんて一人もいない。
それでもクーデルさんは、店の主として背筋を伸ばして立っているのだ。
「いらっしゃいいらっしゃい! 美味しいラゴの実はいかがですかーっ!!」
クーデルさんは呼びかけを止めない。
そうだよ、止められるわけがないじゃないか。
「いらっしゃいませーっ! 採れたてのラゴの実ですよーっ!!」
僕も負けじと声を張る。大声を出すと、目に涙が滲んできた。
この勝負には、僕と僕の恩人の将来がかかっているんだ。
諦めてたまるもんかっ!!
お読み下さった方、誠にありがとうございます。