第5話 蒼き竜の目覚めと始まりの小屋(ベース)
リュウガとの衝撃的な出会いと、
ゴブリンたちとの遭遇戦から数時間。
俺はまだ、
胸の高鳴りを抑えきれずにいた。
瑠璃色のドラゴン、リュウガ。
その圧倒的なスピードと、言葉を超えた絆の予感。
そして、脳裏に閃いた『ドラゴン便』という、
この世界の常識を覆すであろうビジネスモデル。
これだ!
これしかない!
心は叫んでいる。
今すぐにでもリュウガの元へ駆けつけ、
計画を練り、実行に移したい!
だが、焦りは禁物だ。
リュウガはまだ翼の傷が癒えていない。
無理はさせられないし、安全な隠れ家も必要だ。
そして何より、俺自身がまだウインド運送との契約期間中。
日当銅貨15枚で雇われた、ただの人足なのだ。
社会人としての(いや、元・社畜としての)けじめ、というやつか。
ここで依頼を放り出すのは、筋が通らない。
それに、これから自分の事業を始めるなら、なおさら信用は大事だ。
まずはこの三週間の契約を、きちんと満了しなければ。
「おいケンタ!
遅かったじゃねえか!
水汲みに何時間かかってんだ!」
森から戻ると、
バーンズ親方の怒声が飛んできた。
他の人足たちも、訝しげな顔で俺を見ている。
「す、すみません!
ちょっと道に迷っちまって…
あ、でも、これ見つけました!」
俺は咄嗟に、さっき摘んだベリーを差し出した。
リュウガの手当てに使った薬草や、
ゴブリンとの一件は胸の内にしまい込む。
リュウガの存在は、まだ絶対に秘密だ。
「ちっ、使えねえ新人だな。
ほら、さっさと荷物の見張り番代われ!」
親方は舌打ちしながらも、
ベリーはしっかり受け取った。
…まあ、そういうところだ。
その日から、
俺の心は二つに引き裂かれていた。
体はリザードカーゴと共に、
遅々として進まない街道を進んでいる。
だが、魂はあの森の奥、
傷ついたドラゴン・リュウガの元へ飛んでいた。
(あいつ、ちゃんと隠れてるだろうか…
傷は大丈夫か…
腹、減ってないか…?)
仕事中も、食事中も、寝る前も、
リュウガのことばかり考えてしまう。
穏やかで、どこかマイペースなリュウガの大きな瞳を思い出す。
集中力が散漫になっているのは自分でも分かった。
親方からは「おいケンタ、ぼーっとしてんじゃねえ!」と
何度も怒鳴られた。
「すみません!」と頭を下げながらも、
心の中では反論していた。
(ぼーっともするさ!
こっちは未来の超高速輸送システムのことで頭がいっぱいなんだよ!
あんたらのノロノロ蜥蜴とは次元が違うんだ!)
もちろん、そんなことは口が裂けても言えない。
俺はひたすら、目の前の仕事…
荷物の積み下ろし、リズの世話、焚き火の準備…
を黙々とこなした。
退屈で、もどかしくて、気が狂いそうだった。
早く、早くこの三週間が終わってくれ!
俺にはやるべきことがあるんだ!
異世界の物流の非効率さを目の当たりにするたびに、
リュウガの翼が思い起こされた。
雨で道がぬかるみ、リザードカーゴが立ち往生する。
リュウガなら、こんなのひとっ飛びなのに。
夜盗を恐れて遠回りをする。
リュウガなら、空から一直線なのに。
荷物が雑に扱われ、中身が少し壊れてしまう。
リュウガなら、もっと丁寧に運べるのに。
この三週間は、俺にとって
『ドラゴン便』の優位性を再確認するための、
貴重な(そして苦痛な)時間となった。
そして、長く、長く感じられた三週間が、
ようやく終わりの日を迎えた。
俺たちは目的地の隣町…
名前は『せせらぎの村』だったか…
に、無事(?)到着したのだ。
「ふぅー、やっと着いたか!」
バーンズ親方は大きく伸びをしながら、
俺たち人足に労いの言葉…ではなく、
日当を配り始めた。
「ほらよ、ケンタ。
お前は途中、ちょいとぼーっとしてたから、
銅貨2枚減額な」
「ええっ!? そ、そんな…」
抗議しかけたが、
親方の有無を言わさぬ視線に、
ぐっと言葉を飲み込んだ。
まあいい。これで自由の身だ。
差し引かれた日当
(それでも総額で銅貨400枚近くにはなった)を、
ずしりと重い革袋で受け取る。
これが俺の、異世界での最初の元手だ。
「それじゃあな、新人。
達者でやれよ」
親方はそれだけ言うと、
さっさと次の仕事の準備にかかった。
ドライなもんだ。
「…お世話になりました」
俺は誰に言うでもなく呟き、
ウインド運送一行に背を向けた。
もう振り返ることはないだろう。
さあ、これからだ!
俺は革袋をしっかりと握りしめ、
リンドブルムへと続く道を、
今度は自分の足で駆け出した。
待ってろよ、リュウガ!
リンドブルムへ戻る道は、
来た時とは比べ物にならないほど速く感じられた。
もちろん、物理的な距離は変わらない。
俺の気持ちの問題だ。
途中、夜は野宿をしながらも、
数日でリンドブルム近郊の森まで戻ってきた。
緊張しながら、
リュウガと別れた森の奥へと進む。
「リュウガ…?」
あの洞窟の前で呼びかけると、
すぐに中から穏やかな「グルゥ…」という声が聞こえ、
大きな瑠璃色の頭がゆっくりと現れた。
いた! 無事だった!
「リュウガ! よかった…!」
駆け寄ると、リュウガは大きな黄金色の瞳を細め、
ゆっくりと俺の体に鼻先をすり寄せてきた。
まるで大きな猫みたいだ。
くすぐったい。
翼の傷を確認する。
最後に見た時よりもさらに回復し、
もうほとんど傷跡は目立たなくなっていた。
これなら、もう飛べるだろう。
「心配したんだぞ、お前…」
俺はリュウガの首筋を撫でながら、
この三週間の出来事を(一方的に)語って聞かせた。
ウインド運送の愚痴とか、
異世界の物流への不満とか、
そして『ドラゴン便』への熱い思いとか。
リュウガは、相変わらずおっとりとした様子で、
俺の言葉に静かに耳を傾けていた。
時折、気持ちよさそうに目を閉じたり、
小さく喉を鳴らしたりする。
まるで俺の話を子守唄か何かのように聞いているみたいだ。
でも、その瞳の奥には確かな知性と優しさが宿っているのが分かる。
「よし、リュウガ。
これからはずっと一緒だ。
まずは、俺たちの拠点を見つけるぞ!」
俺はリュウガの回復を喜び、
そして新たな決意を固めた。
次のステップ――
それは、『ドラゴン便』の拠点を構えることだ。
依頼を受けるための事務所、
荷物を一時保管するスペース、
そして何より、リュウガが安心して休める場所が必要だ。
俺はウインド運送で稼いだ銅貨を元手に、
再びリンドブルムの街へ向かった。
目指すは、街の外れにある寂れた地区。
家賃が安い物件があるかもしれない。
不動産屋なんて便利なものはないから、
足で探すしかない。
埃っぽい道を歩き回り、
空き家と思しき建物の家主に片っ端から声をかけていく。
だが、現実は甘くない。
「新しい商売? 何をするんだ?」
「保証人はいるのか?」
「その銅貨じゃあ、物置すら貸せんわ!」
怪しまれたり、足元を見られたり。
異世界での信用ゼロの若者が、
まともな物件を借りるのは至難の業だ。
ドラゴンがいるなんて、口が裂けても言えない。
心が折れそうになりながらも、
諦めずに探し続ける。
そして、半日ほど歩き回った末、
ようやく一軒の空き家を見つけた。
それは、街の最外れ、
森との境界線近くに建つ、
今にも崩れそうな古い小屋だった。
元は木こりの作業小屋だったらしい。
屋根には穴が空き、
壁も所々剥がれ落ちている。
お世辞にも綺麗とは言えない。
だが、ここなら街の中心部から離れているし、
裏はすぐ森だ。
リュウガを隠しておくには好都合かもしれない。
持ち主だという人の良さそうな爺さんに交渉すると、
「どうせ誰も借り手がいないボロ小屋だ。
好きに使っていい。
ただ、たまに掃除くらいはしてくれよ」と、
驚くほど安い家賃(月々銅貨数枚レベル)で
貸してくれることになった。
ありがてぇ…!
こうして、俺はついに
『ドラゴン便』の最初の拠点
(という名のボロ小屋)を手に入れた。
早速、穴の空いた屋根を塞ぎ、
壁を補修し、最低限の掃除をする。
中は狭いが、俺一人が寝泊まりするには十分だ。
荷物を置くスペースもある。
リュウガは…まあ、普段は裏の森にいてもらおう。
拠点ができた。
相棒の翼も、ほぼ完治した。
いよいよだ。
『ドラゴン便』、始動の時が近づいている。
問題は、どうやって最初の依頼を取るか、だ。
ギルドに登録する?
いや、いきなり「ドラゴンで運びます!」なんて言ったら、
頭がおかしいと思われるのがオチだ。
やはり、地道に宣伝するか?
「超高速! ドラゴン便!」なんて看板でも立てるか?
…いや、ますます怪しまれるな。
どうしたものか…と、
ボロ小屋の前で腕組みして悩んでいると、
不意に背後から声がかかった。
「あの…すみません。
もしかして、何かお探しですか?」
振り返ると、そこには、
少し心配そうな顔をした少女が立っていた。
年は…16、7歳くらいか?
亜麻色の髪をサイドで結び、
薬草の入った籠を抱えている。
見覚えがあるような…
あ、そうだ。街の薬屋の娘さんだ。
リュウガの傷薬を買いに行った時に、
何度か見かけた。
彼女は、俺の貧相な身なりと、
ボロ小屋を交互に見て、
少し戸惑ったように続けた。
「えっと…この小屋、
最近あなたが使い始めたんですよね?
何か、困ったことでも…?」
これは…チャンス、なのか?
最初の依頼人は、
意外とすぐ近くにいるのかもしれない。
俺はゴクリと唾を飲み込み、
少女に向き直った。
「ええ、実は…
ちょっと新しい商売を始めようと思ってましてね」
俺の異世界での挑戦が、
今、本当に始まろうとしていた。