Episode 2 〈人身仲介者〉
「ひゃっ、ユティス様そこは……あぁ……激しすぎますぅ……んっ」
ランプの炎が淡く部屋を照らし、影が揺れ動く。
ぎしぎしとベッドが軋むたび、アカリはうっとりとし、快楽に満ちた艶めかしい声を上げた。潤んだ瞳を閉じ、はあはあと荒く息を吐く。
「でも……欣快の至りです。私は今にも……天に昇りそうです♡」
「昇天の前に就寝したらどうだ、馬鹿が。時間と体力の無駄だ」
どうにも我慢できなくなり、ベッドで読書に耽っていたユティスは手を止める。対面のベッドからは寝間着姿のアカリが飛び起き、口をへの字にした。
ここは海沿いの町の宿。三日前に町を訪れて以降、泊まっている。
「無駄なんかじゃありませんよ。近い将来必要となる技術を磨いているんですから。欠かせない日々の、大切なイメージトレーニングなんです」
「お前の妄想する未来は永久に来ない。そんな研磨は徒労に終わる」
「わざわざ言葉にせずとも、私の未来設計を読み取って……!? シンパシーですねテレパシーですね以心伝心ですね相思相愛ですねっ!」
「やめろ。なぜ僕のベッドに入ろうとする」
「もうユティス様ったら、わかってるくせに……読み取ってください♡」
「わかりたくないし、読み取りたくもない」
問答無用で向こうのベッドに押し返す。しばし、アカリは未練たらしくいじけたが、ユティスが読書を再開したのを見ると、諦めて毛布にくるまった。
「あ……ユティス様……あぅ……まだ、早いです……っ」
「僕の言葉が聞こえなかったのか? 明日も偵察だ。黙って就寝――」
第六感が嫌な予感を感知し、ユティスは本を閉じた。
直後、どおんっ、と爆発音が聞こえた。近場ではない。遠方で。
ユティスは反射的にベッドを抜け出し、窓を開け放つ。
爆発音のした方角、町の反対側で火災が起きている。頭の中に地図を思い浮かべ、目測で大体の場所を割り出す。――嫌な予感は見事に的中だった。
素早くコートを着て、ドアノブに手をかける。
「待ってくださいユティス様! 私もお供します!」
「お前は待っていろ。僕一人で行く」
「でも――」
皆まで聞かずに、ユティスはアカリを残し、部屋を出た。魔力強化した脚力は疾風のごとし。騒然とするロビーを素通りして、宿を出る。
そこからさらに加速し、石畳の通りを踏み抜くように駆けていく。熟達した魔術の心得がなければ、とても目で追い切れはしない。
ユティスは数分足らずで火災現場に到着した。黒い煙と炎を上げる、古めかしい二階建ての建物。屋根や壁はあちこち崩れ、今にも倒壊しそうだ。
近隣の町民が集まり、消火活動やらで辺りを動き回っていた。
「おい、孤児院が火事だ!」「早く消防を呼べ!」
「誰か! まだ中に子どもが!」
最後に聞こえた声の主は若い修道女だ。質素な身なりの子どもたちが、彼女の周りで泣いている。恐らく、孤児院から避難した孤児たちだろう。
ユティスはそちらに歩み寄り、錯乱気味の修道女に訊いた。
「取り残されているのは何人だ」
「え……ふ、二人です! 男の子と女の子が二階に――」
「わかった」
言うが早いか、外壁を蹴って跳び上がり、穴の開いた屋根から孤児院に侵入。腕に魔力を纏わせつつ、院内を探索する。降りかかる火の粉や落下してくる瓦礫は、手刀で打ち払った。コートは焦げるが、腕には火傷ひとつできない。
二階は子ども部屋が並んでいた。大半が爆炎に埋め尽くされている。
だが、いくつかの部屋はまだ炎が回り切っていない。
幸運なことに、その部屋のひとつから子どもの泣き声がした。
ユティスが扉を蹴破ると、部屋のすみに丸まった二人の子どもがいた。目立った外傷はない。泣くのをやめ、きょとんとした表情でこちらを見る。
ユティスは女児を背負い、男児を脇に抱え上げた。
後は屋外に脱出するだけ――かと思われたが。
虫の羽音のように小さな悲鳴を、ユティスの耳が確かに拾う。
ただし、どこか離れた別の子ども部屋からだ。
取り残された孤児はまだいる。錯乱のあまり、修道女が数え違えたか。
一旦外に出るか、このまま助けに行くか、ユティスは逡巡した。前者の場合、ユティスが戻ってくるまで、残された子どもが無事でいられるかはわからない。かと言って、三人もの子どもと炎の中を進むのはリスクが大きい。
魔力を有する生物は、自身と異なる型の魔力を体内に受けつけない。肉体強化は他人に施せないのだ。炎と煙に巻かれれば、子どもたちが危うくなる。
どうすべきか、迷うユティスの肩を誰かが掴んだ。
「君は外へ行きなさい。残りの子は私が」
背後に立っていたのは、紳士然とした壮年の男性だった。
足もとの床が抜けている。一階の天井を突き破ってきたらしい。
「安心してくれ。私も多少は腕に自信がある――君と同様にね」
銀のポニーテールを揺らし、煙に包まれた廊下の奥へ向かう。
考えている時間はない。男の言葉を信じるしか、選択肢はなかった。
ユティスは二人の子どもを連れ、窓から外へ飛び降りた。
着地と同時、町民たちがどよめき、次いで大きな歓声を上げた。ユティスは特に反応せず、孤児を放す。修道女が寄ってきて、二人を抱き締めた。
「ああ、ありがとうございます! ――で、でも、実はもう一人!」
「この子のことかな、シスター」
ユティスと町民たちが振り向くと、紳士が子どもを肩車して、ふわりと地面に降り立ったところだった。子どもは無傷だ。再び、歓声が上がる。
紳士はやわらかく微笑み、鷹揚とそれに応えた。
ぼろぼろ涙をこぼしながら、修道女は紳士へ手を合わせた。
「貴方はまさしく……神が遣わせてくださったお方です、ミスター・セイフィード……。子どもたちに代わり、心より感謝いたします……っ」
「その言葉は私より、こちらの勇敢な若者にかけるべきだ」
「いや、僕は別に」
「何をおっしゃるのです。貴方もこの子たちの……命の恩人です」
熱い視線を送られる。ユティスが対応に難儀していると、
「ユティス様ーっ!」ばびゅーん。
雑踏を掻き分け、アカリがやって来た。ユティスの指示とは言え、一人で待機は我慢できなかったようだ。ユティスの前で安堵の息を吐く。
「ご無事のようですね。よかったです。とっても心配しました。私がいない間にユティス様の身に何か……あった……ら……私は……」
声のトーンはおもむろに低くなり、表情も翳る。光の失せた暗い灰色の瞳が、ユティスの隣、涙の跡が残る修道女をロックオンしていた。
「まさか手遅れ? そこの女性と……あんなことやこんなことを!?」
わなわな震え出したかと思えば、ぷんすかと怒り出す。
アカリは袖で顔を隠し、最終的にむせび泣いた。
「ううっ、嫁の私が毎夜どれだけ健気に、誠実に、しとやかに誘っても……全然応えてくれないのにぃ。どこの泥棒猫の骨とも知れない女性と……っ」
「色々と言いたいが……お前と別れて、まだ四半刻も経っていないだろ」
「ユティス様、やっぱり早◯だったんですね」
「そういう意味じゃない」
「お嬢さん、君は彼のお仲間かな? 誤解をしているようだ」
二人の言い合いを耳に挟み、セイフィードが間に入る。
ユティスが燃え盛る孤児院から、二人の子どもを救ったこと。修道女の涙は感極まったせいであること。それらを丁寧にアカリに説明した。
「わっ、私はわかっていました! ユティス様が私を裏切るような蛮行をするはずないと! 早◯なんかではないと! ほほほほ本当ですよ!?」
聞き終えたアカリは慌てふためき、あれこれ言い訳を並べ立て始めた。ユティスとしては、アカリにどう思われようと、別段問題ではないのだが。
そのとき、特徴的な制服に身を包んだ一団が現れた。
ユティスや町民たちを孤児院から遠ざけ、統率された動きで消火活動を開始。的確に放たれた水系統の魔術が、たちまち炎を鎮火していく。
「さて、後のことは消防術師に任せよう」
セイフィードは小声で呪文をつぶやき、指を鳴らした。
何もない空間に魔法陣が浮かび上がり、乙女が這い出てきた。
身に着けたエプロンドレスが目を惹く。ぱっちりとした瞳は碧い。セイフィードと同色の銀髪を、フリルつきのカチューシャで留めている。
何てことはない。どこにでもいそうな一般的なメイドだ。――背面左の肩甲骨がある辺りに、蝙蝠のような黒い片翼が生えていなければ、だが。
「シスター、例の話はまた日を改めて」
セイフィードは修道女とユティスに軽く一礼し、
「屋敷に帰ろう。〈翼〉を頼む」
「喜んで、マイオーナー」
差し出された手を恭しく取るメイド。翼を雄々しく羽ばたかせ、空中に飛び上がる。大人一人を片手で容易く引っ張り上げ、飛び去っていった。
「今の使い魔ですか? あんなに人に近い種は初めて見ました」
アカリは羨望の眼差しで、星の瞬く夜空を見上げた。
「私も空を飛んでみたいなー。さぞ、気持ちいいんでしょうね」
「……帰るぞ。明日以降の予定を、大幅に変更する必要がありそうだ」
「変更? もしや、ラブラブ新婚旅行計画に――あ、待ってください!」