第25話二つのバックビート、臆病なララバイ
『二つのバックビート、臆病なララバイ』
産婦人科の待合室。
譲は、診察室から出てきた由佳の顔を見て、自分の心臓が止まるかと思った。
「……譲さん、大変。心音がね、二つ聞こえたの」
「二つ? ……ステレオ放送ってことか?」
「双子よ。私たちのところに、二人の赤ちゃんが来るの!」
由佳の弾けるような笑顔とは対照的に、譲の視界は真っ白になった。
双子。
食費が二倍。学費が二倍。そして、自分への責任が二倍。
独立したばかりで、仕事といえば村の特産品をギャラに貰うような漫才ツアー。
(俺に、できるわけがない。一人の人生だって持て余している三流の俺に……)
その夜、水前寺家のリビング。
お祝いムード一色の家族の中で、譲だけが魂が抜けたようにソファーに沈んでいた。
「よーし! 双子か! 名前は『おはよ』と『くまもと』で決まりだな!」
「パパ、縁起でもないこと言わないでよ」
真菜が笑い飛ばすが、譲の耳には届かない。
譲はそっと自室に行き、愛用のギターを手に取った。
いつもなら指が勝手に動くはずなのに、今日は弦が重い。まるで、自分の不甲斐なさを弾糾されているような気がした。
コンコン。
ドアを開けたのは、佐藤先生だった。
「譲さん。双子の育児における睡眠不足の確率は 98\%。経済的困窮の懸念は論理的帰結です」
「……追い打ちかけないでくれよ、先生」
「しかし」
佐藤先生は、部屋の壁に直接マーカーで数式を書き始めた。
「一人の父親の能力が 0.5 だとしても、この家には航さん、私、真菜さん、修くん、小穂さんがいます。0.5 \times 6 = 3。……双子に対して、リソースは過剰なほどに余っています。あなたは、ただの『リードボーカル』であればいい。演奏(育児)は、このバンド全員で行います」
譲が顔を上げた時、後ろに航が立っていた。
航は、古びた、けれど大切に手入れされたベビー服を二着、譲に差し出した。
「これ……真菜と修が着てたやつだ」
「ああ。俺一人じゃ、洗濯の仕方もわからなくて、何度も義妹(お前の姉さん)に泣きついたよ」
航は、譲の肩を力強く掴んだ。
「譲。完璧な親なんて、テレビの向こう側にもいねえよ。俺たちはみんな、子供に『親としての再履修』をさせてもらってるんだ。……お前は二倍苦労するだろうが、二倍、最高の景色が見られる。羨ましいぜ、バカ野郎」
譲は、ベビー服の柔らかさを手のひらに感じた。
不思議と、さっきまでの震えが止まっていた。
「……兄貴。俺、いい歌が書けそうだよ。三流の、情けない父親が、必死に格好つけて歌う、世界一不器用なララバイをさ」
リビングから、小穂が「おじさーん、お腹空いたー!」と叫ぶ声が聞こえる。
譲は、ギターを背負って部屋を出た。
二つの鼓動。それは、譲の人生を縛る鎖ではなく、新しいステージを刻む、最高のバックビートだった。
窓の外、熊本の夜空には、寄り添うように二つの明るい星が輝いていた。




