第6話 最初の依頼と風の片鱗
ボロ小屋の前で腕組みしていた俺の前に現れたのは、
亜麻色の髪をした薬屋の娘さんだった。
名前は…確か、リリアさんと言ったか。
リュウガの傷薬を買いに行った時に、
何度か店番をしているのを見かけた。
歳は俺よりずいぶん下だろうが、
しっかりしてそうな印象だ。
「あの…すみません。
もしかして、何かお探しですか?」
彼女は薬草の入った籠を抱え、
少し心配そうにこちらを見ている。
「えっと…この小屋、
最近あなたが使い始めたんですよね?
何か、困ったことでも…?」
俺の薄汚れた恰好と、
今にも崩れそうな小屋。
怪しまれても仕方ない状況だ。
だが、これはチャンスかもしれない。
『ドラゴン便』の最初の顧客は、
意外なほど近くにいたのかも。
俺はゴクリと唾を飲み込み、
できるだけ人好きのする笑顔を作って向き直った。
「ああ、どうも。
ええ、ちょっと借りましてね。
実は…ここで新しい商売を始めようと思ってるんですよ」
「新しい商売、ですか?
こんな街の外れで?」
リリアさんは、きょとんとした顔で首を傾げる。
まあ、当然の反応だろう。
こんなボロ小屋で、
一体どんな商売を始めるというのか。
「ええ。その名も…
『ケンタ運送』!
…まあ、まだ名前は仮ですけど」
さすがに『ドラゴン便』とは言えなかった。
ドン引きされるのが目に見えている。
まずは当たり障りのない名前で様子を見る。
「運送業、ですか?
あなた一人で?」
「はい!
まだ始めたばかりで、
信用も実績もありませんが…
その分、誠意とスピードには自信があります!
何か運んでほしいものがあれば、ぜひ!」
俺は胸を叩いてアピールする。
根拠のない自信だけは、
なぜか満ち溢れていた。
リリアさんは、
俺の勢いに少し驚いたようだったが、
困ったように眉を下げた。
「運送…ですか。
実は、ちょうど困っていたことがあって…」
「えっ、本当ですか!?」
食いつく俺に、リリアさんは頷く。
「はい。
隣村に住んでいる祖母が、
急に熱を出してしまって…。
特効薬になる薬草があるんですが、
それがこのリンドブルムの薬屋にしかなくて」
彼女は抱えた籠の中の、
一際丁寧に包まれた薬草包みを指差した。
「それで、いつもの運送ギルドに頼もうとしたんですが…」
リリアさんはため息をつく。
「一番早い便でも、
届くのは早くて一週間後だって。
それでは、間に合わないかもしれないんです…!」
彼女の声には、
切実な響きがこもっていた。
一週間…か。
ウインド運送なら三週間だったから、
それよりはマシだが、それでも遅すぎる。
急病の祖母を待たせるには、
あまりにも長い時間だ。
これが、この世界の物流の現実。
「他の運送屋さんは?」
「いくつか当たりましたが、
どこも同じようなものでした。
もっと早く運んでくれるところもあるにはあるんですが、
料金がとても高くて…」
リリアさんは俯いてしまう。
薬屋とはいえ、裕福なわけではないのだろう。
俺は黙ってリリアさんの話を聞いていた。
そして、確信した。
これだ。
これこそ、『ドラゴン便』が最初に解決すべき問題だ。
「…分かりました」
俺は静かに口を開いた。
「そのお荷物、
俺が届けますよ」
「えっ? でも…」
リリアさんは驚いて顔を上げる。
「隣村までですよ?
あなた一人で、どうやって…?」
「そこは、企業秘密ということで」
俺はニヤリと笑ってみせる。
「ただ、一つだけ言えるのは、
この街のどの運送屋よりも、
圧倒的に早く届けられる、ということです」
「本当…ですか?」
リリアさんの瞳に、
疑いと、ほんの少しの期待の色が浮かぶ。
「ええ。
今日の夕方までには、必ずお届けします。
どうです? 俺に任せてみませんか?」
今日の夕方。
馬車なら丸一日以上、
リザードカーゴなら数日はかかる距離だ。
普通に考えれば、ありえない提案だろう。
リリアさんはしばらく迷っていた。
見ず知らずの、胡散臭い男。
ボロ小屋で運送業を始めるとか言ってる時点で怪しさ満点だ。
大切な薬を、そんな奴に託せるだろうか?
だが、彼女の祖母の命がかかっている。
藁にもすがりたい気持ちなのだろう。
リリアさんは意を決したように、
俺をまっすぐに見つめた。
「…分かりました。
あなたを信じてみます。
お願いします、ケンタさん!」
彼女は薬草の包みを、
俺にそっと手渡した。
ずしりと重い、命の重みだ。
「お代は…?」
「いえ、最初の依頼ですから、
今回はサービスです。
その代わり、もし無事に届けられたら、
他の人にも宣伝してくださいね?」
「はい! もちろんです!」
こうして、俺は記念すべき
『ドラゴン便』の初依頼を
(ケンタ運送名義だが)受注した。
依頼主は、心優しい薬屋の娘、リリアさん。
届け先は隣村。
荷物は、彼女のおばあさんの命を救うかもしれない薬草。
失敗は絶対に許されない。
「では、行ってきます!」
俺はリリアさんに力強く頷き、
薬草の包みを大事に抱えて、
小屋の裏手にある森へと急いだ。
森の奥、
リュウガが待つ洞窟へ。
「リュウガ!
起きろ! 初仕事だぞ!」
洞窟に着くと、
リュウガはおっとりとした様子で昼寝をしていた。
俺の声に気づき、
ゆっくりと大きな目を開ける。
「グルゥ…?」(なんだ?)
とでも言いたげな顔だ。
「説明は後だ!
とにかく、こいつを隣村まで届ける!
最速でな!」
俺は薬草の包みをリュウガに見せる。
リュウガは鼻をくんくんと鳴らし、
それが重要なものだと理解したのか、
真剣な表情になった。
問題は、どうやって荷物を運ぶか、だ。
リュウガの背中に乗って運ぶのが一番だが、
まだ鞍も何もない。
荷物を固定する道具もない。
「仕方ない…
原始的だが、これで行くか」
俺は丈夫そうな蔓をいくつか集め、
薬草の包みを自分の背中にしっかりと括り付けた。
リュウガには悪いが、
俺ごと運んでもらうしかない。
「いいか、リュウガ。
隣村まで、全力で飛んでくれ!
俺がしっかり掴まってるから!」
俺はリュウガの首筋に跨り、
その硬い鱗にしがみつく。
リュウガは少し窮屈そうだったが、
文句も言わずに翼を広げた。
「行くぞ!」
バサァッ!!
リュウガが力強く地面を蹴る!
次の瞬間、俺の体は強烈なGと共に宙に浮いた!
「うおおおおおっ!?」
思わず声が出る。
眼下に見える森が、
あっという間に小さくなっていく。
風が、轟音と共に体を叩きつける。
振り落とされまいと、
必死でリュウガの首にしがみつく。
速い!
速すぎる!
これが、ドラゴンの本気か!
眼下には、
緑豊かな大地が広がっている。
街道をノロノロと進む馬車やリザードカーゴが、
まるで豆粒のようだ。
俺たちが今、体験しているスピードは、
この世界の常識を遥かに超えている。
「すごい…本当に飛んでる…!」
風圧で涙目になりながらも、
俺は興奮を抑えきれなかった。
リュウガは、
まるで慣れたパイロットのように、
安定した飛行を続ける。
時折、俺を気遣うように振り返り、
「グル」(大丈夫か?)と喉を鳴らす。
「大丈夫だ、リュウガ!
最高だぜ!」
俺が叫ぶと、
リュウガは嬉しそうに一声鳴き、
さらにスピードを上げた。
隣村までは、
直線距離で約50キロ。
馬車なら丸一日、
リザードカーゴなら数日。
しかし、リュウガの翼にかかれば…
わずか30分後。
俺たちは、目的地の『せせらぎの村』の上空に
到達していた。
「着いた…!
早すぎるだろ…!」
あまりの速さに、
笑いが込み上げてくる。
これなら、どんな緊急輸送だって可能だ。
俺はリュウガに合図し、
村の外れ、人目につかない森の中に
着陸してもらった。
「ありがとう、リュウガ!
ちょっとここで待っててくれ!」
リュウガの首をポンポンと叩き、
俺は薬草の包みを背負ったまま、
村へと急いだ。
リリアさんから聞いていた住所を頼りに、
一軒の小さな家を見つけ出す。
扉を叩くと、
中から心配そうな顔をした老婦人が現れた。
リリアさんのおばあさんだろう。
顔色は悪く、咳き込んでいる。
「あ、あの、
リンドブルムの薬屋のリリアさんから、
お届け物です!」
俺は息を切らしながら、
薬草の包みを差し出した。
「まあ…!
リリアから?
こんなに早く…?」
おばあさんは驚きと喜びで目を見開いた。
「はい!
特急便で!」
俺は胸を張って答えた。
おばあさんは何度も何度もお礼を言い、
涙ぐんでいた。
その姿を見て、
俺の胸にも熱いものが込み上げてくる。
ただ荷物を運んだだけじゃない。
人の命を、想いを繋いだんだ。
これこそ、俺がやりたかったことだ。
おばあさんに見送られ、
俺は再びリュウガの元へ戻った。
「やったぞ、リュウガ!
初仕事、大成功だ!」
俺が報告すると、
リュウガは満足そうに目を細めた。
さあ、リンドブルムへ帰ろう。
リリアさんに、良い報告をしないと。
帰り道、
リュウガの背中に揺られながら、
俺は確かな手応えを感じていた。
『ドラゴン便』は、
間違いなくこの世界を変える。
もちろん、課題は山積みだ。
鞍や荷物固定具の開発、
料金設定、
宣伝方法、
そして何より、
ドラゴンへの偏見をどう乗り越えるか…。
だが、今日の成功体験が、
俺に大きな勇気を与えてくれた。
相棒のリュウガとなら、
どんな困難も乗り越えられるはずだ。
リンドブルムの街が見えてきた。
俺たちの挑戦は、まだ始まったばかりだ。