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『ニュースキャスターの父、ロッカーの叔父、教師の居候。この家、まともな大人が不在です』  作者: 水前寺鯉太郎
シーズン3

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第28話:『五千万のランナー、産声のバックビート』

『五千万のランナー、産声のバックビート』

「……来た! 来たわよ譲さん! 陣痛よ!」

 由佳の叫び声が、水前寺家の朝食を吹き飛ばした。

 

 譲は、持っていたトーストを宙に放り出し、立ち上がった。

「病院! タクシー! いや、車……あ、俺、免許ない! 兄貴! 佐藤先生!」

「落ち着け譲! 俺が車を出す! ……あ、でも今日は局の生放送が……いや、知るか! 臨時ニュースだ!」

 航も、靴を左右逆に履きながらパニックに陥る。

 佐藤先生だけは、真っ青な顔でタブレットを叩いていた。

「由佳さん、深呼吸を。現在の陣痛間隔は 7 分 22 秒。病院到着までの推定時間は――」

「先生! 理屈はいいから、早く荷物を運んで!」

 真菜が指示を飛ばし、修がタクシーをアプリで呼び寄せる。

 だが、譲は待てなかった。

 彼は由佳を抱きかかえてタクシーに乗せると、自分は乗り込まずに走り出した。

「俺、走る! 走って神様に宣言してくる! 五千万だ! 五千万稼ぐから、二人を無事に届けてくれって!」

「叔父さん、何言ってるの!? 病院まで 2 キロあるよ!」

 修の叫びを背に、譲は熊本の坂道を猛然と駆け出した。

 背中には、重いギターケース。

 その中には、佐藤先生が昨日徹夜で作った「双子のための 22 年間資金シミュレーション」の束が入っている。

「うおおおおお! 五千万! 五千万稼ぐ曲を書くんだ! 俺は三流だけど、パパになるんだ! 舐めるなよ、運命の数式!」

 通行人が驚いて振り返る中、譲の脳内には、かつてないほど激しい、狂気じみたリズムが刻まれていた。

 

 病院の廊下。

 汗だくで、膝から崩れ落ちた譲を、航と佐藤先生が迎えた。

「……譲、遅いぞ。由佳ちゃん、もう中に入った」

 航の言葉に、譲は壁に頭を打ちつけた。

「兄貴……俺、怖かった。五千万なんて数字、本当は怖くて仕方なかった。でも、あいつらの鼓動を聴いたら、逃げるわけにいかないんだ」

 分娩室の重い扉の向こうから、由佳の悲鳴に近い声が響く。

 佐藤先生は、病院のベンチの隅で、小さなホワイトボードを抱えて震えていた。

 彼はそこに、数式ではなく、一文字だけ。

『生』

 と書き、それを譲に見せた。

「……譲さん。五千万という数字は、ただの記号です。今、あの中で起きていることは、宇宙の誕生と同じ、計算不能な奇跡です。……あなたの音楽は、もう、始まっています」

 その時だった。

 ――オギャア!!

 ――オギャア!!

 

 二つの、重なり合う産声。

 それは、譲がこれまで書いてきた、どのコード進行よりも完璧で、どの和音よりも美しい「不協和音」だった。

 譲は、廊下の床に突っ伏して、声を上げて泣いた。

「……聴こえた。聴こえたよ、兄貴。五千万どころじゃない……。世界中の金を集めても、この一音には勝てねえよ……」

 航が、譲の泥だらけの背中を、何度も、何度も叩いた。

「おめでとう、譲。おめでとう、パパ。……ようこそ、地獄のように楽しくて、最高に三流な『親』の世界へ」

 窓の外、熊本の空には、新しい二つの命を歓迎するように、眩しい朝日が昇り始めていた。

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