第24話:『シャワー室の反乱、自由への宣戦布告』
『シャワー室の反乱、自由への宣戦布告』
撮影現場は、異様な熱気に包まれていた。
有名ブランドの香水CM。譲は、知的な作家をイメージした「書斎の作曲家」を演じるはずだった。
だが、現れたクライアントの女性重役は、譲の鍛えられた肩(最近、佐藤先生との漫才の稽古で鍛えられたものだ)を見るなり、台本を破り捨てた。
「変更よ! 書斎なんて地味。シャワー室で、濡れた肌に香水を吹きかけるの。譲さん、バスタオル一枚になって」
スタッフがざわつく中、譲はスタジオの真ん中で立ち尽くした。
「……待ってください。このCMの曲、俺は『静寂の中の知性』をテーマに書いたんです。シャワーの音でかき消されるような音じゃない」
「いいから脱ぎなさいよ。あなた、会社に雇われている『商品』でしょ?」
重役の言葉が、譲の耳の奥で嫌な音を立てた。
横で見ていたマネージャーが、揉み手で近づいてくる。「譲、これを受ければ次は冠番組だぞ。脱ぐくらい、安いもんだろ」
譲は、視線を足元に落とした。そこには、佐藤先生が漫才のネタを書き殴った、真っ黒なノートが落ちていた。
「……お断りします」
譲の声は、低く、けれどスタジオの隅々まで響いた。
「俺は、自分の曲と、隣にいるこの男の知性を売るつもりはありません。三流には三流の、脱いじゃいけないプライドがあるんだよ!」
「譲さん、論理的な判断です」
セットの影から、佐藤先生が悠然と現れた。彼はどこからか持ち出したホワイトボードに、素早く数式を書き始めた。
「この契約変更は、事前の合意形成を著しく欠いています。また、あなたの審美眼は、この香水の本来のターゲット層の知性を侮辱している。……譲さん、ここには我々の居場所という名の変数は存在しません」
「……先生。俺、会社辞めるわ。二人で、何にも縛られない、本当の『再履修』を始めよう」
「計算済みです。退職後の生存確率は 5\% ですが、幸福感の期待値は無限大ですから」
二人は、呆然とするスタッフを置き去りにして、スタジオを飛び出した。
その夜、水前寺家のリビング。
航は、二人の話を聞いて、黙って冷蔵庫から一番高いビールを取り出した。
「……よし、乾杯だ! 無職おめでとう! 三流おめでとう!」
「パパ、おめでとうじゃないでしょ。これからの生活費、どうするのよ」
真菜が呆れ顔で言いながらも、自分の「美容院代貯金」が入った封筒をテーブルに置いた。
「修、先生のマネジメント、あんたがやりなさいよ。小穂は……おじさんの衣装担当ね」
修がタブレットを叩きながら、真剣な顔で言った。
「株式会社『再履修』。登記の準備はできています。最初の仕事は、僕が企画した『熊本・論理的漫才ツアー』です。ギャラは、村の特産品ですが」
譲がギターを手に取り、佐藤先生がホワイトボードのマーカーを握る。
「……兄貴。俺たち、もう誰の言いなりにもならないぜ。このリビングから、世界を笑わせてやる」
航は、二人の背中を見つめながら、亡き妻の写真をそっと撫でた。
「……見てるか。あいつら、最高のツラしてるぜ。……よし、明日のおはようくまもと、冒頭の挨拶は決まりだ。『今、熊本で一番輝いている無職を紹介します』ってな!」
窓の外には、熊本の夜空がどこまでも高く広がっていた。
バスタオル一枚の屈辱を投げ捨て、二人の男は今、自由という名の荒野へと、力強い一歩を踏み出した。




