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『ニュースキャスターの父、ロッカーの叔父、教師の居候。この家、まともな大人が不在です』  作者: 水前寺鯉太郎
シーズン1

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第1話:我が家のQOL(生活の質)は、常に赤点である

『我が家のQOL(生活の質)は、常に赤点である』

 午前七時。

 我が家のリビングは、三つの異なる職業病が交差する、逃げ場のないスクランブル交差点だ。

「緊急ニュースです。本日午前六時五十分ごろ、水前寺家北側のソファ付近において、修くんの靴下(右)が行方不明になるという深刻な事態が発生しました。現場のパパさん?」

「はい、現場のパパです! 現在、ソファの裏を徹底捜索中。埃の堆積状況は過去最大級であり、捜索難航が予想されます。視界不良につき、誰か懐中電灯を!」

 一分の隙もない発声。父親——水前寺航は、某局の朝の顔を務めるベテランアナウンサーだ。普段はブラウン管の向こうで政情を冷徹に伝えているその男が、今はリモコンをマイク代わりに握りしめ、ソファの裏へ無様に尻を突き出している。

 そのすぐ横、ダイニングテーブルの端では、鳥の巣のような金髪を揺らした男が、アンプも通さずエレキギターをかき鳴らしていた。

「……パパ、その靴下のビート、弱えよ。欠落ミッシングを受け入れてこそ、自由リバティだろ?」

 ジャカジャカと不協和音を響かせるのは、亡き母の弟——自称・魂のロックシンガー、叔父の譲だ。昨夜の打ち上げでリビングの床へ「魂(胃の内容物)」をぶちまけたのは彼で、それを深夜に無言で掃除したのは僕だ。使い切った消臭スプレー一本分。僕の指先には、まだ微かに塩素の匂いが残っている。

「修、紛失物の捜索は『しらみつぶし法』より『直近の動線確認』が先決だ。朝食から登校準備までの平均タイムを考慮すれば、残された時間はあと百五十秒。これは今後の家庭内評価に大きく響くぞ」

 眼鏡を人差し指で押し上げ、出席簿を脇に抱えながらコーヒーを啜るのは、父の親友で居候中の高校教師・佐藤先生だ。

 僕は、真っ黒に焦げたトーストをガリガリと皿に盛りながら、肺の底に溜まった空気を静かに吐き出した。

 僕の名前は、水前寺修。この家で唯一、義務教育をまともに修めている小学四年生。

 母さんが死んでから、半年が経った。この家から「まともな大人」が絶滅して、半年が経った。

「修ー! 今のパパの顔、最高! TikTokで『#放送事故なパパ』で上げてもいいかな!?」

 階段からドタドタと降りてきたのは、中学二年生の姉、小穂だ。彼女にとって、家族の悲劇すら「バズるための餌」でしかない。

 続いて、髪を振り乱した長女の真菜が降りてくる。

「ちょっと小穂、邪魔! 修、あんた今これどころじゃないでしょ。ブラジャーのホックがどうしても留まんないのよ、ちょっとこれ、どうにかして!」

 高校三年生。母親代わりを自称しているが、その実態は慢性的な睡眠不足で爆発寸前のダイナマイトだ。よりによって十歳の弟に下着の手伝いを頼むあたり、彼女の中の「デリカシー」という概念も、母さんの四十九日と一緒に火葬されてしまったらしい。

 カオスだ。

 朝のニュース。爆音のギター。教育論。スマホのシャッター音。姉の悲鳴。

 五つの騒音が、六畳のリビングで複雑に反響し合い、僕の三半規管を容赦なく攻撃してくる。

 でも。

 本当に耐えられないのは、その音の裏側で鳴り続けている、母さんがいないという「沈黙」だった。

「……静かにして」

 絞り出した声は、ロッカーの不協和音にかき消された。

 奥歯が鳴った。僕は手に持っていた鉄製のフライパンを、ダイニングテーブルへ全力で叩きつけた。

 ガシャァァァァァン!!

 一瞬の静寂が訪れた。大人たちが、きょとんとして僕を見る。

 その視線が、痛い。

「父さん、その靴下はさっき小穂姉ちゃんが『汚いから』ってゴミ箱に捨ててたよ。母さんが最後に入院する前、かかとを丁寧に繕ってくれた、あのグレーの靴下」

 父の動きが止まった。

「譲叔父さん、そのギターの音、近所から苦情が来たら、次のライブのチケット代は僕が没収する。夜中に君の『魂』を掃除する時、僕がどんな気持ちで洗剤を撒いてるか、一回でも考えたことある?」

 一呼吸おいて、続ける。

「佐藤先生、動線を確認する前に、そのコーヒー、僕が間違えて淹れた特製激甘ココアだって気づいてよ。先生、今朝、僕の顔、一回でも見た?」

 僕は震える手で、冷めたココアを一口飲んだ。甘すぎて、吐き気がした。

「小穂姉ちゃん、その動画をアップしたら、お小遣い帳の未記入分を全部父さんに報告する。真菜姉ちゃん……ホックは、自分でやって。僕に、母さんの代わりを求めないでよ」

 リビングが、凍りついたように静まり返った。

 父さんがゴミ箱から、汚れたグレーの靴下を震える指で拾い上げる。譲叔父さんがギターを静かに置く。佐藤先生が「甘っ……」と、泣きそうな声で呟いた。

 僕は、ランドセルを背負った。

 誰の顔も見たくなかった。

 玄関に向かいながら、僕は心の中で、ひび割れた誓いを立てる。

 今日の放課後、僕は市役所へ行く。

 窓口の職員に、大人たちには決して言えない「本当の願い」を告げるんだ。

「すみません、『家族の再履修』の手続きをお願いします。うちの大人たち、全員単位が足りてないので。……僕も、子供としての単位の取り方を、忘れちゃいそうなんです」

 バタン、と玄関のドアを閉める。

 背後から「修、待って! ネクタイが!」という絶叫が聞こえてきたが、僕は一度も振り返らなかった。

 朝の陽光が眩しすぎて、視界が白く滲んだ。

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