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人は自由の刑に処されている

薄暗い部屋の窓から、冷たい雨が静かに街を濡らしていた。

ミカは窓辺に座り、外の世界をぼんやりと見つめている。

雨粒がガラスを伝い、まるで自分の心の奥を映し出しているように見えた。


「私はここにいるのだろうか」

問いはいつも彼女の胸を締めつけた。


家族の期待、社会のルール、将来の約束――

それらはすべて見えない鎖となって彼女を縛りつけていた。

自由などという言葉は、遠い夢のように思えた。


日々は決まったパターンで過ぎていく。

学校へ行き、笑顔を作り、家に帰れば決まった食事と言葉が待っている。

誰かの理想の「ミカ像」がそこにはあった。


だが、心はそれを拒んでいた。

心の奥底で叫ぶ「私自身になりたい」という声が、日々の暮らしの中で小さく震えている。


彼女は机の引き出しから、いつも隠している日記帳を取り出した。

ペンを握る手は震えていたが、言葉を書き綴ることで自分を少しだけ取り戻せる気がした。


「自由って何だろう。私に自由はあるのだろうか。

選択できるってこと?それとも、責任を負うこと?

誰かに決められた人生を生きることが、生きているって言えるの?」


ミカは深く息をつき、窓の外に視線を戻した。

雨は止みそうになかった。

しかし、その雨の向こうにあるはずの光を、彼女はまだ探し続けていた。


ミカは日記帳のページをめくり、またペンを走らせた。


「自由が苦しいって聞いたことがある。

でも、自由がなければもっと苦しいのかもしれない。

今の私は、まるで誰かが書いたシナリオを演じているみたい。

でも本当は、自分の声で叫びたい。」


彼女の胸の中にぽっかりと空いた穴は、日増しに大きくなっていた。

それは親から与えられた「完璧であること」の期待、教師から押し付けられる「理想の生徒像」、友人関係のわずかなズレ。

どれも彼女の心を縛る細い鎖だった。


ある日、放課後の教室で、ミカは初めてその鎖を強く感じた。


友人のユリが無邪気に話しかけてきた。


「ミカ、今度のテスト、どうする?先生がすごく厳しくて…」


ミカは笑顔で答えた。

「うん、頑張るよ。」


その声は自分のものではないように感じられた。

彼女は心の中で叫んだ。


「違う。私がやりたいことは、これじゃない。」


その夜、ミカは布団の中で涙をこぼした。

泣いても誰も気づかない。

誰も彼女の本当の気持ちを知らない。


「自由が欲しい。私の声で生きたい。」


でも、どうすればいいのか、答えはどこにもなかった。




翌日、家に帰ると、母親はいつものように彼女の行動を細かくチェックしていた。


「ミカ、今日は何時に帰るの?宿題は終わったの?」


母親の声は優しいけれど、ミカには監視されているように感じた。


「大丈夫だよ」と答えたが、それは言葉だけの嘘だった。


「あなたはもっと成績を上げなきゃだめよ。将来のために」と母親は言った。


その言葉は、ミカの自由をますます奪っていく鎖の一環に思えた。


「将来のため」

「期待」

「成功」

その言葉たちが、彼女の心を窒息させていた。



そんな日々の中で、ミカの唯一の逃げ場は図書館だった。

静かで誰にも邪魔されない空間で、彼女は本の世界に没頭できた。


ある日、古びた哲学の本を手に取った。

サルトルの言葉が目に飛び込んできた。


「人は自由の刑に処されている。」


その言葉は衝撃的だった。


「自由は刑なんだ…?」


彼女はページをめくりながら考えた。


「自由って、責任を背負うことなんだ。

逃げられない苦しみ。でも、それが人間なんだ。」


その日から、ミカは日記に新しい言葉を書き加えた。


「私は自由の刑に処されている。

だからこそ、私は生きているのかもしれない。」



ある日、学校の帰り道、ミカはいつも通りに足早に歩いていた。

周囲の喧騒が遠く感じられ、彼女の心はどこか冷め切っていた。

「自由の刑に処されている」——その言葉が頭の中で何度も繰り返された。


ふと、路地裏の小さな公園で一人の少年がベンチに座っているのが目に入った。

彼は派手な服装でもなく、どこか影のある雰囲気をまとっていた。


「誰かに縛られているのは、僕も同じだよ。」

突然、その少年が声をかけてきた。


ミカは驚いて足を止めた。

「え?」

「君もそう思うんだろ?自由って刑だって。」

少年は苦笑した。

「僕の名前はアキラ。君は?」

ミカは少し戸惑いながらも答えた。

「ミカ。」


アキラはゆっくり話し始めた。

「僕はね、自由でありたいと思う。でも、自由って簡単に手に入らない。

自由っていう檻に入っているようなものなんだ。」


ミカはその言葉に引き込まれた。

彼もまた、自分と同じように苦しんでいるのかもしれないと思った。


それから二人は少しずつ話すようになった。

アキラは社会のルールや常識に反発し、時には自己破壊的な行動を取ることもあった。

だが、その裏には深い孤独と絶望が隠されていた。


ミカは彼との交流を通じて、自分の中の自由と支配の狭間で揺れ動く心を見つめ直すことになる。




ミカとアキラは、放課後の薄暗い図書館の隅で初めてまともに話し込んだ。

アキラは眼鏡の奥で鋭く光る瞳を揺らしながら、自分の内面を言葉にし始めた。


「自由ってのは、単に何でもできるってことじゃない。

誰もが束縛されている。法律、常識、家族、社会の目…

でも俺は、その束縛の中で自分の意思を貫こうとしてるだけだ。」


ミカは静かに頷いた。

「私も…ずっと誰かに決められた人生を生きてきた。

自由がないって、息が詰まる。」


アキラは軽く笑った。

「そうだろ?俺は家族にも見捨てられて、ずっと孤独だ。

自由を得るために戦ってるけど、その戦いは孤独だし、苦しい。」


ミカの胸の奥で、初めて誰かが自分と同じ痛みを抱えていることを知った。

しかし、その痛みを共有することが、同時に希望の光にも感じられた。



数日後、アキラは学校を休みがちになり、ミカは彼のことを心配し始める。

彼の自由を求める叫びは、やがて自身の限界を超えようとしていた。


ある夕暮れ、ミカはアキラの家の前で彼を待った。

扉が開き、疲れ切った顔のアキラが現れた。

彼はうつむき、声を震わせながら言った。


「自由になるって、こんなに苦しいなんて知らなかった。

俺はもう…もうどうしたらいいのかわからない。」


ミカはそっと彼の手を握った。

「一緒に考えよう。あなたが一人じゃないって、忘れないで。」


だが、その言葉がどこまで届いているのか、彼女にもわからなかった。




日々、アキラの心は深い闇に沈み込んでいった。

自由を追い求めた果てに訪れた孤独と絶望は、彼を蝕んでいた。

ミカは自分自身も追い詰められつつ、その姿を見守るしかなかった。


やがて、アキラは学校にも現れなくなり、連絡も途絶えた。

ミカはその喪失感に耐えられず、深夜、彼の部屋を訪ねた。


扉の向こうは静まり返り、部屋は荒れ果てていた。

そこに残された日記帳に、彼の叫びが綴られていた。


「自由は罰だ。刑だ。

逃げ場もなく、孤独の中でしか自分を保てない。

誰か、助けてくれ。」


ミカは震えながら涙を流した。

「あなたも苦しかったんだね。」


その夜、彼女の中の自由と支配の葛藤は、さらに深い影を落とした。




アキラが姿を消してから、ミカの世界は静かに崩れ始めた。


彼の残した日記を何度も読み返すたびに、胸の奥が締めつけられ、息が詰まりそうになる。

自由の刑とは何なのか。

自由とは果たして、誰のためのものなのか。


母親は相変わらず、成績や将来の話ばかりを口にした。

「あなたは何のために勉強しているの?しっかりしなさい。」

その言葉は、まるで重い鉄の棒で心を打ち付けられるようだった。


ミカは次第に学校にも行けなくなり、布団の中で過ごす時間が増えた。

日記帳には、混乱と孤独、そして自分自身を責める言葉が綴られていた。


「私が弱いから、アキラは壊れたのだろうか。

もし私がもっと強ければ、彼を救えたのだろうか。」


そんな問いは答えのない迷路のように、彼女を絡め取った。


ある夜、ふと窓の外を見上げると、遠くの街灯がぼんやりと揺れていた。

その光は彼女の心の中に灯る希望の火とも、絶望の淵ともつかない微かなものだった。


「自由の刑を背負いながら、私はどう生きればいいのか。」


ミカは小さく呟き、また日記にペンを走らせた。




その頃、アキラもまた、自分の中の闇と戦っていた。

彼は深い鬱状態に陥り、誰とも連絡を取らず、自室に閉じこもっていた。

自由を求めたはずの彼の心は、いつしか孤独の牢獄に囚われていた。


ある日、アキラは自分の部屋の壁に手をつき、息を荒げた。

「自由って、こんなに苦しいのか…。」


しかしその苦しみの中で、彼は一つの決意を固め始める。

「逃げてはいけない。自分の自由と向き合うんだ。」


その決意はまだ脆く、揺らいでいたが、闇の中の一筋の光でもあった。


ミカの毎日は、灰色の霧に包まれていた。

朝が来ることが恐ろしく、布団の中で目を閉じても安らぐことはなかった。


母親の言葉は耳に届かず、学校の連絡もいつしか無視していた。

友人たちの声も遠く、彼女は孤独の深い穴に沈んでいった。


ある晩、ミカは自分の影と向き合った。

鏡の中の自分が、まるで別人のように見えた。

その目は虚ろで、疲れ切っていた。


「もう、自由も支配もわからない。

ただ、苦しいだけ。」


彼女は深いため息をつき、日記帳に書き殴った。


「生きている実感が欲しい。

でも、自由は刑で、私はその刑を終えられない。」


涙が止まらなかった。

その夜、ミカはベッドの中で震え続けた。




翌日、母親が部屋に入ってきた。


「ミカ、大丈夫?もう限界なんじゃない?」


その言葉にミカは怒りと悲しみが入り混じった声で答えた。


「私のこと、わかってるの?誰も私のことなんてわからない。

私を自由にさせてよ。もう苦しいの。」


母親は言葉を失い、ただ黙って部屋を出て行った。


ミカはその後、誰にも会いたくなくなり、さらに自分の殻に閉じこもった。




部屋の明かりはつけていなかった。

カーテンも閉め切ったまま、アキラは端末の画面だけを見つめていた。

光がまぶしかった。痛かった。だけど、それしか世界との接点がなかった。


メッセージアプリの画面を開いて、ミカの名前をタップする。

そこには送られなかった言葉たちが、いくつも並んでいた。



「draft_01」


> ごめん、もう無理かもしれない。



送るつもりだった。けど、指が止まった。

送ってしまったら、なにかが終わってしまう気がした。



「draft_03」


> 会いたい、なんて言ったら迷惑かな。



いや、ミカなら怒らない。むしろ、笑ってくれる。

それでも、アキラの中の「声」が、耳元で囁いた。


——「お前なんか、もう必要ないんだよ。」



アキラは端末を枕元に放り投げた。

天井を見上げる。いや、ただの闇だった。まぶたを閉じても、閉じなくても、世界は同じ色をしていた。



しばらくして、アキラは息を吸って震える指でキーボードを叩く。



一度、画面を閉じた。

数分、いや数十分かもしれない沈黙のあと、彼はもう一度見つめた。


そして、**「送信」**をタップした。



その小さな「送信」は、彼にとっては世界への再接続だった。

一通のメッセージが、二人を孤独からすくい上げた。



彼女が不登校になってしばらくしてから、彼女の携帯に見知らぬ番号からメッセージが届いた。

「君のこと、気にかけている人がいる。無理しないで。」


その言葉は小さな光のように、彼女の心に差し込んだ。


ミカは少しずつ、外の世界に目を向け始めた。


ミカの心に差し込んだわずかな光は、突然のメッセージだった。


「君のこと、気にかけている人がいる。無理しないで。」


送り主は「アキラ」だった。

彼がどこにいるのか、何をしているのか、何もわからなかったが、その一言がミカの心を揺さぶった。


彼女は迷いながらも、返信を打った。

「ありがとう。私も苦しいけど、まだここにいる。」


返信が来るまでの時間は長く感じられたが、やがてアキラからの言葉が届いた。


「会いたい。話そう。」




数日後、雨の降る駅前でミカはアキラを待っていた。

彼は以前よりもやつれた顔をしていたが、その瞳はどこか穏やかだった。


「久しぶりだね。」

彼の声は弱々しかったが、確かにそこにあった。


二人は静かなカフェに入り、互いの沈黙を破った。


「自由って、やっぱり苦しいよな。」アキラが言った。

「でも、その苦しみの中で、僕らは少しずつ自分を見つけていくんだと思う。」


ミカは涙をこらえながら頷いた。

「私も、自分を見つけたい。自由の檻の中で、どうやって生きていけばいいのか分からないけど。」


アキラは優しく微笑んだ。

「一緒に探そう。答えはきっと、二人で見つけるものだから。」




雨は小降りになり、窓の外には淡い光が差し込んできた。

自由の刑に処されている彼らが、これからどんな道を歩むのかはまだわからない。

だが、互いの存在が、その先に続く希望の灯火となっていた。


ミカは深呼吸をして、初めて少しだけ前を向くことができた。


「これからは、私たちの時間だ。」




雨が上がり、街には新しい朝が訪れていた。

ミカとアキラは、カフェで過ごした時間の余韻を胸に抱きながら、それぞれの道を歩き始めていた。



家に帰ると、ミカは母親の言葉に耳を塞いでいた以前とは違った。

「私は私のままでいい」——その思いが心の奥底に芽生え始めていたからだ。


日記帳には、今までの暗闇を振り返りながらも、少しずつ未来への言葉が綴られていた。


> 「自由は苦しい。でも、その苦しみが私を私にしている。私はまだ生きている。そして、これからも歩いていく。」



学校へも少しずつ顔を出し、友人たちとぎこちなくも交流を再開した。

完璧であろうとする重圧は消えないが、ミカはそれに抗い、自分のペースで歩く決意を固めていた。




一方、アキラもまた、苦しみの中で小さな変化を感じていた。

彼は自室に閉じこもりながらも、ミカと交わす短いメッセージに支えられていた。


「自由は刑だと言ったけど、刑務所の中でも光は見える。」

彼はそうつぶやき、自分自身に言い聞かせていた。


その夜、アキラは部屋の窓を開け、冷たい風を浴びながら空を見上げた。星が一つ、静かに輝いていた。


「俺は、あの星みたいに、いつか輝けるだろうか。」


彼の孤独はまだ深いけれど、少しずつ未来への希望が灯り始めていた。




数日後、ミカとアキラは再び駅のベンチで会った。お互いの顔に、少しずつ生気が戻っているのを感じた。

「まだ全部はわからないけど、俺たちは一人じゃない。」アキラが言った。

ミカは微笑み返した。


「そうね。自由の刑を背負いながら、私たちは自由に生きていく。」


二人は互いの手を握り合い、新しい一歩を踏み出した。

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