Episode 4 〈魔天雷〉
「わあ、ユティス様の……すごく……大きいです……」ごくり。
「馬鹿が。見るのは僕の顔じゃない」
帝国西部の山間。ユティスとアカリは鬱蒼と茂った林に潜んでいた。
アカリが渋々と望遠鏡の先端を移し、山の麓に広がった窪地へ向ける。不自然に深い霧が立ち込めたそこに、景観にそぐわない建造物があった。
外観はみすぼらしいながらも、どこか神秘的な趣のある神殿だ。
「あそこに今回の標的さんが集まるんですね」
「そうだ。情報が正しければ、だがな」
「……ユティス様、訊いてもいいですか?」
望遠鏡のレンズを覗いたまま、アカリは疑問を口にした。
「ユティス様はいつも、どうやって色んな情報を得ているんです?」
アカリが日頃より、ユティスに対して抱いていた疑問。
帝国軍の内部事情や機密、果てには、軍も掴めていないような裏の世界の情報まで。ユティスの情報量はとにかく恐ろしい。アカリにも協力させ、情報収集や偵察を行うことはあるが、あくまで元となる情報の裏付けがほとんどだ。
誰かが情報を提供してくれているのは間違いない。だが、それらしき人物とユティスがコンタクトを取る場面は、これまでに一度も見ていなかった。
アカリは基本、常に彼とともにいるにも関わらず。
そんなアカリの疑問に、ユティスはシンプルな答えを返した。
「悪いが、お前には話せない」
「で、ですよね。差し出がましいことを言いました」
咎められたわけではないのに、謝ってしまう。やっぱり訊かなければよかった、と今さら後悔しながら、気を取り直し、神殿の様子に注意を払った。
しかし、考えないようにすればするほど、余計な思考が止まらなくなる。今回の件に限らず、アカリはユティスのことをほとんど何も知らない。生まれも、過去も。彼がなぜ、粛清などという行為に手を染めているのかさえも。
ユティスはアカリに名を与えてくれた。条件はあるが、居場所も与えてくれた。アカリにとって、彼は自分の生きる世界、自分の存在そのものと同義。
なのに、自分は彼のことを何ひとつ、ちゃんとわかっていない。
それがたまらなく悔しくて――たまらなく寂しかった。
「来たか」
ユティスがつぶやく。アカリは我に返り、霧の奥に目を凝らした。
神殿付近の鳥が一斉に飛び立ち、奇妙な集団が歩いてくる。
全員が白い礼服を身に纏い、制帽を目深に被っている。制帽のつばには軍の象徴〈不死鳥〉の刺繍が施されてあったが、その両翼は削られていた。
あれは暗示だ。不死であろうと、翼なき鳥は堕ちるのみ――帝国への挑発に等しい。市井で見せつけようものなら、五分で警官隊が駆けつける。
「あの人たちが反帝国軍〈終焉の使徒〉……」
「情報は正しかったようだな」
何人かを見張りに残し、集団は神殿の中へ入っていった。
「概ね予定通りだ。行くぞ、アカリ」
「はい!」
先行するユティスに付き従い、アカリは神殿に向け、林を移動する。見張りに気付かれないよう、入念に魔力を隠蔽し、気配も殺しておく。
「この霧、感知系の魔術じゃないな。目くらましの遮視結界か」
神殿に近付き、霧が濃くなると、ユティスは警告を発した。
「わかっていると思うが、お前の役割は見張りの無力化と、標的の退路の封鎖だけ。標的の粛清はいつも通り、僕一人がやる。手出しは無用だぞ」
「心得ています。けど、本当にいいんですか?」
「何がだ?」
「反帝国軍は現帝国を打倒して、革命を成そうとしているんですよね。だったら、ユティス様と同じというか、少なくとも敵ではないんじゃ」
ユティスが粛清を行う理由は知らないが、目的は腐敗した帝国の是正だろう。ならば、反帝国軍とは共通の理念を掲げた者同士ではなかろうか。
だが、ユティスはぴくりとも表情を変えずに、
「奴らが成そうとしていることが、真の意味での革命ならな」
「…………?」
「話の続きは後だ」
林と霧の惑わしを抜け、二人は神殿の正面にやって来た。
周辺に散開したのか、入り口の見張りは数人だった。こちらに気付き、他の見張りや神殿内の仲間に異変を伝えようとしたが、少し判断が遅い。
ユティスの拳とアカリの幻惑が、彼らに容赦なく襲いかかった。
「近くにいない見張りは放っておく」
気絶した見張りを捨て置き、ユティスが神殿に入る。
アカリも中に入ると、きらびやかに装飾された回廊が奥へ続いていた。外観の質素さと打って変わり、王宮のようだ。美しさに圧倒され、見惚れる。
「ぼけっとするな。見学している暇はないぞ」
「あ、すみません。ユティス様の方が魅力的です!」
ユティスと回廊を進む。ほどなく、重厚な扉の前に着いた。
(あれ、何だろう……この感覚)
大きな魔力を感じる。情報によれば、反帝国軍の幹部が一堂に会しているのだから、別段おかしくはないが――アカリは否応のない不安に駆られた。
しかし、アカリが進言する前に、ユティスは扉を開いている。
「うん? 新手のお出ましか?」
見知らぬ男の声と、充満した血の臭気が二人を迎えた。
臭いの発生源は広間の中央に置かれた円卓。白い礼服を真っ赤に染め、無惨な最期を遂げているのは、粛清予定だった〈終焉の使徒〉幹部と側近たち。
地獄絵図と呼ぶに相応しい惨状が、聖なる神殿に広がっていた。
アカリは次に、行儀悪く円卓の上に座る男を見た。
歳はユティスと近そうだ。黒い頭髪の一部は黄や白に染められ、無駄に派手やか。目つきも悪く、無法者の若者というイメージが合う。だが、男の着る灰色の軍服には、きちんと両翼のある〈不死鳥〉の意匠が。――明らかに軍人だ。
(私たちだけじゃなく、軍にも今日の情報が!?)
ここで開かれようとしていたのは、〈終焉の使徒〉主要メンバーの集会。帝国にとっても、ユティスにとっても、彼らを一網打尽にする絶好の機会だった。
ユティスとアカリを注視し、男は後頭部を掻いた。
「美形と女子……こんな奴ら、リストに載ってたか、ノノ?」
「ううん。いなかったよ」
誰かが応対する。独りだと思った男の肩に、妖精が腰掛けていた。
見た目は人間の少女だが、大きさは大人の手のひらほどしかない。白い布切れを服の代わりに巻いている。背に生えた六枚の翼は、神話に描かれる天使を髣髴とさせた。以前に出逢ったエリーサと同じ使い魔の一種、妖精型だろう。
妖精ノノは男の肩を飛び立ち、二人に警戒色を発した。
「君たち、誰かな? 反帝国軍の仲間じゃなさそうだけど、迷子ってわけでもないよね。外は遮視結界で覆われてるし、一般市民が来れるはずないもん」
「ああ、一般市民じゃない。僕たちはしがない旅人だ」
アカリを背後に押しやり、ユティスが広間に一歩踏み込む。
「内乱で故郷を失い、妹と二人で帝国を巡っている。霧のせいで森を抜けられず、近辺の魔力残滓をたどってきたら、偶然ここに着いてしまった」
「おかしな話ね。建物の外に魔術師がいなかった?」
「突然襲われた。やむを得ず、迎撃させてもらったが」
「迎撃? 倒せたの? しがない旅人なのに」
「腕には覚えがある。でなければ、今の時世に帝国を旅などできない」
「ふーん。君の名前は?」
「リシャール・アンテムス。妹がエミル・アンテムスだ」
ユティスは息を吐くかのように、すらすらと嘘を並べた。
状況的に考えて、反帝国軍の中核を壊滅させたのは彼ら。ともすれば、相当の実力者だ。下手に疑心を持たれれば、厄介事は避けられない。
ユティスたちは〈終焉の使徒〉と何ら変わらない、帝国への叛逆者なのだ。どんなことをしてでも、この場はやり過ごさなければならなかった。
「こう言ってるよ、ゼイク」
「うーん、どうすっかな」
ゼイクと呼ばれた男が腕組みし、思案顔で考え込む。
「諜報部に渡された標的リストに載ってないんだし、帰していいんじゃねえか? 一応は極秘任務だから、この場で見ちまったことを口止めしてよ」
「えー、絶対怪しいよ、こいつらー。ゼイク並みに胡散臭い」
「お前は飼い主をどんな目で見てやがる」
「せめてさ、詰所に連行しとこ。軽く事情聴取やって」
(ダメそう……。いざというときは、私がユティス様を護らなきゃ!)
成り行きを見守りながら、アカリは覚悟を決めた。
己の命を賭すことになろうと、ユティスだけは絶対に――
そのとき、円卓に伏した死体のひとつが飛び起きた。
いや、死体ではない。生きた人間だ。死んだ振りだったのだ。
飛び起きた男は礼服を脱ぎ捨て、ゼイクに躍りかかった。
「貴様、よくも我が同志たちを!」
「生き残りがいやがったか」
男の振るった短剣をかわし、ゼイクが悪戯っぽく笑う。
「でもよ、『同志たち』なんて正義漢ぶった言葉、似合わねえぜ」
「黙れ! 諸国と無意味な戦争を繰り返し、民に負担を強いるような、こんな腐敗した国に仕える軍の番犬共と比べれば、我々は正義の代行者だ!」
怒声を上げ、自らの片腕に短剣を突き刺す。男は指で血を拭い、その血で床に魔法陣を描いた。特殊な系統の陣で、魔術の効力を飛躍的に増大させる。
「血陣――エントツュンデン・ハイリヒ!」
魔術と魔法陣が起動。ゼイクを中心にした大爆発が起きた。
凄まじい爆音が鼓膜を揺さぶり、閃光が網膜を焼く。
空間座標を指定し、爆裂させる魔術なのだろうが、範囲が広い。指定空間の中心にいたゼイクは逃げ切れはしない。男はそう思ったようだ。
「……ざまあみろ」
「そうそう、そっちの言い草の方が似合ってる」
――男は背後から、無傷のゼイクに蹴り飛ばされた。
吹っ飛んだ男は円卓に衝突し、仲間の亡骸の中に倒れ伏す。
アカリも、吹っ飛ばされた男も、信じられない気持ちだった。
ゼイクがいつの間に後ろに回り込んだのか、わからない。
「残念だったね。相手がゼイクじゃなきゃ、仲間の仇を討てたのに」
ノノがぱたぱたと羽ばたいて、瀕死の男の頭に乗った。
「運が悪かったんだよ、おじさん」
「ありえん……我々が志半ばで……たった一人に……」
「仕方ねえよ。俺の〈光速〉は最強の魔術だからな」
ゼイクの身体が魔力を帯び、消える。全員がゼイクを見失った。
「こっちだ、こっち」
最初からずっとそこにいたかのように、ゼイクは円卓の上に座っていた。既視感がある。忌ま忌ましいあの男が、姉に掛けさせていた幻影の魔術と似ている。だが、完全な〈天火明〉を備えたアカリは、大抵の騙欺に耐性を持つ。
つまり、今のは幻影によるイリュージョンではない。
(本当に光の速さで移動した……?)
「光速移動の……魔術。よもや……貴様は……!」
「俺を知ってんのか。ま、それはさておき」
眼差しを冷たくしたゼイクは円卓を降り、男の片腕を踏みつけた。短剣を刺した方の腕だ。傷口にかかとをねじ込まれ、男が苦悶の表情を浮かべる。
「馬鹿だよな、お前ら。適当に群れて、適当に愚痴こぼし合って、くだらねえ革命ごっこしてるだけなら、俺や軍が本気で動くこともなかったのに」
「何を言って――ぐ、がああっ!」
「忘れたとは言わせねえ。ふた月前、軍に自分たちの情報を密告したって理由で、お前らは拠点にしてた村ひとつをどうした? ほら、言えよ」
「……あの村の者たちは多くを知り過ぎていた。それに、あれは然るべき報いだ。我々の活動は延いては民のため……なのに、奴らは我々を裏切った。貴様ら帝国に、悪にそそのかされ、正義を見誤った! 正義は我らが手のうちにある!」
「見誤ってんのは、てめえだよ!」
肉眼では捉えられない速度の蹴り。ユティスの斬撃よりも速い。
男の片腕は千切れ、消し飛んだ。広間に男の絶叫が響く。
「帝国は悪――間違ってない。俺もこんな国、クソ食らえって思う」
ゼイクが腕を前に出す。ノノはそちらに飛び移り、男に憐憫を向けた。
「だがな、勘違いすんな。悪の反対は必ずしも正義じゃねえ。お前らは紛れもない悪だ。だからこそ、俺はお前らを叩き潰す。他に理由はいらない」
「帝国の業は……深い……。我々は……不滅だ!」
「承知の上さ。肝に銘じておくよ」
足を高く振り上げ、倒れる男の真上に持っていく。
「塵と消えろ」
まるで落雷。光速のかかと落としが男の頭部を粉砕した。
肉片や頭蓋、内容物が弾ける。ゼイクは手でノノを覆い隠し、彼女に飛沫物がかからないようにしている。それから、神殿はしばしの静寂に包まれた。
「――ちょっ、ゼイク! あの二人がいなくなってる!」
慌てたノノは大声を出し、ゼイクの裾を引っ張った。言葉の通り、ユティスとアカリがどこにもいない。三〇秒前までは、扉の前にいたはずなのに。
「やっぱり何かあるんだよ。早く追いかけよっ!」
「うーん……やめとく」
「へ? 逃がすの? ゼイクの〈光速〉なら追いつけるでしょ」
「そういう問題じゃねえ。魔力残滓が途切れてる。お前がいるんだし、騙欺で惑わされたわけもない。となると、移動する以外の方法で逃げたんだ」
「移動しないで逃げた? 意味わかんないんだけど」
要領を得ない。ゼイクの眼には面白がるような光があった。
「あの美形、かなりのやり手だ。次は戦いてえな」
「まーた悪い癖が出てる。お爺ちゃんに言いつけるよ」
ノノが呆れ果て、ため息を吐く。ゼイクはげんなりして、
「性分なんだ、どうしようもねえだろ。あーあ、強い奴と存分に戦えるっつーから、〈魔天〉なんぞに入ったのによ。ジジイにまんまと騙された」
「私はそのおかげで、ゼイクと一緒にいられるけどね……」ぼそっ。
「うん? 何だって?」
「な、何でもないわよ、ばーかばーか!」
「痛っ! 小指に噛みつくな! 急にどうした!」
「知らないもんっ。ほら、追いかけないなら、王都に帰還しよ」
鈍感な相棒の肩に戻り、ノノは嫌味たっぷりに言った。
「帝国の最高戦力と名高い、師団最上位〈魔天〉の一人として、やるべき任務はいっぱいだよ。ご理解してますね、〈魔天雷〉公ゼイク閣下?」
「へいへい、働きますよ。働きゃいいんだろう」
開き直るゼイク。死屍累々を残し、二人は一瞬で神殿を去った。
◆
神殿を離れた林の中。アカリは最初に潜んでいた地点にいた。
「大丈夫ですかユティス様!?」
「声を静めろ……居場所が割れる……」
ユティスは普段のごとく振る舞うが、息が絶え絶えだった。
樹の幹に寄りかかり、額から滝のような汗を流している。
「無茶苦茶です! ユティス様の魔術はただでさえ魔力を消費するのに、人間を二人も『飛ばす』なんて! せめて、私を置いて行ってくだされば……!」
胸を引き裂かれる思いで、アカリは喉を枯らし、泣き叫んだ。
アカリもわかっている。どんなに素っ気ない態度を取っていても、どんなに冷たい言葉を発していても、ユティスがアカリを見捨てることはない。
ユティスの生まれも、過去も、真意も知らないが、それはわかる。
彼は姉と自分を救ってくれた、優しい人だから。
アカリは涙が止まらなかった。自分にもっと力があれば、ユティスの負担を減らせた。ユティスの足を引っ張らずに済んだ。もっと力があれば――
「僕が勝手にやったこと……。お前が気にする必要は……ない」
「でも……」
「三日も静養すれば……全快する。そんなことより……」
ユティスは腰に手を伸ばし、剣を抜いた。〈魔嵐将官〉ギルバートに折られたそれは、外形は取り繕っていたが、とても使い物にはならない。
「この先の戦い……やはり、このままでは駄目か」
長い逡巡の末、ユティスは何事かを決断し、東の方角を眺めた。
「王都へ向かうぞ、アカリ」