Episode 1 〈魔嵐将官〉2
半年前。ギルバートを筆頭にした部隊が、町に派遣されてきた日。
町の片隅のバーで、ギルバートは暴虐の限りを尽くしていた。
「頼む……もう、やめてくれ」
許しを請う男の腕を握り潰し、ついでに魔力を注ぐ。男の腕は木端微塵に吹き飛び、男はショックで失神した。その隙を突いて、背後から別の男がサーベルを振り下ろす。刃はギルバートの肩口に当たったが、ほとんど食い込まず、弾かれる。驚愕と恐怖に染まった男の顔面を、ギルバートの鉄拳が叩き割った。
ギルバートの周りには、武器を持った男たちが十人近くいる。
だが、軍人一人の手で仲間の半数を失ったせいで、全員が戦意喪失に近い状態だ。そんな相手の心情はお構いなしに、ギルバートは暴れ続けた。
一方的に蹂躙される男たちの正体は、この町を根城にした盗賊団のひとつ。盗賊の排除及び町の警護のために派遣されたギルバートは、到着したその日のうちに、盗賊のアジトとして利用されるバーに押し入ったのだ。しかも単身で。
いくら部隊の指揮官とは言え、普通は他の兵が彼の独断専行を許すはずもない。しかし、誰も彼の暴走を止めることはなかった。――ギルバートが旅路の途中で、部隊を言いなりにしたから。もちろん、自身の誇る圧倒的な力を以て。
「頭にくるぜ! あのクソジジイ共!」
盗賊の最後の一人を蹴散らした後、ギルバートは同じバーで酒を飲んでいた。バーテンダーも店員もいないので、酒は店の棚から適当に奪った。どうして誰もいないのか、答えは単純。床に転がる瀕死の盗賊たちに混じっている。
バー自体は町民の経営する真っ当な店なのだが、ギルバートはついうっかり、彼らまで叩きのめしてしまったのだ。あくまで悪気はない。
「俺をこんな辺境のクソ田舎にぶち込みやがって……! 俺がどれだけてめえらのために、帝国のために働いたと思ってやがるんだっ!」
グラスを壁に投げつけ、魔力の衝撃波で酒樽を引き裂く。
しばらくして、ギルバートは冷静さを取り戻した。
「……まあ仕方ねえ。こうなったら、この状況を逆に利用するだけだ。何せ、ここじゃあ、クソうぜえ奴らはいない。俺がトップなんだからな」
欲に満ちた計画を思案し、凄絶な笑みを浮かべる。
「この町は今日から、俺のものだ」
――そして、ギルバートの支配が始まった。
目を覚まし、ギルバートが基地の私室から窓を覗くと、もう夜中だった。昼間に酒を飲んで帰ってきて、そのまま眠りこけてしまったらしい。
それでも、魔力で強化した鋭敏な感覚を保ち続け、異常を察知するや否や覚醒したのは、さすが魔導で名の知れた軍人と言えるだろう。
「誰だ」
部屋の外に蔓延した魔力の流れる気配――魔力残滓に向けて訊ねる。気配が濃密な殺気に変化した途端、壁を斬り裂き、青年が部屋に入ってきた。
基地の壁や床は魔力抵抗の高い素材でできている――にも関わらず、紙切れでも斬るようにだ。右手に持つ剣も刃こぼれひとつない。
青年を見て、ギルバートはほんの少し驚いた。
「怪しいとは思ってたが……てめえ、本当は何者だ?」
出逢ったときと変わらぬ態度で、ユティスは何も答えなかった。
「まさか、ただのしがない旅人が、こんなとこに迷い込んだわけじゃねえだろ。俺の部隊――役立たずのクソ共はどうした? 殺したのか?」
「お前の部下に用はない。だから、僕の連れが相手をしている」
「連れ? あの気色悪ぃ嬢ちゃんが?」
中東某国の魔導師団に属した、名の知れた魔術師の首を取ったとき以来――久方ぶりに可笑しくなって、ギルバートは噴き出した。
「冗談はやめろ。あれでも俺の部隊だ。遊び相手にもなりゃしねえ。まあ、僻地に飛ばされて、あいつらも鬱憤が溜まってる。弄ぶ相手にはなってるかもな」
「確かに。一般兵程度、遊び相手にもならないだろう」
「何だと?」
含んだ言い方が気にかかり、ギルバートは耳を澄ます。正確には、魔力で聴覚を強化した。戦闘音が響けば、これで基地内のどこでも捕捉できる。
なのに、聴こえない。戦闘音ばかりではなく、何も聴こえない。
部屋の周囲のわずかな範囲を除く、基地内の音という音が。
(俺が何かされてるわけじゃねえ……。基地全体に知覚妨害――騙欺系の魔術か? バカな。魔抗金属のオリハルコンで造られてる基地だぞ)
たどり着いた結論に対し、ありえないと否定する。
魔力抵抗抜群の建物丸ごとに魔術をかける――例えるなら、手榴弾の炸裂をしゃぼん玉で包もうとするようなものだ。魔術の常識を外れている。
考えても埒が明かないということを、ギルバートは理解した。
「面倒臭え。てめえを半殺しにして訊いた方が早いな」
「そうか」
次の瞬間、ユティスが超人的な速度で踏み込んだ。壁を崩した斬撃を放つ。受ければ致命傷だが、ギルバートも歴戦の軍人。もう得物を構えている。
壁に立てかけていた、三日月形の斧部を持つハルバード。
使い手に似合わず、芸術性を備えた洗練されたデザインが美しい。
剣とハルバードが激しくぶつかり、火花を散らした。重い。魔術で肉体を強化しているのか、ユティスの細身な体躯からは想像しがたい一撃だ。
「ガキのくせに、やるじゃねえの」
「その戦斧、喪失の秘術か」
「へえ、目も利くのか。ますます何者か気になるぜ」
練った魔力をハルバードに流す。ギルバートの筋力ではなく、あくまでハルバードが自発的に発する推進力が増し、剣を押し返していく。ギルバートは剣をへし折るつもりだったが、ユティスが軽く飛び退き、威力を殺す。
室内での戦いにやりにくさを覚え、ギルバートは窓側の壁を破壊し、外へ飛び出した。そこは野戦演習場。二人は十分な距離を取り、向かい合う。
「てめえの鑑定通り、俺の〈粉砕せしめる月〉は魔具だ」
ギルバートは指摘を肯定し、ハルバードを月明かりに照らした。
無機物は少なからず魔力抵抗がある。武器を魔力で強化しようとするのは、肉体や五感を強化するよりもはるかに効率が悪い。魔術の常識だ。
魔具という名称は、その常識に当てはまらない希少な武器を指す。
製造法はとうに失われており、現存するものしか存在しない。
「クソ高級品だぜ? これを喰らえるんだ、光栄に思いやがれ!」
ギルバートが地を蹴る。猪のように突進し、大きく薙ぎ払う。ユティスは焦らずにかわした――ギルバートが織り込み済みとも知らずに。
ぴきっ、と剣にひびが入る。ユティスは怪訝そうに剣を見た。
「触れずとも砕く……魔具の力か」
「ご名答だ。〈粉砕せしめる月〉は魔力を流すと、重力操作の魔術を発現する。有効範囲は小せえが、生身に喰らえば、肉も骨もミンチに早変わり」
ギルバートは勝利を確信し、下劣に笑う。
「二撃も耐えるとは、てめえの剣も名剣の類みたいだな。だが、所詮はただの剣。魔具には及ばねえ。格が違う。もう使いもんにならねえだろ」
「折れてはいない。まだ使える」
「うぜえ屁理屈を……もういい、半殺しはやめだ。昼間の言葉、覚えてんだろ? 耳障りで目障りだってな。――とっとと消し飛べ!」
嵐のように振り回されるハルバードを、ユティスは壊れかけの剣で迎え撃った。三度目の衝突。だが、結果は見えている。ギルバートの予想と違わず、剣は重力変化によって折れ曲がり、鉄くずと化した。これでユティスは丸腰だ。
ユティスをミンチにするため、ギルバートは振りかぶる。
「あばよ、クソガ――」
その瞬間、我が身に何が起こったのか、ギルバートはわからない。
ハルバードを握る右腕の肘から先が、地面にぼとりと落ちた。
噴き出す血に塗れながら、ようやっと気付く。
ハルバードが剣を折るより前に、神速の一太刀がギルバートの腕を斬っていたのだ。斬られたことに気付かせないくらいの、恐るべき速さで。
「どうなって……やがる」
遅れてきた激痛にうめき、ギルバートは片膝をついた。
「俺の称号は〈魔嵐〉だぞ……。奴らの……師団最上位〈魔天〉共の……次点だぞ。何で……クソガキごときに……こんな……こんなとこで……!」
「馬鹿が。己の力と魔具の力、両方に驕ったか」
ユティスが落ちたギルバートの腕から、ハルバードを取り上げた。
「僕やアカリを耳障り、目障りと言ったな。ひとつ、教えてやる」
手のうちで〈月〉が閃く。
「死人には、耳も目もない。安心しろ」
電光石火の早業で首を刎ねられ、ギルバートは絶命した。
◆
ユティスが基地の門前に行くと、闇の中に女性のシルエットが見えた。
アカリだ。早々に役目を終え、待っていたらしい。
こちらの姿を見つけると、足早に駆け寄ってきた。
「終わったんですね。お怪我はありませんか?」
「ああ。お前も怪我はないな」
「いえ、全身ぼろぼろです。なので怪我の具合を診てもらえますか?」
「脱ぐな。それだけ元気なら大丈夫だ」
すり寄るアカリを押し退け、背後の基地を仰ぎ見る。
「静かだな。奴の部隊員はまだお前の術中か」
「私の幻惑はユティス様との愛の結晶! 愛の力は偉大です!」
「騒がれると面倒だ。愛の結晶とやらが破られる前に、町を発つぞ」
夜更けではあるが、長居はできない。二人は基地を離れ、噴水広場を横切った。無人のメインストリートを歩き出したとき、アカリがこう口にした。
「乱暴な支配者がいなくなって、町も平和になりますね」
「いや、僕が思うに、そうはならない」
アカリはぽかんとして、ユティスを見つめた。
なぜ、不吉めいたことを言うのか。理解が追いついていない。
「この町から賊が消えたのは、軍の部隊を恐れたからでなく、〈魔嵐将官〉ギルバート個人を恐れたからだ。奴が亡き今、残りの兵は賊を退けられる脅威にならない。いずれ賊は戻ってくる。そうなれば、町はまた荒れるだろう」
平和は一時的なものにしか過ぎず、町はギルバートが来る以前の状態に戻るだけ――下手をすれば、酷くなる可能性さえある。〈魔嵐将官〉と盗賊団、どちらに脅かされる生活の方が、町民にとってよかったのか。答えが出るはずもなく。
もどかしそうにするアカリに、ユティスは宣誓のように告げた。
「どんな結果を生むにしても、僕はこの粛清を続ける」
「……私はいつも、いつでも、いかなるときでも、ユティス様を信じています。だからユティス様も、どうかご自身の進む道を信じてください」
アカリはユティスの手を握り、精一杯微笑んだ。
「さ、行きましょう。私たちの進むべき道――バージンロードへいざ!」
「断る」
無下に手を振りほどくユティスに、追いすがるアカリ。
二人の姿は夜の荒野に消えていった。




