第38話 死線からの脱出
カサ…カサカサ…!
無数の赤い点が、
闇の中で不気味に蠢き、
じりじりと俺たちに迫ってくる。
巨大な毒蜘蛛の群れ。
その数、十数匹…いや、もっと多いかもしれない。
カチカチと鳴る鋭い顎が、
松明の光を反射して鈍く光る。
奴らの殺気が、肌を刺すように伝わってくる。
「くそっ…!
こんなところに、魔獣の巣があったなんて…!」
俺は咄嗟に、
ギドさんにもらった黒煙弾を強く握りしめた。
だが、この狭い洞窟の奥まった空間で使えば、
俺たち自身も煙に巻かれ、視界を奪われる。
それに、この数だ。
一時的に目を眩ませたとしても、
完全に逃げ切れる保証はどこにもない。
リュウガは、俺を守るように前に立ち、
威嚇の唸り声を低く響かせている。
だが、その翼はまだ痛々しく、
本来の力を発揮できる状態ではない。
この閉鎖された空間で、
あの巨体でまともに戦えるはずもなかった。
絶体絶命。
まさに、この言葉が相応しい。
せっかく見つけた、
運送ギルドの不正を暴くかもしれない証拠の山も、
このままでは水の泡だ。
いや、それどころか、俺たちの命が危うい。
「どうする…
どうすれば、この状況を切り抜けられる…!」
俺の頭は、警鐘を乱打しながら、
必死で活路を探していた。
恐怖で心臓が早鐘のように鳴り響き、
冷や汗が背中を伝う。
諦めるわけにはいかない。
ここで終わるわけには、絶対に、いかないんだ!
(そうだ…黒煙弾は、視界を奪うだけじゃない。
あの刺激臭…もしかしたら、
嗅覚の鋭い魔獣には、より効果があるかもしれない!)
俺は、一縷の望みを託し、
リュウガに視線で合図を送った。
言葉は通じなくても、
俺たちの間には、確かな絆があるはずだ。
「リュウガ!
俺が合図したら、一気に後退するぞ!
煙に巻かれないように、できるだけ低く!」
「グルルッ…!」
リュウガは、俺の覚悟を察したかのように、
短く、しかし力強く応えた。
俺は、毒蜘蛛たちが数メートル先まで迫ってきた瞬間を狙い、
黒煙弾を力任せに地面に叩きつけた!
バシュゥゥゥッ!!
金属製の筒が甲高い音を立てて破裂し、
一瞬にして、濃密な黒い煙が
洞窟の空間を満たしていく!
目を開けているのも辛いほどの刺激臭が鼻をつき、
視界は完全に奪われた。
「グギャアアアアッ!?」
「キシャアアアアッ!」
毒蜘蛛たちの、苦しげな、
そして怒りに満ちたような叫び声が、
煙の中で反響する。
やはり、この刺激臭は奴らにとっても強烈だったようだ!
「今だ、リュウガ!
退路確保!」
俺は叫びながら、
リュウガの巨体に手を伸ばし、
その鱗にしがみつくようにして飛び乗った!
鞍はない。だが、今はそんなことを言っている場合ではない!
リュウガは、俺が乗ったのを確認すると、
煙の中を、まるで最初から道が見えていたかのように、
驚くほど正確に、そして迅速に後退を開始した!
その動きは、翼の傷を感じさせないほど力強い。
俺は、煙で咳き込みながらも、
片手で松明を掲げ、
もう片方の手で、
先ほど見つけた木箱の中から、
一番上にあった羊皮紙の束を数枚、
無我夢中で掴み取り、懐にねじ込んだ!
全てを持ち出すのは不可能だ。
だが、何か一つでも、証拠になるものを…!
「キイイイイッ!」
背後からは、依然として毒蜘蛛たちの追撃の気配が迫る。
煙が晴れれば、奴らはすぐに追いついてくるだろう。
「リュウガ、もっと速く!
入り口まで、あと少しだ!」
リュウガは、俺の言葉に応えるように、
最後の力を振り絞り、洞窟の通路を駆け抜ける!
その背中の揺れは激しく、
俺は何度も振り落とされそうになったが、
必死で耐えた。
そして――
眩しい外光が、煙の向こうに見えた!
洞窟の入り口だ!
俺たちは、文字通り転がり込むようにして、
洞窟の外へと飛び出した!
新鮮な空気を吸い込み、激しく咳き込む。
全身は煤と汗で汚れ、
服もところどころ破れていた。
「やった…のか…?
逃げ切れた…のか…?」
俺は、荒い息を整えながら、
洞窟の入り口を振り返った。
幸い、毒蜘蛛たちが追ってくる気配はない。
あの黒煙と、洞窟の複雑な構造が、
俺たちに僅かな時間を与えてくれたのだろう。
「はぁ…はぁ…リュウガ、大丈夫か…?」
リュウガも、肩で大きく息をしていた。
翼の傷口からは、再び血が滲んでいる。
無理をさせてしまった…。
「すまない、リュウガ…。
俺のせいで…」
「グルゥ…」
リュウガは、俺の言葉を遮るように、
優しく鼻先を俺の頬にすり寄せてきた。
その黄金色の瞳は、
「気にするな」と語っているようだった。
俺は、懐にねじ込んだ羊皮紙の束を、
震える手で取り出した。
数枚しかない。
だが、そこには確かに、
リンドブルム運送ギルドの紋章と、
何やら怪しげな数字や名前がびっしりと書き込まれていた。
これが、ギルドの不正を暴く『切り札』になるかどうかは、
まだ分からない。
だが、俺たちは確かに、
何かを掴んだのだ。
「…帰ろう、リュウガ。
リンドブルムへ。
そして、仲間たちと、次の手を考えよう」
俺は、再びリュウガの背に跨った。
翼の傷が痛むのか、リュウガの飛び立ちは少しぎこちなかったが、
それでも力強く、俺たちを乗せて空へと舞い上がった。
眼下には、先ほどまで死闘を繰り広げていた
岩山の洞窟が小さく見える。
運送ギルドの影。
そして、洞窟の魔獣。
俺たちの前には、次から次へと困難が立ちはだかる。
だが、俺はもう、一人じゃない。
信頼できる相棒と、
そして、リンドブルムで俺たちの帰りを待つ仲間たちがいる。
掴んだ微かな光明を胸に、
俺は、傷ついた翼で飛ぶリュウガと共に、
リンドブルムへの帰路を急いだ。




