第21話:『アロハの遭難、砂の上の再履修』
『アロハの遭難、砂の上の再履修』
ハワイの海は、絵の具をひっくり返したような青だった。
航は、レンタルしたクルーザーの操舵席で、派手なアロハシャツの襟を立てて叫んでいた。
「いいか、水前寺家諸君! 今日は2周年だ! ポリネシアン・ショーで、我々の絆を再確認するぞ。全員、同じリズムで踊るんだ!」
「パパ、勝手に決めないでよ。私はショッピングに行きたかったのに」
「……兄貴、燃料計、見てるか? なんだか針がずっとゼロを指してる気がするんだが」
譲の不吉な予感は、その数分後、エンジン停止という最悪の形で的中した。
夕闇が迫る頃、彼らがたどり着いたのは、地図にも載っていないような小さな無人島だった。
豪華なディナーのはずが、砂浜で拾った流木と、湿ったマッチ。
「どうすんだよ、これ! 2周年のお祝いが、サバイバルかよ!」
真菜の怒りが爆発した。
「全部パパのせいだ! いつもそう! 自分の理想の『家族』を押し付けて、私たちの気持ちなんて二の次じゃない!」
航は、砂浜に座り込み、何も言わなかった。手には、海に浸かってボロボロになった、予定表が握られていた。
「……真菜さん。航さんを責めるのは、統計学的に見て公平ではありません」
佐藤先生が、落ちていた枝で砂浜に図解を書き始めた。
「この2年間、彼がどれほどの熱量をこの『家族』というシステムの維持に注いできたか。……この旅行の計画表には、小穂さんの好きなパンケーキの店も、譲さんのための楽器店も、すべて網羅されていた。彼は、操縦を誤りましたが、目的地(家族の幸せ)を見失ったことは、一度もありません」
ふと、航のポケットから、小さな金属の塊が砂の上に転がった。
それは、五枚のコインを繋ぎ合わせたような、手作りのキーホルダーだった。
『SUIZENJI FAMILY - 2nd ANNIVERSARY』
裏には、一人一人の名前が、不器用な刻印で打たれている。
「……ごめんな。俺が、一番浮かれてたんだ」
航の声は、波の音に消えそうなくらい小さかった。
「お前たちが、いつかこの家を卒業していくのが怖かった。だから、2周年なんて理由をつけて、無理やり繋ぎ止めておきたかったんだ……。俺は、キャスター失格だな。家族の心の声も、拾えてなかった」
夜空には、熊本では決して見られないような、巨大な銀河が広がっていた。
譲が、流木をコンコンと叩き始めた。
「……兄貴。あんたの操縦は三流以下だけどさ。この星空を見せたことだけは、プロの仕事だよ」
譲が、静かに歌い始める。
それは、かつて航と亡き妻が、小さなアパートで聴いていた古い歌だった。
真菜は、砂まみれの航の隣に座り、黙ってその肩に頭を乗せた。
「……パパ。来年は、近所の公園でいいから。あ、でも、佐藤先生のホワイトボードは持ってきてよね。それがないと、我が家って感じがしないから」
佐藤先生は、眼鏡を拭きながら、砂浜に書いた図解の横に、大きく「○」を描いた。
『本日の再履修科目:遭難。……結果:全員、合格』
翌朝。救助のヘリが、砂浜に書かれた巨大な「ALOHA」の文字を見つけた。
その下で、五人の男女が、世界で一番不格好で、世界で一番誇らしげな家族の顔をして、手を振っていた。




