表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

Episode 4 〈魔天雷〉

「わあ、ユティス様の……すごく……大きいです……」ごくり。

「馬鹿が。見るのは僕の顔じゃない」

 帝国西部の山間。ユティスとアカリは鬱蒼と茂った林に潜んでいた。

 アカリが渋々と望遠鏡の先端を移し、山の麓に広がった窪地へ向ける。不自然に深い霧が立ち込めたそこに、景観にそぐわない建造物があった。

 外観はみすぼらしいながらも、どこか神秘的な趣のある神殿だ。

「あそこに今回の標的さんが集まるんですね」

「そうだ。情報が正しければ、だがな」

「……ユティス様、訊いてもいいですか?」

 望遠鏡のレンズを覗いたまま、アカリは疑問を口にした。

「ユティス様はいつも、どうやって色んな情報を得ているんです?」

 アカリが日頃より、ユティスに対して抱いていた疑問。

 帝国軍の内部事情や機密、果てには、軍も掴めていないような裏の世界の情報まで。ユティスの情報量はとにかく恐ろしい。アカリにも協力させ、情報収集や偵察を行うことはあるが、あくまで元となる情報の裏付けがほとんどだ。

 誰かが情報を提供してくれているのは間違いない。だが、それらしき人物とユティスがコンタクトを取る場面は、これまでに一度も見ていなかった。

 アカリは基本、常に彼とともにいるにも関わらず。

 そんなアカリの疑問に、ユティスはシンプルな答えを返した。

「悪いが、お前には話せない」

「で、ですよね。差し出がましいことを言いました」

 咎められたわけではないのに、謝ってしまう。やっぱり訊かなければよかった、と今さら後悔しながら、気を取り直し、神殿の様子に注意を払った。

 しかし、考えないようにすればするほど、余計な思考が止まらなくなる。今回の件に限らず、アカリはユティスのことをほとんど何も知らない。生まれも、過去も。彼がなぜ、粛清などという行為に手を染めているのかさえも。

 ユティスはアカリに名を与えてくれた。条件はあるが、居場所も与えてくれた。アカリにとって、彼は自分の生きる世界、自分の存在そのものと同義。

 なのに、自分は彼のことを何ひとつ、ちゃんとわかっていない。

 それがたまらなく悔しくて――たまらなく寂しかった。

「来たか」

 ユティスがつぶやく。アカリは我に返り、霧の奥に目を凝らした。

 神殿付近の鳥が一斉に飛び立ち、奇妙な集団が歩いてくる。

 全員が白い礼服を身に纏い、制帽を目深に被っている。制帽のつばには軍の象徴〈不死鳥フェニックス〉の刺繍が施されてあったが、その両翼は削られていた。

 あれは暗示だ。不死であろうと、翼なき鳥は堕ちるのみ――帝国への挑発に等しい。市井で見せつけようものなら、五分で警官隊が駆けつける。

「あの人たちが反帝国軍〈終焉の使徒(ラグナロク)〉……」

「情報は正しかったようだな」

 何人かを見張りに残し、集団は神殿の中へ入っていった。

「概ね予定通りだ。行くぞ、アカリ」

「はい!」

 先行するユティスに付き従い、アカリは神殿に向け、林を移動する。見張りに気付かれないよう、入念に魔力を隠蔽し、気配も殺しておく。

「この霧、感知系の魔術じゃないな。目くらましの遮視結界か」

 神殿に近付き、霧が濃くなると、ユティスは警告を発した。

「わかっていると思うが、お前の役割は見張りの無力化と、標的の退路の封鎖だけ。標的の粛清はいつも通り、僕一人がやる。手出しは無用だぞ」

「心得ています。けど、本当にいいんですか?」

「何がだ?」

「反帝国軍は現帝国を打倒して、革命を成そうとしているんですよね。だったら、ユティス様と同じというか、少なくとも敵ではないんじゃ」

 ユティスが粛清を行う理由は知らないが、目的は腐敗した帝国の是正だろう。ならば、反帝国軍とは共通の理念を掲げた者同士ではなかろうか。

 だが、ユティスはぴくりとも表情を変えずに、

「奴らが成そうとしていることが、真の意味での革命ならな」

「…………?」

「話の続きは後だ」

 林と霧の惑わしを抜け、二人は神殿の正面にやって来た。

 周辺に散開したのか、入り口の見張りは数人だった。こちらに気付き、他の見張りや神殿内の仲間に異変を伝えようとしたが、少し判断が遅い。

 ユティスの拳とアカリの幻惑が、彼らに容赦なく襲いかかった。

「近くにいない見張りは放っておく」

 気絶した見張りを捨て置き、ユティスが神殿に入る。

 アカリも中に入ると、きらびやかに装飾された回廊が奥へ続いていた。外観の質素さと打って変わり、王宮のようだ。美しさに圧倒され、見惚れる。

「ぼけっとするな。見学している暇はないぞ」

「あ、すみません。ユティス様の方が魅力的です!」

 ユティスと回廊を進む。ほどなく、重厚な扉の前に着いた。

(あれ、何だろう……この感覚)

 大きな魔力を感じる。情報によれば、反帝国軍の幹部が一堂に会しているのだから、別段おかしくはないが――アカリは否応のない不安に駆られた。

 しかし、アカリが進言する前に、ユティスは扉を開いている。

「うん? 新手のお出ましか?」

 見知らぬ男の声と、充満した血の臭気が二人を迎えた。

 臭いの発生源は広間の中央に置かれた円卓。白い礼服を真っ赤に染め、無惨な最期を遂げているのは、粛清予定だった〈終焉の使徒〉幹部と側近たち。

 地獄絵図と呼ぶに相応しい惨状が、聖なる神殿に広がっていた。

 アカリは次に、行儀悪く円卓の上に座る男を見た。

 歳はユティスと近そうだ。黒い頭髪の一部は黄や白に染められ、無駄に派手やか。目つきも悪く、無法者の若者というイメージが合う。だが、男の着る灰色の軍服には、きちんと両翼のある〈不死鳥〉の意匠が。――明らかに軍人だ。

(私たちだけじゃなく、軍にも今日の情報が!?)

 ここで開かれようとしていたのは、〈終焉の使徒〉主要メンバーの集会。帝国にとっても、ユティスにとっても、彼らを一網打尽にする絶好の機会だった。

 ユティスとアカリを注視し、男は後頭部を掻いた。

「美形と女子……こんな奴ら、リストに載ってたか、ノノ?」

「ううん。いなかったよ」

 誰かが応対する。独りだと思った男の肩に、妖精が腰掛けていた。

 見た目は人間の少女だが、大きさは大人の手のひらほどしかない。白い布切れを服の代わりに巻いている。背に生えた六枚の翼は、神話に描かれる天使を髣髴とさせた。以前に出逢ったエリーサと同じ使い魔(ファミリア)の一種、妖精型だろう。

 妖精ノノは男の肩を飛び立ち、二人に警戒色を発した。

「君たち、誰かな? 反帝国軍そいつらの仲間じゃなさそうだけど、迷子ってわけでもないよね。外は遮視結界で覆われてるし、一般市民が来れるはずないもん」

「ああ、一般市民じゃない。僕たちはしがない旅人だ」

 アカリを背後に押しやり、ユティスが広間に一歩踏み込む。

「内乱で故郷を失い、妹と二人で帝国を巡っている。霧のせいで森を抜けられず、近辺の魔力残滓をたどってきたら、偶然ここに着いてしまった」

「おかしな話ね。建物の外に魔術師がいなかった?」

「突然襲われた。やむを得ず、迎撃させてもらったが」

「迎撃? 倒せたの? しがない旅人なのに」

「腕には覚えがある。でなければ、今の時世に帝国を旅などできない」

「ふーん。君の名前は?」

「リシャール・アンテムス。妹がエミル・アンテムスだ」

 ユティスは息を吐くかのように、すらすらと嘘を並べた。

 状況的に考えて、反帝国軍の中核を壊滅させたのは彼ら。ともすれば、相当の実力者だ。下手に疑心を持たれれば、厄介事は避けられない。

 ユティスたちは〈終焉の使徒〉と何ら変わらない、帝国への叛逆者なのだ。どんなことをしてでも、この場はやり過ごさなければならなかった。

「こう言ってるよ、ゼイク」

「うーん、どうすっかな」

 ゼイクと呼ばれた男が腕組みし、思案顔で考え込む。

「諜報部に渡された標的リストに載ってないんだし、帰していいんじゃねえか? 一応は極秘任務だから、この場で見ちまったことを口止めしてよ」

「えー、絶対怪しいよ、こいつらー。ゼイク並みに胡散臭い」

「お前は飼い主をどんな目で見てやがる」

「せめてさ、詰所に連行しとこ。軽く事情聴取やって」

(ダメそう……。いざというときは、私がユティス様を護らなきゃ!)

 成り行きを見守りながら、アカリは覚悟を決めた。

 己の命を賭すことになろうと、ユティスだけは絶対に――

 そのとき、円卓に伏した死体のひとつが飛び起きた。

 いや、死体ではない。生きた人間だ。死んだ振りだったのだ。

 飛び起きた男は礼服を脱ぎ捨て、ゼイクに躍りかかった。

「貴様、よくも我が同志たちを!」

「生き残りがいやがったか」

 男の振るった短剣をかわし、ゼイクが悪戯っぽく笑う。

「でもよ、『同志たち』なんて正義漢ぶった言葉、似合わねえぜ」

「黙れ! 諸国と無意味な戦争を繰り返し、民に負担を強いるような、こんな腐敗した国に仕える軍の番犬共と比べれば、我々は正義の代行者だ!」

 怒声を上げ、自らの片腕に短剣を突き刺す。男は指で血を拭い、その血で床に魔法陣を描いた。特殊な系統の陣で、魔術の効力を飛躍的に増大させる。

血陣ブルート――エントツュンデン・ハイリヒ!」

 魔術と魔法陣が起動。ゼイクを中心にした大爆発が起きた。

 凄まじい爆音が鼓膜を揺さぶり、閃光が網膜を焼く。

 空間座標を指定し、爆裂させる魔術なのだろうが、範囲が広い。指定空間の中心にいたゼイクは逃げ切れはしない。男はそう思ったようだ。

「……ざまあみろ」

「そうそう、そっちの言い草の方が似合ってる」

 ――男は背後から、無傷のゼイクに蹴り飛ばされた。

 吹っ飛んだ男は円卓に衝突し、仲間の亡骸の中に倒れ伏す。

 アカリも、吹っ飛ばされた男も、信じられない気持ちだった。

 ゼイクがいつの間に後ろに回り込んだのか、わからない。

「残念だったね。相手がゼイクじゃなきゃ、仲間の仇を討てたのに」

 ノノがぱたぱたと羽ばたいて、瀕死の男の頭に乗った。

「運が悪かったんだよ、おじさん」

「ありえん……我々が志半ばで……たった一人に……」

「仕方ねえよ。俺の〈光速シュトラール〉は最強の魔術だからな」

 ゼイクの身体が魔力を帯び、消える。全員がゼイクを見失った。

「こっちだ、こっち」

 最初からずっとそこにいたかのように、ゼイクは円卓の上に座っていた。既視感がある。忌ま忌ましいあの男が、姉に掛けさせていた幻影の魔術と似ている。だが、完全な〈天火明あめのほあかり〉を備えたアカリは、大抵の騙欺に耐性を持つ。

 つまり、今のは幻影によるイリュージョンではない。

(本当に光の速さで移動した……?)

「光速移動の……魔術。よもや……貴様は……!」

「俺を知ってんのか。ま、それはさておき」

 眼差しを冷たくしたゼイクは円卓を降り、男の片腕を踏みつけた。短剣を刺した方の腕だ。傷口にかかとをねじ込まれ、男が苦悶の表情を浮かべる。

「馬鹿だよな、お前ら。適当に群れて、適当に愚痴こぼし合って、くだらねえ革命ごっこしてるだけなら、俺や軍が本気で動くこともなかったのに」

「何を言って――ぐ、がああっ!」

「忘れたとは言わせねえ。ふた月前、軍に自分たちの情報を密告したって理由で、お前らは拠点にしてた村ひとつをどうした? ほら、言えよ」

「……あの村の者たちは多くを知り過ぎていた。それに、あれは然るべき報いだ。我々の活動は延いては民のため……なのに、奴らは我々を裏切った。貴様ら帝国に、悪にそそのかされ、正義を見誤った! 正義は我らが手のうちにある!」

「見誤ってんのは、てめえだよ!」

 肉眼では捉えられない速度の蹴り。ユティスの斬撃よりも速い。

 男の片腕は千切れ、消し飛んだ。広間に男の絶叫が響く。

「帝国は悪――間違ってない。俺もこんな国、クソ食らえって思う」

 ゼイクが腕を前に出す。ノノはそちらに飛び移り、男に憐憫を向けた。

「だがな、勘違いすんな。悪の反対は必ずしも正義じゃねえ。お前らは紛れもない悪だ。だからこそ、俺はお前らを叩き潰す。他に理由はいらない」

「帝国の業は……深い……。我々は……不滅だ!」

「承知の上さ。肝に銘じておくよ」

 足を高く振り上げ、倒れる男の真上に持っていく。

塵と消えろ(ヴァニッシュ)

 まるで落雷。光速のかかと落としが男の頭部を粉砕した。

 肉片や頭蓋、内容物が弾ける。ゼイクは手でノノを覆い隠し、彼女に飛沫物がかからないようにしている。それから、神殿はしばしの静寂に包まれた。

「――ちょっ、ゼイク! あの二人がいなくなってる!」

 慌てたノノは大声を出し、ゼイクの裾を引っ張った。言葉の通り、ユティスとアカリがどこにもいない。三〇秒前までは、扉の前にいたはずなのに。

「やっぱり何かあるんだよ。早く追いかけよっ!」

「うーん……やめとく」

「へ? 逃がすの? ゼイクの〈光速〉なら追いつけるでしょ」

「そういう問題じゃねえ。魔力残滓が途切れてる。お前がいるんだし、騙欺で惑わされたわけもない。となると、移動する以外の方法で逃げたんだ」

()()()()()()()()()? 意味わかんないんだけど」

 要領を得ない。ゼイクの眼には面白がるような光があった。

「あの美形、かなりのやり手だ。次は戦いてえな」

「まーた悪い癖が出てる。お爺ちゃんに言いつけるよ」

 ノノが呆れ果て、ため息を吐く。ゼイクはげんなりして、

「性分なんだ、どうしようもねえだろ。あーあ、強い奴と存分に戦えるっつーから、〈魔天〉なんぞに入ったのによ。ジジイにまんまと騙された」

「私はそのおかげで、ゼイクと一緒にいられるけどね……」ぼそっ。

「うん? 何だって?」

「な、何でもないわよ、ばーかばーか!」

「痛っ! 小指に噛みつくな! 急にどうした!」

「知らないもんっ。ほら、追いかけないなら、王都に帰還しよ」

 鈍感な相棒の肩に戻り、ノノは嫌味たっぷりに言った。

「帝国の最高戦力と名高い、師団最上位〈魔天〉の一人として、やるべき任務はいっぱいだよ。ご理解してますね、〈魔天雷〉公(ボルテクス)ゼイク閣下?」

「へいへい、働きますよ。働きゃいいんだろう」

 開き直るゼイク。死屍累々を残し、二人は一瞬で神殿を去った。


     ◆


 神殿を離れた林の中。アカリは最初に潜んでいた地点にいた。

「大丈夫ですかユティス様!?」

「声を静めろ……居場所が割れる……」

 ユティスは普段のごとく振る舞うが、息が絶え絶えだった。

 樹の幹に寄りかかり、額から滝のような汗を流している。

「無茶苦茶です! ユティス様の魔術はただでさえ魔力を消費するのに、人間を二人も『飛ばす』なんて! せめて、私を置いて行ってくだされば……!」

 胸を引き裂かれる思いで、アカリは喉を枯らし、泣き叫んだ。

 アカリもわかっている。どんなに素っ気ない態度を取っていても、どんなに冷たい言葉を発していても、ユティスがアカリを見捨てることはない。

 ユティスの生まれも、過去も、真意も知らないが、それはわかる。

 彼は姉と自分を救ってくれた、優しい人だから。

 アカリは涙が止まらなかった。自分にもっと力があれば、ユティスの負担を減らせた。ユティスの足を引っ張らずに済んだ。もっと力があれば――

「僕が勝手にやったこと……。お前が気にする必要は……ない」

「でも……」

「三日も静養すれば……全快する。そんなことより……」

 ユティスは腰に手を伸ばし、剣を抜いた。〈魔嵐将官レックレスデーモン〉ギルバートに折られたそれは、外形は取り繕っていたが、とても使い物にはならない。

「この先の戦い……やはり、このままでは駄目か」

 長い逡巡の末、ユティスは何事かを決断し、東の方角を眺めた。

「王都へ向かうぞ、アカリ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ