第22話:『不一致のラプソディ、元カノのノイズ』
『不一致のラプソディ、元カノのノイズ』
ことの始まりは、一枚のレコードと、一冊の園芸雑誌だった。
「譲さん、せっかくの休日なんだから、静かにバッハを聴きながら庭の手入れをしましょうよ」
「由佳さん、俺の人生にバッハはいないんだ。この爆音のマーシャルと、脂ぎったラーメン。これが俺の正解なんだよ!」
水前寺家のリビングは、二人の「譲れないアイデンティティ」の衝突現場となった。
結局、二人は「感性の不一致」を理由に絶交を宣言。由佳さんは家を飛び出し、譲叔父さんは自室に引きこもって、呪いのような暗い曲を書き始めた。
「……めんどくさい大人たちね」
真菜が溜息をつき、修がタブレットで「和解成立のアルゴリズム」を検索する。
「パパ、ここは僕たちの出番だよ。叔父さんには『由佳さんがギターを教えてほしいと言っている』、由佳さんには『叔父さんがクラシックのコンサートに誘いたがっている』って、同時に偽のメールを送るんだ」
航は不安げだったが、子供たちの「愛の狂言」に加担することにした。
翌日。駅前のカフェ。
ロックTシャツを封印して慣れないスーツを着た譲と、バッハを予習して頭を抱えている由佳が、ぎこちなく対峙した。
「……由佳さん、バッハの、あの……ジャカジャカした感じ、最高だよね」
「ええ、譲さん。ギターの、あの……バイオリンみたいな音、素敵だと思うわ」
嘘に嘘を重ねる、痛々しいデート。
そこに、不吉なハイヒールの音が響いた。
「あら、譲くん? その格好、全然似合ってないわよ」
現れたのは、譲の元カノ、理沙だった。彼女は譲と同じ、黒い革ジャンを纏い、背中にはベースケースを背負っている。
「譲くんのギターは、歪んでなきゃダメ。……ねえ、由佳さんだっけ? あなたには、彼の弦が鳴らす孤独の叫びなんて、一生わからないでしょ?」
理沙は、譲のギターの弦高やピックの好みを完璧に言い当て、音楽理論で由佳を圧倒した。
由佳は、握りしめたクラシックのプログラムを震わせ、俯いた。
「……ええ。わからないわ。私には、彼の音楽も、あなたの言ってることも、一つもわからない」
譲が、理沙の方へ一歩踏み出した。
由佳の肩が、びくりと跳ねる。
しかし、譲が掴んだのは、理沙の手ではなく、自分のネクタイだった。
彼はその場でスーツを脱ぎ捨て、首の詰まったシャツを乱暴に開けた。
「……理沙。お前は俺の音を理解してる。でも、お前といると、俺の音は『正解』の中に閉じ込められちまうんだ」
譲は、泣きそうな顔で立ち尽くす由佳に向き直った。
「由佳さん。あんたは俺の趣味を一つも理解してくれない。俺が必死に弾いてても、『うるさい』って掃除機をかけ始める。……でもな、その掃除機の音が混じって初めて、俺の曲は『生活』になるんだよ!」
譲は、カフェのテーブルをホワイトボード代わりに、指でバツ印を書いた。
「趣味が合うなんて、三流の言い訳だ。俺は、趣味が合わなくても、飯の好みが違っても、あんたに隣で文句を言われ続けたいんだよ!」
由佳が、ついに吹き出した。
「……最低。私のバッハを掃除機扱いするなんて。……でも、いいわ。今夜は、そのうるさいギターを子守唄にして、思いっきり寝てやるから!」
影で見ていた航と子供たちが、一斉に拍手しながら飛び出してきた。
佐藤先生だけは、カフェの隅で冷めた珈琲を飲みながら、メモ帳にこう記した。
『趣味の一致度:0%。……生存の必要性:100%。……不協和音こそが、家庭の基本周波数である』
帰り道。
譲は由佳に、最新のロックバンドのCDを押し付け、由佳は譲に、おすすめのハーブの種を握らせた。
お互い、やっぱり全く興味なさそうな顔をしながら。
でも、二人が繋いだ手だけは、どの和音よりも完璧に調和していた。




