第4話:真夏の夜の海に、魂のシャウトが響く
『真夏の夜の海に、魂のシャウトが響く』
静寂。それは、この家から最も遠い場所にある言葉だと思っていた。
だが、今、僕のいない水前寺家にはその静寂が訪れているはずだ。僕と姉さんたちは、母さんの実家……つまり、あの「最強の母親連合」の総本山に強制収容されているからだ。
「……修、パパたちは今頃、寂しくて泣いてるんじゃないかな」
おばあちゃんが出してくれたメロンを食べながら、次女の小穂姉ちゃんが不安そうに呟いた。
僕は窓の外、夜の海の方角を眺める。メロンは驚くほど甘い。けれど、一切れずつ完璧に切り分けられたそれは、かつて母さんが「これ、お買い得だったのよ」と笑って、種も取らずにタッパーへ詰め込んでくれたあのメロンとは、決定的に別の食べ物だった。
「……いや。あの人たちは今、人生で最高に『ろくでもないこと』を考えてるよ。そうでもしないと、あの家で息ができないんだよ。みんな」
僕の予感は的中していた。
その頃、マリーナの一角では、浮かれた服装の男たちがクルーザーに乗り込んでいた。
父さんは、母さんが生前「派手すぎて似合わない」と笑ったアロハシャツを着て、夜の闇に叫んでいた。
「自由だ! 今夜は男だけの絆を深める夜釣りだ! 母親の説教も、仕事の重圧も、……あの空っぽのリビングも、全部置いていくんだ!」
だが、その逃避行は、真っ赤なスポーツカーとともに現れた譲叔父さんの元恋人、アンジェラによって「パーティ」へと強制的に書き換えられた。
数分後。静かな夜釣りの会場になるはずだった船上は、爆音のロックとシャンパンの泡が弾ける狂乱の場へと変貌していた。
「ブラボー! アンジェラ、君の歌声は最高だ!」
父さんはパーティの司会を演じ、佐藤先生はアルコールに酔って「教育基本法」をラップで刻んでいる。彼らは笑っていた。笑っていなければ、足元に広がる真っ暗な海に吸い込まれてしまいそうだったから。
「譲、あんた何してんの? あんな『まともな家族』のフリして。牙が抜けたの? それとも、あの冷めた目をした甥っ子に毒された?」
アンジェラが譲叔父さんの胸ぐらを掴む。
「修は関係ねえ。俺はただ……姉貴が残したあいつを、どうにかして繋ぎ止めなきゃって……」
「笑わせないで。あんたがやってるのは、死んだ女の幽霊を追いかけてるだけよ。あの子(修)はね、あんたたちの『寂しさ』を埋めるための道具じゃないわ」
その言葉が、心臓を射抜いた瞬間だった。
ガガガッ、という不吉な音とともに、船体が大きく傾く。
エンジンの回転数が落ち、やがて完全な沈黙が訪れた。燃料切れ。
パーティの準備に夢中で、彼らは自分たちの「足元」すら見ていなかった。
爆音の音楽が止まった。波の音だけが、不気味に響く。
その時、父さんのスマートフォンの着信音が鳴った。画面には「修」の文字。
「……もしもし、修か? あ、ああ、パパたちは今、海の上で男の……」
『パパ、言い忘れてたけど。今日、海上保安庁が夜間の突風注意報を出してるよ』
受話器から聞こえる僕の声は、海風よりも冷たかった。
『あと、おばあちゃんが「あのバカ息子たち、燃料も確認せずに船を出したんじゃないでしょうね」って怒りながら、パトロール艇を出す準備をしてる。……ねえ、パパ。母さんなら、一番に燃料を確認したよね』
父さんの手が、目に見えて震え出した。
パーティの魔法が解け、そこには「妻を亡くし、一人で船を出すことすらできない情けない男」が残された。
「……修。……ごめんな。パパ、やっぱりダメだ。母さんがいないと、どこへも辿り着けないんだよ」
父さんの声が、初めて「父さんのもの」になった。演技でも、キャスターの口調でもない、ただの震える一人の男の声。
海の上に、男たちの情けない、けれど本当の叫びが響き渡った。
僕は受話器を耳に当てたまま、暗い海をじっと見つめていた。
パパ、僕もだよ。僕だって、この甘すぎるメロンの食べ方なんて、本当は知りたくなかったんだ。




