第8話 風の噂と頑固な鍛冶師
リリアさんに秘密を打ち明け、
最初の依頼を成功させてから数日が経った。
俺はボロ小屋の修理を続けつつ、
来るべき次の依頼に備えていた。
リュウガはすっかり元気になり、
時折俺を乗せてリンドブルム周辺の空を散歩するのが日課になっていた。
風を切って飛ぶ爽快感は格別だが、
同時に首にしがみついて飛ぶことの限界も痛感していた。
「やっぱり、鞍がないと話にならんな…」
着陸するたびに、
俺は腰や腕の痛みに顔をしかめる。
安定性も悪いし、
何よりリュウガに負担をかけている気がしてならない。
荷物を運ぶための装備も必須だ。
未来への投資、まずは情報収集からだ。
俺は日中、街へ出て鞍や特殊な装備を作れそうな職人がいないか
聞き込みを始めた。
市場の露店、武具屋、
そして情報が集まりそうなギルドにも顔を出してみる。
「ドラゴンの鞍?
兄ちゃん、冗談きついぜ!」
「そんなもん作れる奴がいるわけねえだろ。
諦めな」
「そもそもドラゴンなんぞに近づく奴がいるか!」
反応はどこも似たり寄ったり。
冷やかしや嘲笑、あるいはあからさまな嫌悪感。
ドラゴンへの偏見は、俺が思っていた以上に根深いようだ。
(やっぱり難しいか…)
心が折れそうになる。
だが、諦めるわけにはいかない。
『ドラゴン便』を実現するためには、
絶対に乗り越えなければならない壁だ。
そんな中、
少しずつだが変化も現れ始めていた。
リリアさんが「こっそり」広めてくれているらしい噂が、
じわじわと効果を発揮し始めたのだ。
「あの…ケンタ運送さん、ですか?」
ある日の午後、小屋の前で看板を眺めていた小柄な男性が、
おそるおそる声をかけてきた。
「はい、そうですが…」
「実は、急ぎで隣町まで手紙を届けてほしくて…
薬屋のリリアさんから、ここならすごく速いって聞いて」
男性は、封蝋された一通の手紙を差し出した。
聞けば、遠くに住む息子が急病で、
一刻も早く安否を知らせたいのだという。
「お任せください!
必ず迅速にお届けします!」
俺は二つ返事で依頼を引き受けた。
料金は、相場の半額程度にしておいた。
今は利益よりも実績と信用だ。
すぐに森へ戻り、
リュウガに事情を説明する。
「頼むぞ、リュウガ! 緊急の手紙だ!」
リュウガは心得たとばかりに頷き、
俺を乗せて空へと舞い上がった。
前回よりも少しだけ慣れたとはいえ、
やはり鞍なしの飛行はキツい。
だが、依頼主の想いを考えると、弱音は吐けない。
リュウガの首に必死にしがみつき、風圧に耐える。
そして、今回もリュウガはその期待に応えてくれた。
隣町まで、わずか30分。
手紙を無事に届け終え、
依頼主の男性からは涙ながらに感謝された。
「ありがとう…本当にありがとう!
こんなに早く届けてくれるなんて…!」
彼は追加で銅貨を渡そうとしたが、
俺は固辞した。「お気持ちだけで十分です」と。
この一件を皮切りに、
ポツリ、ポツリとだが、「訳アリ」の急ぎの依頼が
舞い込むようになった。
もちろん、毎日依頼があるわけじゃない。
それに、リュウガの存在を隠している以上、
人目につかないように動く必要がある。
だから、一日にこなせる依頼は、
多くても2件か3件が限界だった。
朝一番、リリアさんの紹介で
「今日中に隣町の鍛冶屋に届けてほしい」という
特殊な鉱石の輸送依頼を受ける。
鉱石は衝撃に弱い。
俺は前職の精密機器輸送の経験を活かし、
布や緩衝材(森で集めた苔とか)で厳重に梱包。
リュウガにも「いつもより丁寧に頼むぞ」と念を押す。
リュウガはおっとりと頷き、ふわりと舞い上がると、
驚くほど振動の少ない滑らかな飛行で鉱石を届けきった。
昼過ぎには、別の依頼主から
「遠くの村にいる恋人に、この花束を今日の夕暮れまでに!」
というロマンチック(?)な依頼。
花が萎れないよう、濡らした布で包み、
風圧で花びらが散らないように工夫して運ぶ。
夕暮れギリギリに届け、依頼主からは
「君は愛のキューピッドだ!」と大げさに感謝された。
…ちょっと恥ずかしい。
夕方、小屋に戻ると、また別の依頼。
「大事な商談の書類を、明日の朝までに隣国の関所まで!」
これは長距離だ。
リュウガの体調を確認し、
十分な休息が取れるように時間を計算。
夜間の飛行は危険も伴うが、月明かりを頼りに、
慎重にルートを選んで飛ぶ。
無事に関所近くの森に到着し、
翌朝一番で書類を届ける。
こんな風に、依頼内容は様々だ。
だが、どんな依頼でも、
俺は時間管理を徹底し、
荷物の特性に合わせて丁寧な扱いを心がけた。
そして何より、リュウガの圧倒的なスピードが、
不可能を可能にした。
『ケンタ運送』は、その速さと確実性で、
限られた顧客の間で「最後の切り札」的な存在として
認知され始めていた。
もちろん、リュウガの存在は絶対に秘密だ。
依頼主には「企業秘密の特別な輸送手段です」とだけ説明している。
怪訝な顔をされることも多いが、
結果が全てを物語ってくれる。
依頼が増え、
一日中リュウガと空を飛び回る日も出てきた。
それに伴い、資金も少しずつ貯まってきた。
だが同時に、鞍と装備の必要性はますます高まっていた。
今のままでは、俺自身の体力が持たないし、
リュウガへの負担も心配だ。
運べる荷物の量や種類にも限界がある。
これ以上依頼が増えても、対応しきれないだろう。
事業の拡大は見込めない。
「やっぱり、専門の職人に頼むしかない…」
俺は改めて、ドラゴン用の装備を作れる職人を探す決意を固めた。
そんな折、リリアさんから有力な情報がもたらされた。
「ケンタさん、ドラゴンの鞍のことなんですけど…
もしかしたら、あの人なら作れるかもしれません」
「本当ですか!?」
「はい。街の職人地区の奥に工房を構えている、
ドワーフの鍛冶師なんですけど…
名前は、確かギドさん」
ドワーフ!
ファンタジー世界の定番、手先の器用な種族だ!
彼らなら、あるいは…!
「ただ…」リリアさんは少し言い淀む。
「そのギドさん、すごく頑固で偏屈だって評判で…。
人間嫌いとも言われていますし、
まともに話を聞いてもらえるかどうか…」
頑固で偏屈な職人か…。
まあ、腕の良い職人なんて、大体そんなもんだろう。
前職にもいたぞ、口は悪いけど腕はピカイチの整備士とか。
なんとかなる…はずだ!
「ありがとうございます、リリアさん!
とにかく、一度会ってみます!」
俺はリリアさんにお礼を言い、
早速、職人地区へと向かった。
リリアさんの言う通り、ギドの工房は
地区の一番奥まった、薄暗い路地にひっそりと建っていた。
看板もなく、ただ重々しい鉄の扉があるだけだ。
扉には「用があるなら名を名乗れ。無ければ去れ」と
無骨な文字が刻まれている。
…いかにも、って感じだな。
俺は深呼吸をして、扉を叩いた。
「ケンタ運送のケンタと申します!
ギドさんにお願いしたいことがあって伺いました!」
しばらく待っても、返事はない。
留守か?
もう一度、今度はもう少し強く叩こうとした瞬間、
扉がギィィ…と重い音を立てて内側に開いた。
中から現れたのは、想像通りの人物だった。
身長は俺の胸くらいまでしかないが、
肩幅は広く、筋肉質な体つき。
腰まで伸びた赤茶色の髭は、
丁寧に三つ編みにされている。
顔には深い皺が刻まれ、
鋭い目が俺を射抜くように見据えている。
ドワーフの鍛冶師、ギドだ。
「…何の用だ、人間」
その声は、岩を削るような、
低く嗄れた声だった。
「突然すみません、ギドさん。
実は、あなたに作っていただきたいものがありまして…」
俺は緊張しながらも、
単刀直入に切り出した。
「ドラゴンの…鞍と、
荷物を運ぶための装備を、
作っていただけないでしょうか?」
その瞬間、ギドの纏う空気が、
明らかに変わった。
さっきまでの不機嫌そうな雰囲気から一転、
鋭い敵意のようなものが俺に向けられる。
「…ドラゴン、だと?」
ギドは低い声で呟き、
俺を頭のてっぺんから爪先まで、
舐めるように見た。
「ふん…また酔狂な貴族の遊びか、
それとも命知らずの冒険者の戯言か。
どちらにせよ、俺の知ったことではない。
帰れ。
俺は、竜に関わるもんは作らん」
ギドはそう吐き捨てると、
扉を閉めようとした。
「待ってください!」
俺は咄嗟に、
閉まりかけた扉に手をかけた。
「遊びや戯言じゃありません!
俺は本気で、ドラゴンと共に新しい運送業を始めようとしているんです!
そのためには、どうしてもあなたの技術が必要なんです!」
俺は必死に訴えかけた。
ギドはピタリと動きを止め、
再び俺を見た。
その目には、侮蔑と、
ほんの少しの好奇心のような色が混じっているように見えた。
「…ほう?
この俺の技術が必要だと?
図々しいことを言う小僧だ」
彼は腕組みをし、
値踏みするように俺を見る。
「いいだろう。
そこまで言うなら、聞かせてもらおうか。
お前がやろうとしていること、
そして、なぜこの俺でなければならんのかをな」
彼の口調は依然として厳しいが、
少なくとも話を聞く気にはなってくれたようだ。
俺はゴクリと唾を飲み込み、
言葉を選びながら語り始めた。
異世界の物流の現状、
リュウガとの出会い、
そして『ドラゴン便』の構想。
なぜ安全な鞍と装備が必要なのか、
そして、最高の素材と技術を持つドワーフの鍛冶師である
ギドさんにしか、それは作れないのだ、と。
俺の熱弁を、ギドは黙って聞いていた。
表情は変わらない。
全て話し終えた後、長い沈黙が流れた。
やがて、ギドは重々しく口を開いた。
「…話は分かった。
だが、俺がそれを作るかどうかは、まだ決めかねる」
「そこをなんとか!」
「ふん。一つ、条件がある」
ギドはニヤリと、
意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前が言う、その『相棒』とやらを、
この目で見てみないことには、話にならん。
本当に、お前の言うような代物なのかどうか…
この俺の目で確かめさせてもらう」
リュウガを…見せる?
それは危険じゃないか?
だが、ここで断れば、もうチャンスはないかもしれない。
俺は一瞬迷ったが、
すぐに覚悟を決めた。
ギドの職人としてのプライドと、
その確かな腕を信じるしかない。
「…分かりました。
お見せしましょう。
俺の最高の相棒を」
俺はギドの挑戦的な視線を、
まっすぐに見返した。
頑固なドワーフ鍛冶師との、
困難な交渉が始まろうとしていた。