第7話 秘密の共有
リュウガの背に乗ってリンドブルムへ戻る空の旅は、
行きの興奮とはまた違った感慨があった。
眼下に広がる景色を見ながら、
俺はさっきのおばあさんの涙と、
「ありがとう」という言葉を思い出していた。
人の役に立つ。
想いを届ける。
ブラック企業で数字と効率だけを追い求め、
心をすり減らしていた俺にとって、
それは何よりも価値のある報酬に感じられた。
もちろん、ビジネスとして成立させなければ意味がない。
だが、この『ドラゴン便』は、
ただ儲けるだけじゃない、
もっと大きな意味を持つ事業になる。
そんな確信が、胸の奥で熱く燃えていた。
リンドブルムの街が見えてきた頃、
俺はリュウガに合図して、
拠点であるボロ小屋近くの森へと降り立った。
「ありがとうな、リュウガ。
お前のおかげだ」
相棒の首筋を力強く撫でる。
リュウガは気持ちよさそうに目を細め、
「グルゥ…」と穏やかに喉を鳴らした。
「ちょっと待ってろ。
すぐに戻る」
俺はリュウガを森に残し、
薬屋へと急いだ。
リリアさんに、無事任務を完了したことを
報告しなければ。
薬屋の扉を開けると、
ちょうどリリアさんが店番をしていた。
俺の顔を見るなり、彼女は駆け寄ってきた。
「ケンタさん!
お帰りなさい!
あの、おばあちゃんは…薬は…!?」
その表情は不安でいっぱいだ。
俺はニッと笑って、
親指を立ててみせた。
「任務完了。
今日の夕方まで、どころか、
昼過ぎにはお届けできましたよ。
おばあさん、すごく喜んでました」
「本当ですか!?
よかった…!」
リリアさんは心の底から安堵したように、
その場にへなへなと座り込んだ。
目には涙が浮かんでいる。
「ありがとうございます…!
本当に、ありがとうございます!
あなたを信じてよかった…!」
彼女は何度も頭を下げた。
そして、ふと顔を上げ、
不思議そうに俺を見た。
「でも…どうやってあんなに早く…?
馬車なら丸一日以上はかかる距離なのに…
ケンタさん、もしかして何か特別な魔法でも…?」
彼女の問いは当然だ。
俺がどうやって届けたのか、
説明がつかないはずだ。
俺は一瞬ためらった。
ドラゴンのことを話すべきか?
下手に話すれば、危険人物だと思われるかもしれない。
だが、リリアさんは俺を信じて、
大切な薬を託してくれたんだ。
それに、これから事業を続けていく上で、
信頼できる協力者は必要だ。
彼女なら、もしかしたら…。
俺は意を決した。
「リリアさん、
驚かないで聞いてください。
実は…俺には、
秘密の相棒がいるんです」
「相棒…ですか?」
「ええ。
ちょっと、こっちへ来てもらえますか?
ここじゃ話しにくいんで」
俺はリリアさんを促し、
薬屋の裏手、
少し人目につかない場所へ移動した。
そして、深呼吸を一つ。
「俺が荷物を運んだんじゃないんです。
運んでくれたのは…
俺の相棒の、ドラゴンなんです」
「…………え?」
リリアさんは、
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
数秒後、ようやく意味を理解したのか、
顔がサッと青ざめる。
「ド、ドラゴン!?
あの、伝説の…!?
危険じゃないんですか!?」
彼女の声は震えていた。
無理もない。
この世界では、ドラゴンは恐怖の対象と
されることが多いのだから。
「大丈夫です。
俺の相棒は、特別なんです。
名前はリュウガ。
賢くて、それに…とても優しいやつなんです」
俺はリュウガとの出会い、
怪我の手当てをしたこと、
そして今回の配達で協力してくれたことを、
掻い摘んで話した。
リリアさんは、
信じられないという顔で俺の話を聞いていたが、
次第にその表情から恐怖の色が薄れ、
代わりに強い好奇心と、
驚嘆の色が浮かび上がってきた。
「ドラゴンが…荷物を…?
だから、あんなに速かったんですね…」
彼女は納得したように呟いた。
そして、俺の目をまっすぐに見つめて言った。
「ケンタさん、すごい…!
そんなこと、誰も考えつかなかった!
それに、ドラゴンと心を通わせるなんて…!」
彼女の瞳は、
尊敬と興奮でキラキラと輝いていた。
…あれ? 意外と好意的な反応?
「ただ…このことは、
絶対に秘密にしてください。
リュウガのことが知られたら、
騒ぎになるかもしれないし、
危険な目に遭うかもしれない」
「はい!
もちろんです!
絶対に誰にも言いません!」
リリアさんは力強く頷いた。
どうやら、彼女は俺たちの秘密を
守ってくれるようだ。
心強い味方ができたかもしれない。
「それとケンタさん、
これ、受け取ってください!」
リリアさんはそう言って、
小さな革袋を俺に差し出した。
中には銅貨が数枚入っているようだ。
「えっ?
いや、今回はサービスだって言いましたし…」
「いいんです!
おばあちゃんを助けてくれたんですから!
それに、リュウガさん…でしたっけ?
彼にも美味しいものを食べさせてあげてください。
これは私からの感謝の気持ちです!」
リリアさんは半ば強引に革袋を
俺の手に握らせた。
その真剣な眼差しに、俺は断りきれなかった。
「…分かりました。
ありがたく頂戴します。
リュウガも、きっと喜びます」
「はい!」
リリアさんに見送られ、
俺は薬屋を後にした。
秘密を共有しただけでなく、
温かい気持ちとお礼まで受け取ってしまった。
なんだか心が軽くなった気がする。
さて、と。
これからどうするか。
まずは、今日の成功の立役者であり、
秘密を共有するきっかけをくれた相棒にご馳走だ。
俺は懐の革袋…
ウインド運送で稼いだ銅貨と、
さっきリリアさんから感謝の気持ちとして受け取った銅貨…
を確認する。
合わせて銅貨400枚ちょっとか。
よし、これでリュウガに特上のご馳走を買ってやろう。
市場へ向かい、
一番威勢のいい肉屋を探す。
「おっちゃん!
この中で一番上等な肉をくれ!
でっかいやつ!」
「へい、毎度!
兄ちゃん、今日はまた一段と景気がいいねぇ!」
俺は銅貨を奮発して、
巨大な骨付き肉の塊を買った。
リュウガは草食じゃなさそうだし、
きっと喜ぶはずだ。
ついでに、自分の分の安いパンと干し肉も買う。
ホクホク顔で森の洞窟へ戻ると、
リュウガは相変わらずおっとりとした様子で待っていた。
「おーい、リュウガ!
お待ちかねのご馳走だぞ!」
俺が肉の塊を見せると、
リュウガの黄金色の瞳がキラリと輝いた。
鼻をくんくんと鳴らし、
明らかにテンションが上がっている。
「ほらよ!
今日の報酬だ!」
肉を差し出すと、
リュウガは大きな口でガブリと食らいついた。
骨ごとバリバリと噛み砕き、
実に美味そうに食べる。
その姿を見ているだけで、俺も嬉しくなってくる。
「お前、本当に頑張ってくれたもんな。
ありがとう」
肉に夢中なリュウガの背中を撫でる。
温かい体温と、力強い生命力が伝わってくる。
こいつは、ただの乗り物じゃない。
俺の大切な相棒であり、
ビジネスの共同経営者ドラゴンだけどだ。
リュウガが満足そうに肉を食べ終えるのを
見届けてから、
俺は自分のパンをかじりながら、
今後のことを考え始めた。
今日の初仕事で、
確かな手応えは掴んだ。
だが同時に、課題も山積みだ。
まず、輸送方法。
俺がリュウガの首にしがみついて飛ぶのは、
正直言ってめちゃくちゃ怖いし、不安定だ。
風圧もすごいし、長時間は絶対に無理。
それに、荷物も背負える量には限界がある。
「やっぱり、鞍と、
荷物を固定する装備が必要だな…」
専用の鞍があれば、
もっと安定して乗れるはずだ。
荷物も、リュウガの体に負担をかけずに、
安全に固定できるような専用のハーネスや
コンテナみたいなものがあれば…。
次に、拠点の問題。
あのボロ小屋は、
あくまで一時的な事務所兼寝床だ。
荷物を大量に保管したり、
仕分けしたりするスペースはない。
それに、リュウガをいつまでも森に隠しておくわけにもいかない。
もっと広くて、安全で、
人目につきにくい場所が必要だ。
そして、人員。
今は俺一人だが、
依頼が増えてくれば、
受付や事務作業、荷物の管理、リュウガの世話など、
手が回らなくなるのは目に見えている。
信頼できる仲間が必要になるだろう。
リリアさんが手伝ってくれたり…しないかな?
いや、まだ早いか。
「金、だな…結局…」
鞍も、装備も、拠点も、人も…
すべて実現するには、先立つものが必要だ。
今の俺の手持ちは、
リュウガの肉代でかなり減ってしまった。
地道に依頼をこなして、
少しずつ資金を貯めていくしかないか。
そのためには、まず
『ケンタ運送』
(いずれは『ドラゴン便』に改名したいが)の
信用と実績を積み重ねることが重要だ。
リリアさんがこっそり宣伝してくれることに期待しよう。
そして、こちらからも何かアピールできないか?
「そうだ、看板くらいは作っておくか」
俺は小屋に戻り、
拾ってきた木の板に、
炭で文字を書き始めた。
『ケンタ運送 -
訳アリの荷物も、秘密厳守で迅速にお届けします!
まずはご相談を』
…前よりさらに胡散臭くなった気がするが、
まあいいか。
これで、何か特別な事情を抱えた依頼が
来るかもしれない。
これを小屋の前に立てておこう。
それから数日間、
俺は小屋の修理を続けながら、
依頼が来るのを待った。
リュウガは洞窟と森でのんびりと過ごし、
翼の傷もすっかり癒えたようだ。
時々、俺を背中に乗せて、
リンドブルム周辺の空を散歩するように飛んでくれる。
その度に、俺はこの事業の可能性を
再確認するのだった。
だが、現実は厳しい。
看板を立てても、
すぐに依頼が殺到するわけではない。
たまに「訳アリって何だ?」と
怪訝な顔で見ていく人はいても、
実際に依頼してくれる人は現れなかった。
「まあ、焦っても仕方ないか…」
俺はパンをかじりながら、
空を見上げた。
リュウガが気持ちよさそうに空を旋回している。
今は、雌伏の時だ。
来るべき飛躍の日に備えて、
できることを一つずつやっていこう。
まずは、リュウガに乗るための鞍について、
情報を集めてみるか。
ギルドの掲示板とか、市場の職人とかに聞いてみれば、
何か手がかりがあるかもしれない。
俺は立ち上がり、
埃っぽいズボンをはたいた。
未来への投資は、
地道な情報収集からだ。