Episode 2 〈人身仲介者〉3
ということで、アカリは修道院に忍び込んだ。
術者のアカリは唯一、外側から〈隔絶世界〉を認識することができる。中庭の茂みに身を隠し、ユティスの戦いをひそかに見守っていた。
「燃えろ、エントツュンデン」
セイフィードが手をかざした途端、何もない空気中で爆発が生じた。かなり高位の魔術なのか、威力が高い。爆炎がユティスをのみ込む。
だが、すぐに出てくる。跳躍し、セイフィードに肉迫した。
拳を振るう。かわされる。もう一発振るおうとして、ユティスは腕を引っ込めた。両者の間で小さな爆発。あのまま腕を伸ばしていたら、危なかった。
「素晴らしい。予想を超える強さだ。若いのに大した腕前」
セイフィードは距離を取り、ユティスを見据えた。
戦闘中とは思えないほど、子を見る親のように穏やかな顔だ。
そんなセイフィードと真逆に、ユティスの瞳は冷たい。
「爆発の魔術か。やはり、お前が孤児院の火災を起こしたな」
「はて、何のことだい?」
この期に及んでとぼけるとは。
アカリは茂みを飛び出しそうになるが、どうにか怒りを鎮めた。
アカリが許されているのは、ユティスの手伝いまで。勝手に余計な手出しをすれば、彼はきっと許さない。彼の側にいられなくなってしまう。
「私が子どもを助けた場面は、君もよく見たはずだろう」
「お前は孤児を救った。それは事実だ」
「それならば――」
「お前は一階で孤児院を爆破し、その上で救助に行ったんだ」
ほう、とセイフィードが声を漏らす。
「奇怪なことを言う。私の自作自演だと? 何のために?」
「〈人身仲介者〉――人身売買の仕事をやりやすくするため」
セイフィードを流れる魔力の波長が、わずかに乱れた。
「お前に関することは調べ尽くした。修道女の中には、貴族や富豪の養親紹介というお前の慈善行為に、不審感を抱く者もいたようだな。お前としては不穏分子は排しておきたい。ゆえに、信頼を獲得する必要があった。それが理由だ」
「……心の底から称賛を送ろう。ユティス君と言ったかな」
セイフィードは感嘆の息を吐き、ユティスに拍手を送った。
「実力、胆力に加え、真実を見抜く眼……これほどの若者がまだ育つとは、魔導に溺れ切った現帝国も、なかなか捨てたものではないようだ」
「それは遠回しに己の所業を認めた、と捉えるべきか?」
「将来、この国を変える魔術師になれたろうに。とても遺憾だよ」
魔力が膨れ上がり、床に魔法陣が描かれていく。刃先から柄尻まで純赤色をした、計一三本の剣が現れ、セイフィードを守護するように飛び交う。
「焼き斬れ、グリューエン〈剣〉」
剣が狙いをつけ、ユティスに殺到した。
ユティスは両腕を魔力で硬化させ、素手で迎え撃つ。剣舞のごとき戦いだ。自在に宙を舞い、四方八方から押し寄せる剣を、ユティスが無駄のない動きでさばく。だが、剣がユティスの腕に触れるたび、触れた箇所が発火した。
恐らく、あれらは本物の剣ではない。何かしらの魔術を内蔵しているならば、その武器は魔具ということになるが、一人の魔術師が一三本も保持しているとは考えにくい。爆発の魔術を具象化させ、剣の形を模したというところか。
剣としての切れ味がないので、殺傷能力は低い。ところが、剣自体が魔術の塊であるため、魔力による肉体強化の防御力は半減される。
ユティスの戦闘スタイルを見極め、最適解を選択してきたのだ。
(む、ユティス様にも剣があれば……)
そうなってくると、アカリは歯痒さを覚える。
ユティス本来の戦闘スタイルは、魔術と剣術を絡めた独自のもの。しかし、ユティスの手に剣はない。彼の愛剣は先日の戦いでがらくたとなった。
アカリは幾度となく進言したが、ユティスは新しい剣を調達しようとも、剣を打ち直そうともしなかった。なぜなのか、理由は教えてくれない。
(本っ当に強情なんですから。でも、そこに痺れちゃいます♡)
アカリはくねくねと身をよじらせて、頬を桜色に染めた。
形勢は不利。にも関わらず、ユティスが勝つと信じて疑えない。
「ひとつ、訊いていいかな?」
剣の嵐が吹き荒び始め、数分が経つ。なおも変わらず、剣をさばき続けるユティスの集中力を殺ごうとしたのか、セイフィードが語りかけた。
「君は〈人身仲介人〉の情報をどうやって手に入れたのだろう? 裏の世界深くに潜らねば、私たちの存在を知るのは困難なはずだが」
「お前の顧客に聞いたまでだ。一年ほど前にな」
アカリの胸がちくりと痛んだ。
一年前――それはユティスとアカリが出逢ったときだ。
「当時、僕はある男を粛清した。奴は子どもを材料にし、禁術の人体実験を行っていた。その男が死の間際、お前の情報を吐いたというだけの話だ」
「やれやれ、客は選んだ方がいいという教訓としよう」
「次はこちらが問おう。なぜ、人身売買などに手を染めた?」
片手間で剣をさばきながら、ユティスが鋭く問う。
「まさか、孤児たちがモルモットにされること、知らなかったわけでもあるまい。答えろ。金も地位も持つお前が一体、何が理由で道を外れた?」
セイフィードは泰然とユティスを眺め、こう答えた。
「人間の進化。それが私の求める唯一無二の夢さ」
「進化……」
「そうとも。帝国に限らず、世界全体が魔導の発展で進歩を遂げる中、大半の人間はその変革についていけず、下の方へ取り残されている。私は彼らを救いたい。物心つく以前より孤児だった私が、セイフィード家に救われたように」
これまでの穏やかな微笑みではなく、狂気じみた笑みをこぼす。
「全人類がひとつ上の存在へと昇華する――これがどれほどの幸福を生み出すか! 私が協力していた輩は皆、その手の禁術を研究していた者たちだ」
「馬鹿が。お前たちが生み出すのは、人体実験の犠牲者だけだ」
「代償が伴わない幸福はありえない。……まあ、いかに優秀であれ、君は若い。私の思想が、世界の求む先が理解できないのも仕方はないか」
「思想だと? 独りよがりの妄想の間違いだろう」
「……もういい。黙りたまえ」
セイフィードは言葉の端々に憤りをにじませ、
「爆ぜよ、グリューエン〈炎祭〉」
と唱えた。呼応した一三本の剣が光を放ち、ぶくぶくと膨張する。
視界を埋め尽くす閃光ののち、轟音が鼓膜をつんざく。
剣が一斉に大爆発を生じ、数千度の熱地獄にユティスを取り込んだ。
アカリは一瞬息を詰めたが――心配は無用だった。
煙が晴れたそこに、純赤色の剣を握ったユティスが立つ。
全ての剣が爆発を起こす前に、そのうちの一本を捕まえ、大量の魔力を流し込むことで、コントロールを強制的に奪取。剣技で爆発を防いだらしい。
魔術が具象化されていて、触れられるからこそできた、力任せの裏技と言える。無論、リスクなしとはいかない。コントロールを奪う際、発火する剣に直に触れる必要があるため、ユティスの右手のひらは火傷でただれていた。
魔力も大幅に減退している。文字通りの諸刃の剣だ。
だが、これで得物を手に入れた。ユティスは何度か剣を振り、感触を確かめた。その一連の鮮やかな対応に、セイフィードが――ほくそ笑んだ。
「君なら凌ぐと思っていた」
不意に、ユティスの動きに違和感が生じた。動きがおぼつかない。思い通りに身体を動かせていない。アカリには覚えがある。あの現象は先程の――
「拘束魔術、血牢だ。仕掛けをしていて、正解だったよ」
エリーサとの戦いにて、幻覚の中のアカリが使われた魔術。事前に対象の体内に媒介を仕込み、そこに魔力を注入し、動きを封じる原理だ。
この場合、他人に自分の魔力を流すことは不可能という、魔術の制約は適用されない。拘束魔術の根幹たる基本法則に当たる。その点に疑問はない。
気掛かりなのは、魔術の前提条件の方である。
(どのタイミングでユティス様に媒介を……?)
アカリが観戦する限り、そんな隙はなかったはずだが。
疑問の答えはセイフィードが教えてくれた。
「いつ媒介を仕込まれたのか、不思議かな? 魔力抵抗の小さい物質なら、媒介とするものは何でも構わない。固体でも、液体でも、はたまた気体でも」
すとんと腑に落ちる。ユティスはこの戦いの最中に加え、孤児たちの救出のときも、セイフィードの魔術で発生した爆煙に身を投じていた。
拘束魔術が発動可能となる量の煙を、吸い込まないわけがない。
「私の策が一枚上手だったかな。経験の差と諦めてくれ」
セイフィードは気品ある表情に戻り、魔術を発動した。空中に新しく剣を創り出し、動けぬユティスに飛ばす。剣が一直線にユティスの眉間を貫く――
――ことはなく、途中で真っ二つに折れ、爆発した。
愕然とするセイフィード。その胸部から、おびただしい量の血が弾け飛ぶ。右肩からへその左側にかけて、斜めにざっくり斬り裂かれている。
まともに立っていられず、セイフィードは崩れ落ちた。
当惑と恐怖が入り混じった、震える声でつぶやく。
「何を……したんだ。君は……動けないはず……」
「僕に剣を与えた時点で、お前の策は失策に過ぎない」
「な……に?」
自分の身に何が起きたのか、セイフィードは理解できていなかった。ユティスは拘束されていたのだから、単純に神速の斬撃を放ったのではない。
では、何がセイフィードを斬ったのか。――わからないのが当たり前なのだ。ユティスのあれはアカリですら、初見では見破れなかった。
拘束魔術が解け、ユティスはセイフィードに歩み寄った。
「ブラム・セイフィード卿よ。お前の敗北だ」
「――――」
「その身の抱える罪、僕が断罪する」
「それは困ります」
突然、第三者の声が割り込み、ユティスは足を止めた。セイフィードの側に魔法陣が浮かぶ。例のごとく、その中からはエリーサが現れた。
(あ、やばいかもです……)
アカリは顔面蒼白になる。エリーサが来た――それはつまり、アカリの幻惑が破られた挙げ句、〈隔絶世界〉の空間座標を探知されたことを意味する。
結論を言うと、アカリの大失態。使い魔を甘く見過ぎた。
エリーサは腰を屈め、主人を抱き起こした。
「長らくお待たせしました、マイオーナー」
「やはり君は優秀な……異界人だよ、エリーサ。よく……来てくれたね。さあ、彼を消してくれ……。彼は……人類の夢を阻む障がぼああああっ」
言い終える前に、エリーサの腕がセイフィードの胸を突き破る。
セイフィードは血を吐き、瞳孔の開きかけた眼で使い魔を見上げた。
「……な……だ? わた……契約……し……」
「はい。私と貴方は契約を交わしました。お忘れでしょうか?」
全身を主人の返り血で染めて、エリーサは何の感慨もなさげに、
「私は貴方に従順に尽くす。その対価として、貴方の命が果てるとき、生きたまま心臓を頂戴する。それが契約の内容であり――今が履行のときかと」
断末魔の叫びが上がる。アカリは目を逸らした。
再び視線を戻したときには、エリーサはどこにもいない。
胸に空洞の空いた死骸が、無価値なごみのように捨てられているのみ。
ユティスが死骸を見下ろして、独り言を言った。
「……馬鹿が。幸福という名の拘束に、囚われていたのはお前だ」