第14話:『春の残骸、冷めたお弁当』
『春の残骸、冷めたお弁当』
その日は、五月の風が残酷なほどに心地よい土曜日だった。
真菜は、駅前の広場で、何度もスマートフォンの反射で自分の顔を確認していた。昨日、寝る間を惜しんで書き上げた祐一のレポート。それは、彼が「単位が危ないんだ」と泣きついてきた、経済学の分厚い束だった。
「はい、これ。……結構大変だったんだからね」
差し出されたレポートを、祐一は無造作にバッグに突っ込んだ。その手つきに、愛おしむような気配は微塵もなかった。
「サンキュ。マジで助かったわ。真菜って、ほんと頭いいよな」
「……ねえ、祐一。これから、あそこのカフェでランチしない? 予約、取っておいたんだけど」
真菜の手には、もう一つの「サプライズ」が隠されていた。早起きして作った、彼の大好物が入ったお弁当だ。外で食べるのが恥ずかしければ、二人になれる場所に行こう。そう言いかける前に、祐一は短く「無理」と切り捨てた。
「これから、彼女と約束あるんだわ」
……え?
心臓の音が、耳元で大きく鳴った。
「彼女って……私、じゃないの?」
祐一は、心底面倒くさそうに溜息をついた。
「お前、勘違いしすぎ。俺のタイプ、もっとフワフワした可愛い系なんだわ。お前みたいな『しっかり者』は、ノート借りるのには最高だけど……女としては、重いんだよ」
人混みの中、真菜だけが凍りついていた。
祐一が去っていく背中を見送る気力もなかった。
手の中の紙袋――。そこには、形が崩れないように丁寧に詰めたお弁当が入っている。
真菜は近くの公園のベンチに座り、震える手で蓋を開けた。
黄色い卵焼き。不格好なタコさんウインナー。
一口食べたそれは、驚くほど味がしなくて、砂を噛んでいるようだった。
夕暮れ、水前寺家の玄関を開けると、そこには最悪の光景が待っていた。
航が、新しい番組の企画会議だと称して、リビングに大きな声を響かせていたのだ。
「よし! 次のテーマは『熊本の純愛』だ! 真菜、お前の初恋の話も聞かせてくれよ!」
航の屈託のない笑顔が、今の真菜には、猛毒だった。
「……うるさい」
「ん? なんだ、真菜。照れるなよ」
「うるさいって言ってるでしょ! パパみたいに、大声で愛だの絆だの言えば幸せになれると思ったら大間違いなのよ!」
真菜は階段を駆け上がり、自室の扉を激しく閉めた。
リビングに、気まずい沈黙が降りる。
夜。
真菜が暗い部屋でベッドに突っ伏していると、ドアが小さくノックされた。
入ってきたのは、航だった。
彼はいつもの大声を出さず、枕元にそっと、温かいココアを置いた。
「……真菜。父さんは、アナウンサーだからな。言葉を仕事にしてる。でも、たまに思うんだ。一番大切なことは、言葉にすると、全部嘘っぽくなっちまうって」
航は、真菜の背中を、大きな手で一度だけ叩いた。
「泣きたい時は、滑舌なんて気にしなくていい。誰にも聞こえない声で、思いっきり泣け。……明日、目が腫れてたら、父さんがカメラの前で『今、熊本で流行ってるアイメイクだ』って嘘ついてやるからな」
父が部屋を出て行った後、真菜は枕に顔を押し付けて、声を上げて泣いた。
リビングからは、譲叔父さんが弾く、静かなマイナーコードのギターが聞こえてきた。
佐藤先生が、ホワイトボードに「恋愛における損失補填の必要性」と書きかけた手を止め、そっとマーカーを置く音がした。
修が、黙って真菜の分の洗濯物を畳んでいた。
最低で、不器用で、暑苦しい家族。
でも、そのバラバラな足音が、今の真菜には、どんなラブソングよりも優しく響いていた。




