第73話 氷原のオーロラ
アイスウルフの群れとの遭遇という、
最初の試練をなんとか乗り越えた俺たちは、
数日後、ついに吹雪の峠を越え、
広大な、見渡す限りの氷原へと足を踏み入れた。
そこは、まさに白銀の世界だった。
太陽の光は弱々しく、
空気は肌を刺すように冷たい。
風が吹くたびに、
粉雪がキラキラと舞い上がり、
幻想的な光景を作り出す。
だが、その美しさとは裏腹に、
生命の気配はほとんど感じられず、
ただ、どこまでも続く静寂と、
絶対的な孤独感が支配する、
厳しい世界だった。
「すごい…こんな景色、初めて見ました…」
リリアさんが、息を呑んで呟いた。
その瞳には、畏敬の念と、
ほんの少しの不安が浮かんでいる。
「ああ…だが、油断は禁物だ。
この美しい景色も、
一歩間違えれば、俺たちの墓場になりかねないからな」
俺は、気を引き締めながら言った。
スキルウィンドウのマップ情報によれば、
この氷原にも、
寒冷地に適応した危険な魔獣が
潜んでいる可能性がある。
その夜、俺たちは、
氷原の中にぽつんと存在する、
風を避けられる巨大な氷の壁の陰で、
野営の準備を始めた。
ケンタは、前職で得た知識…
いや、趣味のアウトドア雑誌で読んだ、
雪中キャンプのノウハウを思い出しながら、
手際よく雪洞のようなものを掘り、
風と寒さを凌げる空間を作り出した。
ギドさんも、ドワーフならではの知恵で、
特殊な発火石と乾燥した苔を使い、
あっという間に暖かな焚き火を熾してくれた。
その炎の温かさが、
凍えた俺たちの体にじんわりと染み渡る。
リリアさんは、持ってきた薬草の中から、
体を温める効果のあるものをいくつか選び出し、
雪解け水で熱いお茶を淹れてくれた。
その優しい香りと温かさが、
俺たちの疲れた心を癒してくれる。
ピクシー・ドレイクたちも、
最初は寒さに震えていたが、
焚き火の暖かさに気づくと、
嬉しそうに炎の周りに集まり、
小さな体を寄せ合って暖を取っていた。
その姿は、見ていて微笑ましい。
リュウガは、その巨体で風上側に陣取り、
俺たちのための天然の風除けとなってくれていた。
その黄金色の瞳は、
静かに燃える焚き火の炎を映し出し、
どこか物思いに耽っているようにも見える。
「なあ、リュウガ。
お前も、こんな寒い場所は初めてか?」
俺が声をかけると、
リュウガは、ゆっくりと俺の方へ顔を向け、
「グルゥ…」と小さく喉を鳴らした。
その声には、同意と、
そしてほんの少しの寂しさが混じっているような気がした。
こいつも、故郷や仲間と離れて、
俺と一緒に旅をしているのだ。
そのことを、俺は改めて胸に刻んだ。
やがて、空が完全に闇に包まれると、
信じられないような光景が、
俺たちの頭上に広がった。
オーロラだ。
緑、青、そして紫色の光のカーテンが、
まるで天女の羽衣のように、
夜空全体を優雅に舞い踊っている。
その美しさは、言葉を失うほどで、
俺たちは、ただ ・・・
その神秘的な光のショーに見入っていた。
「きれい…」
リリアさんの瞳には、
オーロラの光が映り込み、
星のようにキラキラと輝いている。
その横顔は、あまりにも美しく、
俺は、思わず見とれてしまった。
「フン、まあ、たまにはこういうのも悪くないか」
ギドさんも、いつもの不機嫌そうな顔を少しだけ緩め、
珍しく素直な感想を漏らした。
彼もまた、この世界の壮大な自然の美しさに、
心を動かされているのかもしれない。
焚き火の暖かさと、
オーロラの幻想的な光に包まれながら、
俺たちは、それぞれの想いを胸に、
静かな時間を過ごした。
「ケンタさん…」
不意に、リリアさんが、
小さな声で俺に話しかけてきた。
「私、ケンタさんと一緒にここに来られて、
本当によかったと思っています。
もちろん、危険なこともたくさんあるけれど…
でも、それ以上に、
毎日が新しい発見と、感動でいっぱいです。
ケンタさんがいなければ、
私は一生、リンドブルムの薬屋の娘として、
小さな世界しか知らずに生きていたかもしれません」
リリアさんの言葉は、
俺の心の奥深くに、温かく染み渡った。
俺の方こそ、彼女の優しさと勇気に、
どれだけ救われてきたことか。
「俺もだよ、リリアさん。
君と、ギドさんと、そしてリュウガがいなければ、
俺はとっくにこの世界で挫けていたかもしれない。
みんながいてくれるから、
俺は、どんな困難にも立ち向かっていけるんだ」
俺の言葉に、
リリアさんは、はにかむように微笑んだ。
その笑顔は、オーロラの光よりもずっと、
俺の心を明るく照らしてくれた。
ギドさんは、何も言わずに、
ただ黙って焚き火に薪をくべていたが、
その横顔は、どこか満足げに見えた。
俺たちは、この極寒の氷原で、
言葉にはしなかったけれど、
互いの絆の温かさを、
そして、共に未来を切り開いていくという、
揺るぎない決意を、
改めて確認し合った。
オーロラの光が消え、
空には無数の星が瞬き始める頃、
俺たちは、それぞれの寝袋に潜り込んだ。
明日もまた、厳しい旅が続くだろう。
だが、俺たちの心は、
不思議なほどに穏やかで、
そして希望に満ちていた。
リュウガの穏やかな寝息と、
ピクシー・ドレイクたちの小さな寝言を聞きながら、
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
夢の中で、俺は再び、
仲間たちと共に、
オーロラの輝く空を飛んでいた。




