第7話:水前寺の空の下、焦げたパイに愛をこめて
『水前寺の空の下、焦げたパイに愛をこめて』
「現在、熊本市中央区には記録的な寒波が停滞中。白川の対岸まで真っ白です。阿蘇のおばあちゃんによる『特選ターキー』の空輸作戦は、ミルクロードの凍結により絶望的となりました……」
父さんがテレビのニュース速報さながらの緊迫感で、受話器を置いた。
窓の外は、熊本市内とは思えないほどの大雪。楽しみにしていた阿蘇のごちそうは、国道五十七号線の通行止めとともに、物理的に遮断されてしまったのだ。
「仕方ない。サクラマチあたりのレストランを予約しよう。こんな日なら……」
「ダメ。家でやるの」
父さんの提案を遮ったのは、エプロンをきつく締め直した真菜姉ちゃんだった。
「お母さんがいた頃は、どんなに雪が降っても家で一緒にお祝いしたでしょ。今年は、私と小穂でやる。お母さんのノート、借りてきたから」
真菜姉ちゃんの指先は、煤と小麦粉で白く震えていた。
キッチンは一瞬で戦場へと化した。けれど、漂ってくるのは懐かしい匂いではなく、何かを必死に埋めようとして失敗している、焦燥の匂いだった。
数時間後。食卓に並んだのは、表面が炭のように黒ずんだ七面鳥と、真ん中が生焼けで形が崩れたパンプキン・パイだった。
「……ごめん。お母さんみたいに、上手くできなかった。全然、違う……」
真菜姉ちゃんが煤だらけの顔でうつむく。ポタポタと落ちた涙が、パイの生焼けの生地に吸い込まれていった。
父さんは、ゆっくりとその「炭」を口に運んだ。ジャリ、という嫌な音がリビングに響く。
「……苦いな」
父さんの言葉に、真菜姉ちゃんが肩を震わせた。
「……苦いし、パイは粉っぽい。……でもね真菜。お母さんも、僕と結婚して初めての冬、同じようにパイを焦がして泣いていたんだよ。僕はあの時、仕事の原稿に夢中で、彼女の涙に気づいてあげられなかった」
父さんは、焦げた七面鳥を飲み込み、掠れた声で続けた。
「今日は、その時の苦さを、ちゃんと味わいたいんだ。……ありがとう、真菜。レストランの料理より、ずっと、今の僕にはこれが必要だ」
「……アニキ。不協和音こそが、生きてる証だぜ」
譲叔父さんも、生焼けのパイを豪快に頬張り、喉を詰まらせながら笑った。
僕は、熊本城の石垣みたいに硬いパイの端っこを齧った。
ひどい味だ。お母さんの味には、一ミリも届いていない。
でも、僕はこの「赤点の味」を、一生忘れないだろうと思った。
『我が家のQOL、本日、測定不能。メニュー、黒焦げの記憶。……けれど、凍てつく窓の向こうに、初めて家族全員の顔が、はっきりと映っていた』
真菜姉ちゃんが、泣き笑いの顔で僕の頭を小突いた。
外は阿蘇から吹き下ろす寒風が荒れ狂っていたけれど、水前寺家のリビングには、本当の灯がともっていた。




