第11話:『仮面の祝祭、朝の残響』
『仮面の祝祭、朝の残響』
キッチンには、真菜が朝から仕込んだ、色鮮やかなカナッペやフルーツパンチが並んでいた。
水前寺家のリビングが、これほどまでに「女子大生の部屋」らしく飾られたのは、おそらく初めてのことだろう。
「……よし。これで完璧」
真菜は鏡の前で、不自然なほど明るい笑みを作った。その瞳の奥に潜む、怯えのような小さな震えを、彼女自身が必死に抑え込んでいるのを、修はカウンター越しに見ていた。
「姉貴、そんなに張り切らなくても……」
「修にはわかんないよ。今日は私の友達だけじゃないの。その子が連れてくる友達にも、『水前寺家は素敵だね』って思わせなきゃいけないんだから」
真菜の言葉は、まるで自分自身に言い聞かせている呪文のようだった。
そこへ、玄関から高笑いが響いた。
航だ。
「聞いたか! ついに父さんは『おはくま』の司会だ! 熊本の朝の顔だぞ! スポーツの熱狂から、人の心の機微に触れる対話へ。これは革命だ!」
浮かれる父の手には、昇進祝いの大きなシャンパンと、真菜のパーティーを邪魔しないための、高級な折り詰めが握られていた。
「お父さん、今日は私のパーティーなんだから、あまり騒がないでね」
「わかっている! 私はこれから、人の話を聞くプロになる男だ。今日は徹底して聞き役に回るぞ!」
そう言って笑う父の背中も、どこか新しいステージへの不安で強張っていた。
夕暮れ時、パーティーが始まった。
最初は、真菜の狙い通り、華やかで「普通」な女子大生の集まりだった。
しかし、玄関のベルが二回、冷淡に鳴ったことで、その空気は一変した。
「……久しぶり。真菜」
現れたのは、親友が連れてきたという、二人の女。
彼女たちの顔を見た瞬間、真菜の顔から血の気が引いた。中学時代、家族が最も荒れていた時期に、真菜が「普通」のフリをするのをやめ、そして学校を休みがちになった……そのきっかけを知っている面々だった。
「テレビ見たよ。おじさん、アナウンサーだったんだね。あの頃、真菜の家には近寄りたくないって言ってたけど、今は有名人なんだ」
一人が、リビングの飾り付けを値踏みするように眺めて笑った。
「この料理、真菜が作ったの? へえ……あの、ゴミ屋敷みたいだった部屋からは想像できない」
周囲の空気が凍りつく。真菜は、作ったばかりの笑みを、顔に張り付かせたまま硬直していた。
「……やめてよ、昔の話でしょ」
「昔? でも、おじさんもテレビで言ってたじゃない。『再履修家庭』だって。やっぱり、まともじゃないよね、この家」
その時、客間で待機していた航が、襖を静かに開けた。
いつもの大声はない。彼は、娘の震える肩をじっと見つめていた。
アナウンサーとしての、プロの観察眼。しかし、そこには「局の顔」としてのプライドではなく、一人の父親としての、あまりにも遅すぎた気づきがあった。
「……君たちの言う通りだ」
航の声は、低く、けれど家中によく響いた。
「この家は、かつて崩壊していた。真菜に、暗い部屋で一人、冷めた弁当を食べさせていた時期がある。それは、父親である私の罪だ」
航は歩み寄り、真菜の隣に立った。
「真菜。君が今日、こんなに綺麗に部屋を飾ったのは、私のせいだな。私の作った傷を、君が一生懸命、花で隠そうとしていたんだな」
真菜の目から、大粒の涙が溢れ出した。
中学時代の友人たちは、航の気迫に押されるように、そそくさと家を出て行った。
静まり返ったリビング。色鮮やかな料理だけが、主役を失って虚しく光っている。
翌朝。
「おはようくまもと」の初回放送。
カメラの前に立つ航は、プロのメイクですら隠しきれない、ひどい寝不足の顔をしていた。
テーマは「朝の食卓」。
航はカメラを直視し、用意された原稿を、一度も読み上げなかった。
「……皆さん、おはようございます。今朝、私は娘が昨夜作ってくれた、少し味の濃い、けれど世界で一番温かいスープを飲んでここに来ました。私は、父親を再履修中です。家族の傷を隠すのではなく、共に眺め、その痛みを分かち合うことから始めたいと思います」
テレビの前のソファで、真菜は目を赤く腫らしながら、画面の中の父を見ていた。
修が差し出したティッシュを無言で受け取り、鼻をすする。
「……パパ、滑舌悪い。緊張してるんじゃないの」
そう呟く真菜の声は、昨日までの無理な明るさではなく、等身大の、どこにでもいる娘のそれだった。
窓の外では、新しい熊本の朝が、静かに始まろうとしていた。




