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第3話 絶望の蜥蜴(リザード)便

目の前に鎮座する、

全長5メートルはあろうかという巨大な緑の爬虫類。


その鈍く光る鱗、

地面を掴む太い四肢、

そして背後に繋がれた、

およそ「運送用」とは思えぬほど巨大で古びた木製の荷車。


これが…『ウインド運送』?


ウインドのように速い、

のではなくて…?


「おう、あんたがギルドから紹介された新人かい!

俺がここの責任者のバーンズだ。

ウインド運送へようこそ!

さあ、こいつがうち自慢の『リザードカーゴ』よ!

風のように速い…とは言わねえが、

こいつがなきゃ商売上がったりさ!」


恰幅の良い親方、バーンズ氏は悪びれる様子もなく、

巨大トカゲ…リザードカーゴの、

まるで岩のような首筋をバンバンと叩いた。


トカゲは迷惑そうに、

しかし特に抵抗するでもなく、

大きな瞬きを一つした。

その爬虫類特有の、

感情の読めない瞳が、

一瞬だけ俺を捉えた気がした。


いや、そこは言ってくれよ!

「風のように速い」って部分を!

ウインドって名前が泣いてるぜ!


俺は強烈なめまいを覚えた。

なんだこの世界は。

効率という概念は、

道端の石ころ以下の価値しかないのか?

それとも、このトカゲが実は時速300キロで走るとか?

いや、ないな。どう見ても鈍重そうだ。

名前に偽りありすぎだろ!


「あ、あの…

これで、隣町まで…

どれくらいの時間が…?」


震える声で尋ねるのが精一杯だった。

頼む、せめて数日であってくれ…!


「んー? ああ、隣町までか。

そうだな、こいつ(リズって呼んでやってくれ)の足と、

あと街道のゴブリン退治とかな。

夜は野営も必要だし…

まあ、順調にいって三週間ってとこか!」


バーンズ親方は、こともなげに、

指を三本立てて見せた。


「さ、…………さんしゅうかん!?」


俺の口から、

魂が音を立てて抜け出していくのが分かった。


三週間!?

隣町まで!?

日本なら、どんな僻地だって翌日か、

遅くとも翌々日には届く距離だぞ!?

それが、三週間!?


異世界ライフ、開始わずか半日にして、

超絶ブラック(物理的にも遅い&誇大広告)な現場に

放り込まれることが確定した瞬間だった。


…まあ、ブラックなのは…慣れてるけどさ!

ちくしょう!


***


ウインド運送での初仕事が始まって、

早や一週間が過ぎた。


…いや、正確には「まだ」一週間か。

体感時間的には、すでに一ヶ月、

いや、一年は経過している気がする。


それくらい、

このリザードカーゴとかいう代物での移動は、

肉体と精神の両方を、

容赦なくゴリゴリと削り取っていく。


全長5メートル超の巨大トカゲ『リズ』が引く、

軋む木製荷車。

所属はウインド(風)運送。


うん、何度考えても何もかもが間違っている。

風要素は皆無。

むしろ無風。

なぎ

時が止まっているんじゃないかと錯覚するほどの、

絶望的な遅さだ。


俺の仕事は、

山と積まれた荷物

(中身は穀物袋から、

なんだかよく分からない鉱石まで様々だ)の積み下ろしと、

この巨大トカゲ『リズ』の世話

(水やりと、たまに巨大なミミズみたいな餌を与える)、

そして道中のあらゆる雑用全般。


日当銅貨15枚は、

この世界の物価を考えれば、

日雇いとしては破格なのかもしれない。

だが、この苦行に見合っているとは到底思えん!


だって、本当に、

進まないんだもん!


舗装などという文明的なものは存在しない、

土と石ころだらけの街道を、

リズはのっし、のっし、と歩く。


その一歩は確かに大きい。

だが、いかんせん歩調が遅すぎる。

まるでスローモーション映像を見ているようだ。


時速にして…体感3キロくらいか?

俺が普通に早歩きした方が、

間違いなく速いレベルだ。

荷車が重いせいもあるだろうが、

それにしても遅すぎる。


「親方ぁ、こいつ、

もうちょい速く歩けないんスか?

ウインド運送って名前なんですから、

もうちょっとこう、シャキッと…」


ある日の昼下がり、

照りつける太陽と、

単調な揺れと、

絶望的な遅さに耐えかねて、

御者台で居眠りしかけているバーンズ親方に声をかけた。


「んあ? リズの速度にか?

無理言うなや新人。

こいつはこれでも頑張ってる方だ。

それに、急いだところで街道がこれじゃあな」


親方は顎で前方をしゃくった。

見れば、昨晩の雨でできたらしい巨大な泥濘ぬかるみが、

道を完全に塞いでいた。

荷車がハマったら、それこそ一巻の終わりだ。

迂回するしかない。

迂回すれば、さらに時間がかかる。

悪循環だ。


「それに、ウインドってのはな、

『風のように気ままに運ぶ』って意味でつけたんだ。

速さのことじゃねえ」


「…………マジすか」


まさかの意味違い。

いや、絶対後付けだろそれ!

ツッコミたい気持ちで喉が張り裂けそうになるのを、

ぐっと堪える。

俺はまだ新人、

しかも異世界の常識を知らないよそ者だ。

ここで波風を立てるのは、

賢明な判断とは言えない。


それにしても、

この世界の物流システムは、

本当にどうなっているんだ?


隣町まで三週間。

これが『普通』。


急ぎの荷物はどうするのかと聞けば、

「知らねえな。運が良けりゃ早く着くんじゃね?」だと。

ふざけるな。

運任せの物流なんて、あってたまるか!


その夜、

パチパチと爆ぜる焚き火を囲みながら、

他の荷運び人足たち

(俺と同じく、日雇いで雇われたらしい)と話す機会があった。

彼らは皆、この絶望的な状況を、

まるで当たり前のこととして受け入れていた。


「昔っからこんなもんだろ?

リズが頑張ってくれてるだけマシさ」


「ああ、前の雇い主のとこじゃ、

荷物が半分盗賊に持っていかれたこともあったぜ」


「貴族様なら、空飛ぶ竜…

飛竜便とかいうのを使うらしいがな。

俺ら平民には、夢のまた夢の話だ」


「荷物が無事に着くだけで、

ありがてえと思わねえとな」


皆、諦めたような、

達観したような表情で語る。

その目には、改善への期待など微塵も感じられない。


違う、違うんだよ! みんな!


俺は心の中で、

もどかしさに身悶えしながら叫んでいた。


便利さを知らないってのは、

不幸なことなんだ!

諦めちゃダメなんだ!


なあ、みんな。

ちょっと想像してみてくれよ。


俺がいた世界…『ニホン』ではな、

物が届くのは『明日』が基本なんだぜ?


例えば、夜寝る前にさ、

「あ、あれ欲しいな」って思うだろ?

スマホ(っていう、手のひらサイズの魔法の板だ)を取り出して、

画面を指でちょいちょいってする。

○天とかア○○○っていう、

何でも売ってる不思議な店でな。


そしたら、早ければ次の日の午前中には、

家の玄関まで、ちゃんと笑顔で届けてくれるんだ。

信じられるか?

この三週間かかる道のりを、

一晩でだぞ!?


「は? 何言ってんだお前?

頭でも打ったか?」


「寝ぼけてんのか、ケンタ。

夢でも見たんだろ」


「魔法使いの話か?

そんな便利な魔法があるなら、

今頃苦労してねえよ」


人足たちは、

呆れたような、

あるいは馬鹿にしたような顔で俺を見る。


…ダメだ。

全く伝わらない。

そりゃそうだよな。

この三週間が『普通』の世界で、

翌日配送なんて言っても、

ただの与太話、

夢物語にしか聞こえないに決まってる。


でも、本当なんだ。


ニホンの物流は、

まるで魔法みたいなんだよ。


まず、注文を受けると、

巨大な倉庫…『物流センター』って言うんだけど、

そこには何十万、何百万種類もの商品が、

コンピューターで完璧に管理されて保管されてる。

注文が入ると、ロボットや人が連携して、

まるで光の速さで、その商品を探し出すんだ。


次に、それをトラック

(馬のいない荷車みたいなもんだ)に積み込む。

何百台、何千台ものトラックが、

列島…つまり国中を、

まるで血管みたいに張り巡らされた

『高速道路』っていう特別な道を、

昼も夜も走り回ってる。

GPSっていう空からの目と、

AIっていう超賢い頭脳が、

一番効率の良いルートを瞬時に計算して、

ドライバー(運転手だ)に指示を出すんだ。


だから、多少道が混んでいようが、

天気が悪かろうが、荷物は止まらない。

常に、最適なルートで動き続けてる。


そして、届け先だ。

「午前中に持ってきて」とか

「夜の18時から20時の間がいい」とか、

時間指定も当たり前にできる。

家にいなくても、

近くのコンビニ

(っていう、24時間開いてる超便利な店だ)で受け取れたり、

宅配ボックスっていう専用の箱に、

安全に入れといてもらったりもできる。


今、自分の荷物がどこにあって、

いつ頃届くのかも、

スマホでいつでも確認できるんだ。

『輸送中』とか『配達中』とか、リアルタイムでな。

まるで水晶玉で未来を見ているみたいだろ?


もちろん、たまには遅れたり、

荷物が壊れたりすることもあるさ。

人間がやることだからな。

でも、そしたらどうなると思う?

平謝りだよ。

「大変申し訳ございません!」って、

担当者が飛んできて頭を下げる。

場合によっては、商品代金を全額返金したり、

お詫びの品を送ったりもする。

それが、当たり前のサービスなんだ。


それに比べて、

このエルドラードとかいう世界はどうだ?


三週間。

まず、この時点で論外だ。

生鮮食品なんて運べるわけがない。腐る。

緊急の薬? 届く前に患者が死ぬわ。


追跡?

できるわけがない。

「荷物はどこだい?」

「さあな。リズの腹の中か、

ゴブリンの巣の中か、

あるいは街道の泥の中かもしれん。

神のみぞ知るってな!」

…笑えねえよ!


時間指定?

「は? 届けば文句言うな。

贅沢言うんじゃねえ」だ。

不在だったら? 知るか。

再配達なんて親切な概念はない。

また三週間後、気が向いたらな、だ。


荷物の扱い?

藁を適当に詰めてりゃマシな方。

雨ざらし、泥まみれは日常茶飯事。

中身が壊れても「運が悪かったな」で終わり。

補償? なにそれ美味しいの?状態だ。


そして、極めつけは料金だ。

こんなに遅くて、不便で、リスクだらけなのに、

輸送費は決して安くない。

むしろ、べらぼうに高い。

特に長距離や、ちょっと重い荷物になると、

銀貨が何枚も飛んでいく。

平民には、特別な時以外、

まず手が出せないレベルになる。


「なんで…

なんでこんな非効率で、

理不尽なことがまかり通ってるんだ…」


俺は焚き火の揺らめく炎を見つめながら、

心の底から湧き上がる疑問と怒りを、

どうすることもできずにいた。


理由はいくつか考えられる。


まず、圧倒的な技術不足。

馬車やリザードカーゴより速い移動手段がない

(と、誰もが思い込んでいる)。

道路インフラも劣悪すぎる。


次に、情報の閉塞性。

他の街や国がどうなっているのか、

もっと効率的な方法があるんじゃないか、

そういう情報が全く共有されていない。

人々は、自分の村や街の常識が、

世界の全てだと思い込んでいる。


そして、一番根深いのは、

たぶん『諦め』だ。


「昔からこうだから」

「仕方がない」

「変わるわけがない」

…そういう重苦しい空気が、

この世界全体を覆い尽くしている気がする。

変化を恐れ、現状維持に甘んじている。


前職のブラック物流会社だって、

確かにひどいもんだった。

長時間労働、低賃金、パワハラ上司。

思い出すだけで吐き気がする。

でも、少なくとも

『より速く、より確実に、より安く』届けようという、

歪んでいながらも切実な意志はあった。

そのための技術開発や、

血の滲むような現場の努力や工夫は

(たとえそれが俺たち末端の社畜を

犠牲にする形であっても)存在したんだ。


でも、この世界には、

それすら感じられない。


ただ、惰性で、

昨日と同じように、

のろまなトカゲに荷車を引かせているだけ。


そこには、改善も、進歩も、

未来への希望もない。


「変えたい…」


心の奥底から、

熱い何かが、

ふつふつと湧き上がってくるのを感じた。


それは、怒りか、

使命感か、

あるいは単なる元・物流マンとしての意地か。


こんなの、

絶対に間違ってる。


物流は、

人々の生活を支える、

社会の血脈なんだ。

それが滞れば、経済も、文化も、

そして人々の命さえも、

ゆっくりと確実に蝕まれていく。


俺には特別な力も、

潤沢な金もない。

異世界チート能力なんて、

都合のいいものも持っていない。


でも、知識と経験ならある。


あの忌々しいブラック企業で、

嫌というほど叩き込まれた、

現代日本の高度な物流ノウハウがある。


そして何より、

「こんなのおかしい」

「もっと良くできるはずだ」という、

燃えるような強い思いがある。


「見てろよ、

異世界…エルドラード…」


俺は夜空に輝く、

見たこともない奇妙な形の星座に向かって、

静かに、しかし力強く呟いた。


「俺が、

この淀んだ世界の物流システムを、

根底からひっくり返してやる…!」


そのためには、まず、

この絶望的にノロマなリザードカーゴに代わる

『何か』が必要だ。


圧倒的なスピードで、

この世界の常識という名の分厚い壁を

ぶち破る、何か…。


そんな都合のいいものが、

この剣と魔法の世界に、

果たして存在するのだろうか?


いや、存在するはずがない、

なんて誰が決めた?


見つけるんだ。

俺が、この手で。

絶対に。


決意を新たに、

俺は硬く冷たい寝床に潜り込んだ。


明日もまた、

気の遠くなるような、

遅々として進まない旅が続く。

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