第27話:『教育費のラプソディ、消えゆくバックビート』
『教育費のラプソディ、消えゆくバックビート』
名前が決まった翌朝、水前寺家のリビングには、巨大な「資金繰り表」が掲げられていた。
佐藤先生は、指示棒を手に、いつもより冷徹な声で解説を始めた。
「いいですか。双子が私立中学から理系大学、さらに院まで進んだ場合、インフレ率を加味した総コストは、概算で五千万を超えます。譲さん、株式会社『再履修』の現在の収益ペースでは、海くんが10歳の時点で破綻します」
その言葉は、譲の胸に、冷たい杭のように突き刺さった。
独立の自由を謳歌していた心は、一瞬にして「負債」という言葉に支配された。
「五千万……。俺が三流の曲を一生書き続けても、そんな……」
譲は、膝の上でギターを抱えたまま、固まっていた。
「佐藤! お前、めでたい朝になんてこと言うんだ!」
航が食卓を叩く。
「名前が決まって、これからだって時に、子供を数字で語るな! 夢がないだろ!」
「夢では腹は膨れません、航さん! 私は叔父として、論理的にこの子たちの未来をガードしたいだけです!」
二人の怒鳴り合いの中、譲がそっと弦を弾いた。
……ポツン。
濁った、力の抜けた音。
「……ごめん。ちょっと、外の空気吸ってくるわ」
譲はギターケースを背負わず、ふらふらと玄関を出て行った。
一時間後。
真菜と修は、近所の公園のベンチで、ぼーっと池を見つめる譲を見つけた。
「おじさん。先生の言うこと、気にしすぎだよ」
修が隣に座り、自分のタブレットを見せた。
「僕、計算し直したんだ。海と空が僕の通う学校に来れば、特待生制度で学費はゼロにできる。それに、僕も家庭教師のバイトを増やすし」
「私も、将来はパパより稼ぐキャスターになるから。おじさんは、海と空に『パパはカッコいいギタリストなんだぞ』って、それだけ教えてあげればいいの」
二人の真っ直ぐな視線に、譲の乾いた心が微かに揺れた。
そこに、息を切らした航と佐藤先生が走ってきた。
佐藤先生の手には、なぜかさっきのシミュレーションシートではなく、真っ白なノートが握られていた。
「譲さん。……謝罪します」
佐藤先生は、眼鏡を外して深く頭を下げた。
「私の数式は、不完全でした。私は、海くんと空くんが『あなたの音楽を聴いて育つ』という最大の付加価値を、変数に組み込むのを忘れていました。……彼らがあなたの音を聴けば、五千万の教育より価値のある感性を手に入れる。それは、プライスレスです」
航が、譲の背中をドスンと叩いた。
「譲! 俺の給料袋、半分はお前に預けてやる。……だから、あんな死んだような音を出すな。お前のギターが鳴らなきゃ、水前寺家はただの『うるさい家』になっちまうんだよ!」
譲は、ゆっくりと立ち上がった。
震える指を、空中で動かしてみる。
「……兄貴。先生。……みんな。俺、やっぱり三流だわ。数字を見ただけで、音楽を捨てようとした」
譲は、公園の枯れ枝を一本拾い、地面に大きなト音記号を描いた。
「でも、わかったよ。五千万の借金があるなら、一億稼ぐ曲を書けばいいんだろ? ……再履修、やってやるよ」
その夜、水前寺家には、久しぶりに力強いギターの音が響き渡った。
ハリのある、少しだけ強気で、けれど最高に優しい音色。
佐藤先生は、そのリズムに合わせて、新しい、今度は希望に満ちた「家族の成長曲線」を、鼻歌混じりに書き直していた。




