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『ニュースキャスターの父、ロッカーの叔父、教師の居候。この家、まともな大人が不在です』  作者: 水前寺鯉太郎
シーズン1

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第3話:三母(ミカド)の降臨、あるいはゴミ屋敷の聖戦

三母ミカドの降臨、あるいはゴミ屋敷の聖戦』

 母さんが死んでから、この家には「衛生」という概念が埋葬された。

 リビングの床は、脱ぎ散らかされた靴下(右)と、読み捨てられたスポーツ新聞、そして叔父さんが夜な夜な書き殴った「魂の歌詞カード」で地層を形成している。キッチンには、誰が食べたか不明なカップ麺の容器がピラミッドのように積み上がり、洗濯機からは「助けてくれ」と言わんばかりに真菜姉ちゃんのタイツがはみ出していた。

 僕がどれだけ片付けても、五人の破壊神による供給が上回る。

 この家は、もはや居住空間ではない。緩やかな速度で崩壊していく「記憶のゴミ溜め」だ。

 だが、その廃墟に、ついに容赦ない外圧が加わることになった。

「……緊急事態です。我が水前寺家に、未確認『お節介』軍団の接近を確認しました」

 父さんが、震える手でスマートフォンの画面を僕たちに見せた。

 そこには、父さんの母親——僕の祖母からの、宣戦布告が踊っていた。

『あんたたちの体たらく、山岸先生から聞いたわよ。修くんがかわいそう。明日から、譲くんのお母さんと、佐藤さんのお母さんも誘って、三人で交代で泊まり込みで行きます。覚悟なさい』

 一瞬、リビングが北極圏のような静寂に包まれた。

「……嘘だろ。オフクロが来るのか?」

 叔父の譲が、愛用のギターを床に落とした。「あの人は、俺のギターを『うるさい洗濯板』って呼んで、勝手に物置に放り込むんだぞ!」

「僕の母もか……」

 佐藤先生が、出席簿を握りしめたまま真っ青になった。「実家の母は、僕が四十近くなっても『正座して野菜を食べなさい』と説教を始める。僕の教育的権威が、修の前で完全に失墜する!」

「このままでは、水前寺家の自由プライバシーは崩壊する!」

 父さんがマイクを握り直し、絶叫した。「プロのキャスターたるもの、実の親に『あんた、また朝ごはん抜きね? 情けない顔して』と全国放送中に指摘されるような醜態は晒せない!」

 三人の男たちは、初めて「打倒・母親連合」という一点において、強固な同盟を結んだ。

 彼らが捻り出した作戦は、極めて単純かつ無謀なものだった。

「修、いいか。作戦名は『完璧な家庭・偽装工作カムフラージュ』だ。おばあちゃんたちが来る明日までの二十四時間で、この家を『母さんがいた頃と同じ、世界一まともな家』に仕立て上げるんだ!」

 そこからの光景は、滑稽で、そして少しだけ残酷だった。

 父さんは、「掃除の進捗状況」を実況しながら、掃除機を振り回した。しかし、紙パックの替え方すらわからず、間違えて母さんが愛用していた古いエプロンを吸い込みそうになり、「これだけは捨てられない!」と掃除機と取っ組み合いを始めた。

 叔父さんは、「俺のビートで汚れを弾き飛ばすぜ!」と叫びながら、窓を一枚割り、リビングに冷たい隙間風を招き入れた。

 佐藤先生は、家中のゴミを「可燃」「不燃」だけでなく、「母さんの筆跡が残るメモ」というカテゴリーにまで分類し始め、結局、ゴミの山を前にして、一人で静かに泣き始めてしまった。

 僕は、そのカオスを冷めた目で眺めながら、黙々と自分の荷物をまとめていた。

「修、何をしているんだ? お前も戦士だろう!」

「僕は、戦わないよ」

 僕は、最短距離で玄関へ向かう。

「おばあちゃんたちが来たら、僕は全部本当のことを言う。パパも、叔父さんも、先生も。みんな、母さんがいなくなってから、時計が止まったままだって」

「修! 裏切り者かよ!」

 叔父さんが叫ぶが、その背後で、割れた窓から強風が吹き込み、さっきまで仕分けていた「捨てられない思い出の破片」がリビング中に舞い上がった。

 翌日。玄関のチャイムが鳴った。

 そこには、エプロンと掃除用具で完全武装した三人の最強の老婦人が、仁王立ちで並んでいた。

「……あら、修くん。元気だった?」

 祖母が、僕の頭に優しく手を置いた。その手からは、懐かしい石鹸の匂いがした。

 僕の後ろでは、埃まみれの男たちが「完璧な家庭」を偽装するために、引きつった笑顔で並んでいる。

「パパ、叔父さん、佐藤先生。……放送事故の準備はいい?」

 僕がそう呟いた瞬間、祖母がリビングへ一歩踏み込み、その惨状を一瞥して短く言った。

「……バカね。あんたたち。これじゃ、あの子が安心して成仏できないじゃない」

 その一言で、父さんの肩が、がたがたと震え出した。

 三人の母親たちが「何よこの散らかりようはー!」という怒号を響かせ、リビングへ突撃を開始する。それは圧殺ではなく、止まっていた時計を無理やり動かすための、聖戦だった。

 僕は、おばあちゃんが持ってきた、母さんの好物だった高級な羊羹を一つ拝借し、自分の部屋へ避難した。

 一口食べると、甘さと一緒に、堪えていたものが鼻の奥へ抜けていった。

 再履修の前に、まずは「更生施設」の教官がやってきた。

 でも、本当は。

 この石鹸の匂いがする誰かに、僕も、叱ってほしかったのかもしれない。

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