Episode 3 〈人間使い〉
「あなたに出逢えてよかったです。――死んでください」
少女が刺刀を振り下ろす。ユティスは避けたつもりだったが、左腕の肉をごっそり持っていかれた。腕から血の糸が伸び、辺りに飛び散る。
すぐさま反転し、剣で薙ぎ払う。切っ先が少女の胸を斬り裂いた。
(これも駄目か……)
手応えがない。ユティスの斬撃は少女の体をすり抜ける。
体勢を立て直している間に、少女は霧が晴れるように消えた。
剣士としての勘が奇跡的に働く。頭部をわずかに逸らすと、首があった場所を刺刀が通り過ぎていった。いつの間にやら、少女は真横に移動している。
伸び切った少女の片腕を斬り落とそうとするも、やはり当たらない。そればかりか、少女の姿はまたもや、ユティスの視界から消え失せた。
次なる攻撃が来る。ユティスは全感覚を集中し、周囲の魔力の動きと流れを探った。だが、数十秒が経っても、少女の攻撃の気配はない。
不気味な静寂を破り、高笑いが響き渡った。
「そう気張んなよ。こんなのちょっとしたゲームだろ?」
嫌に耳にねばりついてくる声。ユティスの背後、街路脇に建つ民家の屋根に、一人の男が立っていた。ユティスは精悍な瞳で男をにらんだ。
「ゲーム? 違うな。僕が行うのはお前の粛清だ」
「ははっ、それこそ違うぜ。狩られるのはあんた、狩るのはこっちさ」
男の両隣に二つの影が伸びる。影の正体は少女だった。
片方は巫女装束に身を包み、頭の右側で髪を結っている。もう片方は桜の柄をした振袖を着て、前者と対照にしているのか、頭の左側に結いがある。どちらも見た目は東洋人風で、髪は同じ栗色。加えて、人間離れした美しさだ。
先程からユティスと戦いを繰り広げるのは、巫女装束の少女。男と振袖の少女は参加していない。そもそも、男の方に魔性は感じ取れなかった。
「楽しく見物させてもらうぜ。オレの最高傑作を相手に、あんたがどこまで生き延びられるか。――ああ、そうだ。なあ、零弐。オレと賭けをしよう」
男は小気味よさそうに手を叩き、振袖の少女の肩に腕を回した。
「賭け……ですか?」
おずおずと訊き返す。男は少女の耳元に口を寄せ、
「零壱が何分であいつを殺せるかだ。五分以内だったらお前の勝ち、それ以上ならオレの勝ち。どうだ、シンプルで公平な勝負と思わないか?」
「……はい」
「負けたら罰ゲームだ。お前は今夜、オレの玩具になる」
「……は……い」
「もちろん、お前が勝ったら褒美をやろう。オレという存在の欠片を、お前の中にたっぷり刻んでやるよ。従者として、喜ばしい限りだろ?」
絶望で血の気の失せた少女の頬に、舌を這わせる。振袖の少女の眼に涙が盛り上がった。巫女装束の少女も目を伏せ、奥歯を強く噛む。
男は二人の少女の反応を見て、嗜虐的に微笑んだ。
「さーてと、零壱。可愛い妹のため、とっとと下の奴を殺してこい」
「――――っ!」
「いいね、オレ好みの面構えだ。返事は?」
「わかり……ました」
巫女装束の少女がユティスに向き直る。鬼気迫る形相だ。荒れ狂う感情を魔力に変換。屋根を飛び降り、再びユティスに襲いかかってきた。
◆
半日前。ユティスはある情報をもとに、その街へ訪れた。
街の外縁はぐるりと鉄の壁が囲っている。壁には魔除けが施されており、魔法生物は近寄らない。かつて、近隣に大型の魔獣がいた頃の名残だそうだ。帝国領内の魔獣が軍に絶滅させられた昨今では、歴史的価値しかない代物だが。
数日は内偵し、情報の真偽を確かめつつ、計画を練る予定だった。まさか、最初に足を踏み入れた酒場で破算になるなど、予想だにしていない。
(どうなっている……)
酒場に入るや否や、店主が鉈を振り回し、女性が雷の魔術を撃ち込み、男衆が取り押さえようとする。反射的に全てをいなし、ユティスは逃走した。
当然のように追いかけてくる。逃げ回るうち、追っ手の数は数倍の大群になった。逃げずに相手取ることもできなくはないが、無駄な戦いは避けたい。
適当な路地裏に身を隠す。ユティスは建物の外壁にもたれた。
そうして、落ち着いた頭で状況を整理する。
酒場に入るときも、追われているときも、彼らに敵意や殺気は感じなかった。これはおかしい。ユティスがあれだけ大勢の気を見逃すはずがない。
もうひとつ重要なのは、追っ手が皆、一般人に見えた点だ。
(彼らは街の人間で、何者かに操られているのか)
判断材料を吟味し、しっくり来る答えを導く。
気を感じないということは、無意識に近い状態。ならば、催眠か幻覚の騙欺魔術だろう。となると、術者本体を見つけなければ、何も始まらない。
(仮に市民全員を操っているとしたら、術者は数十人規模の集団――)
ふと物音がして、ユティスは思考を中断した。
路地裏奥の細い通路で、青年が手招きをしている。だが、追っ手側の罠とも知れない。ユティスは警戒を解かず、その場を動かなかった。
「ちょっ、早く! こっちこっち! そこは危険だよ!」
見かねた青年が声を上げる。表からは追っ手の足音が聞こえた。
ユティスは悩んだ末に、青年の方に駆けた。一定の距離を保って、奥へ奥へと行く青年の背についていく。たどり着いたのは行き止まりだった。
青年が手慣れた様子で、地面の一角に微弱な魔力波をぶつける。
お粗末な騙欺が破れ、地下室への入り口が露出した。
「さ、急いで!」
促されるまま、地下に続く階段を進むと、広い空間に出た。
何かの貯蔵庫のようだ。市民が二、三十人ほど床に座り込んでいた。誰もが虚ろな顔で、やつれている。ユティスが現れても、反応した者は少ない。
青年が倉庫の片隅を示す。二人はそちらに移動した。
「危なかったね。俺が通りがからなきゃ、奴らに捕まってた」
「そうだな」
実は大した危機ではなかったのだが、話を合わせておく。
改めて青年を見る。痩せ細ってはいるが、快活とした表情に、軽い調子の口振り。ここにいる他の人間とは違い、まだ平常を保っている。
青年は癖毛気味の金髪をいじりながら、ユティスに名乗った。
「俺はリシャール。お兄さんは?」
「ユティスだ。名前よりも、この街で何が起こっている?」
「何って……ご覧の通りだよ」
「きちんと説明してくれ。それか、他にまともに話せる人間は――」
「いないよ。ここにいる人以外は皆、傀儡にされたからね」
傀儡――ユティスの推測通り、市民たちは操られているらしい。
「傀儡糸の先に潜んでいる組織は何だ? 反帝国派の魔術結社か、頭のイカれた魔術師集団か、それとも、風の噂に聞く〈終焉の使徒〉とやらか」
「根本が間違ってる。傀儡師は集団じゃなく、一人だよ」
「馬鹿な。たった一人の魔術で千人単位の人間を操るなど……」
不可能――いや、厳密には不可能ではない。ユティスが入手した情報が正確で、なお且つ、想定される最悪のケースだとしたら、話は変わる。
「術者について知っていること、洗いざらい教えてくれ」
「いいよ。お安い御用さ」
リシャールは世間話でもするように切り出した。
「皆を操ってるのは……俺の兄貴なんだ」
言い捨てて、瞳に侮蔑を宿らせる。気取られたくないのか、ユティスに背を向けた。気遣っている時間はない。ユティスは矢継ぎ早に訊く。
「お前の兄は何者だ? どうやってその力を手に入れた?」
「兄貴は魔術学者で、古今東西の魔術を研究してた。自分の研究室に一日中引きこもってね。詳しい研究内容までは知らないけど……。兄貴の様子がおかしくなったのはひと月前。東洋のどこかの国から、兄貴宛てに荷物が届いてからだよ」
「東洋――どういう荷物だ」
「ぼろぼろの古い魔術書だったかな」
決定的な証言だ。思い描いた最悪のケースが、この街で現在進行形で起こってしまっている。ユティス一人では身に余る事態かもしれない。
「ともかく、それを手に入れてから、兄貴は妙な魔術を使い始めたんだ。街の皆を操って、次々に自分の傀儡にした。操られた人間に捕まると、そいつも傀儡にされちまう。街の人間で逃れられたのは、ここにいる俺たちだけさ」
リシャールが市民を見回す。ユティスは話を続けた。
「戦おうにも、街を脱出しようにも、あちらとの戦力差は多勢に無勢。せめて見つからないよう、地下に留まるしかなかったというわけか」
「おまけに〈魔除けの壁〉のせいで、外の人間も異変に気付かない。何も知らずに来た旅人や商人は傀儡の仲間入りするしで、外の救援も望めなかった」
リシャールが振り向く。瞳には侮蔑ではなく、決意の念が見えた。
「でも、限界だ! あのバカ兄貴、俺がぶん殴って止めてやる!」
飄々とした態度はどこへやら、リシャールは冷静さを失っていた。自分の口で現状を説明しているうち、抑えていた感情が昂ぶったようだ。
近くの木箱の上から果物ナイフを取り、懐に隠し持つ。
地上への階段に向かおうとして、リシャールは立ち止まった。
「お兄さん、お願いがあるんだ。皆のことを頼む」
「策があるのか?」
「弟の俺なら、兄貴も油断するかも。――後は任せた!」
駆け出すリシャール。ユティスはその首根っこを掴んだ。
ぐえっ、と声を上げて、リシャールが背中から床に倒れた。
「馬鹿が。やめておけ。返り討ちにされるだけだぞ」
「げほ……じゃあ、どうすんだ! 誰がバカ兄貴を止めるってんだ!?」
「さあな。少なくとも、お前には無理だ」
「……わかってる。そんなことは……わかってるよ」
急速に意気消沈し、うなだれる。リシャールはナイフを投げ捨て、ユティスから離れていった。とりあえず、無謀な行いに走ることはないだろう。
ユティスは木箱に腰掛けると、やや柔和な声を作った。
「僕に用があるなら、出てきたらどうだ」
「う……」
ユティスの言葉に、ぎくりと反応した者がいる。柱の陰に隠れていた少女が観念して、ばつが悪そうに、気恥ずかしそうに姿を見せた。
控えめに見ても美しい少女だったが、血色は悪く、衰弱している。こんな地下空間で一ヵ月かそこらも生活すれば、体調を崩すのは当然か。
少女は栗色の髪が乱れるくらい、勢いよく謝った。
「ぬぬぬぬ盗み聞きしてごめんなさい! そんな気はなかったんです! おおおおお詫びに何でもしますから、どうか許してください!」うるうる。
「いや、怒ってはいないが」
「あ、そうなんですか。よかった」
ほっと息を吐き、ユティスの前をちょこちょこ歩き回る。
「落ち着け。まずは座るといい」
「……はい」
少女が隣に腰を下ろした。胸の前で手を組み、何かを言いかけて、口をつぐむ。それを何度か繰り返す。このままでは、状況が進展しない。
「名を聞いておこう」
ユティスに問われ、少女はようやっと口を開いた。
「エミルと言います。ノーンバン家で女中を務めていました」
「ノーンバン? さっきの奴の家系か」
「はい。リシャール・ノーンバン――彼と私は幼馴染でもあるんです。私たち三人は小さい頃、お屋敷でいつも一緒に遊んでいました……」
見る見る顔を曇らせていく。察するに、三人のうちの一人は、件のリシャールの兄だ。エミルがユティスの腰、吊るされた長剣を横目で見た。
「ユティス様は剣士なんですか?」
「そうだ」
「強いんですか?」
「どうだろうな」
「ふふっ、そう答えられるのは本当に強い人だけですよ」
「僕は別に――」
「いいなあ。私にも……もっと力があったら……」
会話が途切れる。エミルは木箱の上で膝を抱え、すすり泣いた。
「どうして……こんなことに……なっちゃったんだろ……っ」
床にこぼれ落ちる涙の滴。
己の無力を嘆き、悲痛そうに肩を震わせ、頬を濡らしている。
ユティスはエミルを元気づけることも、慰めることもしなかった。
ただ、彼女が泣き止むのを待って、こう訊いた。
「どこだ」
「……ふぇ? どこって、何がですか?」
「決まっている。ノーンバン家の敷地の場所だ」
長剣に手をかけ、刃物のような双眸を見開き、天井を振り仰ぐ。
「傀儡の主は、僕が狩る」