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第36話 動き出す歯車

工房での、あの夜の誓いから一夜が明けた。


リンドブルムの空は、

運送ギルドが撒き散らした黒い噂とは裏腹に、

まるで何も知らぬ赤子のように、

ただ青く、どこまでも澄み渡っていた。


だが、俺たちの心は、鉛を飲んだように重い。

いや、むしろこれから始まるであろう戦いを前に、

張り詰めた弓のような、

ピリピリとした緊張感が肌を刺す。


「…よし、行こう」


俺は、夜明けの冷気と共に無理やり目を覚まし、

まだ眠たげなリリアさんと、

既に炉に火を入れていたギドさんに声をかけた。

感傷に浸っている暇など、一瞬たりともない。

やるべきことは、まるで終わりの見えない伝票のように、

山積みだった。


「ケンタさん…」


リリアさんは、まだ不安の色を隠せない瞳で俺を見上げたが、

やがて、こくりと小さく頷いた。

その瞳の奥には、もう涙の影はなく、

困難に真正面から立ち向かおうとする、

凛とした意志の光が灯っていた。

彼女は、強い。

俺が思っている以上に、ずっと。


「フン、寝ぼけた顔をしおって。

さっさと準備しろ、小僧。

時間は、お前さんの都合なんぞ待ってくれんぞ」


ギドさんは、いつも通りのぶっきらぼうな口調で毒づいたが、

その手には既に愛用の金槌が握られ、

工房の炉は、まるで彼の闘志を映すかのように、

ゴウゴウと赤黒い炎を上げていた。

彼もまた、覚悟を決めたのだ。

この戦いに、共に挑む覚悟を。

その背中が、やけに頼もしく見えた。


俺たち三人は、それぞれの役割を果たすべく、

夜明けの薄明りの中、静かに動き出した。


まず、ギドさんだ。


彼はリュウガの新しい隠れ家である崖下の洞窟へ、

夜明け前から向かっていたらしい。

戻ってきた時には、その額にうっすらと汗が滲んでいた。

周囲の地形を巧みに利用し、

ドワーフ族に古くから伝わるという巧妙な罠や、

侵入者を感知するための警報装置を仕掛け始めた。

それは、長年の経験と勘が織りなす、

まさに職人技の結集。

素人目には、ただの岩や木の蔓にしか見えないだろう。

だが、その一つ一つに、ギドさんの知恵と技術が詰まっている。


「これで、ネズミ一匹近づいても、

このわしの耳には届くわい。

ゴードンの手先の、あのコソ泥どもが嗅ぎ回ろうものなら、

ちと痛い目を見ることになるだろうよ」


戻ってきたギドさんは、

額の汗を革の手甲で拭いながら、

満足そうに顎髭を扱き、そう豪語した。

その手は休むことなく動き続け、

洞窟の入り口には、

万が一の時のための頑丈な岩の扉

(に見せかけた、巧妙なカラクリ扉)まで設置し始めた。

まるで秘密基地を作る子供のように、

その目はどこか楽しげですらあった。

この状況を楽しんでいるのか、あるいは、

俺たちを安心させようとしているのか…。


さらに、俺の『ドラゴンギア Lv.1 改』の修理と改良にも

取り掛かってくれた。

矢傷や、先日の無理な飛行で歪んだ箇所を、

手際よく、しかし驚くほど丁寧に修復していく。

その真剣な眼差しは、まさに職人のそれだ。


「忌々しい投網対策だ。

ワイバーンのなめし革を何枚も重ねて強度を上げ、

切れにくいと言われる魔獣の腱で縫い合わせる。

これなら、多少の衝撃にも耐えられよう。

それから、お前が言っていた煙幕だが…

これを使え」


ギドさんが、油の染みた布から取り出して俺に手渡したのは、

ずしりと重い、黒光りする奇妙な形の金属製の筒だった。

ひんやりとした感触が、手のひらに緊張感を伝える。

これが、俺たちの切り札になるかもしれない。


「ドワーフ秘伝の『黒煙弾』だ。

地面に叩きつければ、周囲を一瞬で黒煙に包み込む。

ワイバーンごときの目を眩ますくらい、造作もないわ。

ただし、使いどころを間違えるなよ。

風向きによっては、お前自身が煙に巻かれることになるからな。

肝に銘じておけ」

ギドさんの言葉は厳しいが、その奥には確かな信頼が感じられた。


「ありがとうございます、ギドさん!

これなら…!」


俺は黒煙弾を、まるで命綱のようにしっかりと握りしめた。

心強い武器が増えた。

これで、少しは戦える。

希望の光が、確かに見えた気がした。


一方、リリアさんは、

薬屋の仕事の合間を縫って、

これまで以上に慎重に、街の情報収集を開始した。


彼女は、持ち前の人当たりの良さと、

薬屋の娘という、街の人々からの信頼を活かし、

市場の商人や、ギルドに出入りする人々、

時には衛兵の下っ端の者たちからも、

世間話に紛れ込ませるようにして、

それとなく情報を引き出していく。

その姿は、まるで小さな密偵のようだ。

彼女のその勇気と機転には、いつも驚かされる。


「ケンタさん、やっぱり街の雰囲気は良くないです。

ギルドの流した噂を信じ込んでいる人も多くて…

『ドラゴン便は危険なドラゴンを使い、街に災いを呼ぶ』って、

あちこちで囁かれています。

子供たちまで、そんなことを口にしているのを聞いて、

とても悲しくなりました…」


夕方、疲れきった顔で小屋に戻ってきたリリアさんは、

俯きながら報告した。

その声には、隠しきれない怒りと悲しみが滲んでいる。

彼女の優しい心が、街の悪意に傷ついているのが伝わってきて、

俺は胸が締め付けられる思いだった。


「でも、中には『ドラゴン便のおかげで助かった』って

言ってくれる人もいました。

特に、以前ケンタさんが薬を届けた村の人たちは、

『ギルドの噂なんてデタラマだ!ドラゴン便こそ正義だ!』って

怒ってましたよ」


少しだけ、リリアさんの顔に、

はにかんだような笑みが戻る。

その小さな光が、俺の心を温める。

そうだ、俺たちは間違っていない。


「それと…衛兵の動きですが、

どうやら本気で私たちを探しているみたいです。

特に、森へ続く道は見張りが厳しくなっています。

ゴードンさんが、衛兵隊長に多額の金品を渡して

手懐けたという噂も…」

リリアさんの声が、再び不安に揺れる。


「そうか…ありがとう、リリアさん。

本当に、無理はしないでくれよ。

君に何かあったら、俺は…」

俺はリリアさんの労をねぎらい、

言葉を飲み込んだ。

彼女が集めてくる情報は、

俺たちの命綱になるかもしれない。

だが、それ以上に、彼女の無事が何よりも大切だった。

この優しい少女を、絶対に危険な目に遭わせるわけにはいかない。


そして、俺自身は…。


リュウガと共に、

リンドブルム周辺の空を、

これまで以上に慎重に、そして広範囲に飛びながら、

『切り札』の捜索を開始した。

スキルウィンドウのマップ機能を最大限に活用し、

これまで飛行したことのない未踏のエリアや、

人の寄り付かないような険しい秘境を、

虱潰しに探索する。

リュウガも、俺の焦りを感じ取っているのか、

いつもより静かに、しかし力強く翼を動かしてくれる。


(ギルドの不正の証拠…

そんなものが、そう簡単に見つかるはずもない。

だが、諦めるわけにはいかない。

何か手がかりがあるかもしれない。

例えば、ギルドが秘密裏に何かを運び込んでいる場所とか、

あるいは、ゴードンが個人的に何かを隠している、

人目につかない倉庫とか…)


俺は、スキルウィンドウに表示される

様々な情報を、食い入るように分析する。

物の流れ、人の動き、

そして、微弱ながらも感知できる、

不自然な魔力の痕跡…。

この世界に来てから、俺の五感は妙に鋭くなっている。

それを信じるしかない。


(あるいは、強力な後ろ盾…

王都の宮廷魔術師か、ヴェリタスのマードックさんか。

彼らに手紙を書いて、助けを求めるべきか?

いや、まだ状況が流動的すぎる。

下手に外部の人間を巻き込めば、

事態がさらに悪化し、彼らにまで危険が及ぶ可能性もある。

それは避けたい…

俺たちの問題は、俺たちで解決したいんだ)


焦りと不安が、黒い霧のように胸をよぎる。

だが、今は地道に情報を集め、

一筋の光明を、辛抱強く待つしかない。

社畜時代に培った忍耐力は、伊達じゃないはずだ。


そんなある日、

俺はリュウガと共に、

リンドブルムの北に広がる、

ごつごつとした岩肌が剥き出しになった険しい岩山地帯を、

息を殺すように低空で飛行していた。

ここは、普段は獰猛な魔獣すら寄り付かないような、

荒涼とした土地だ。

風が岩肌を削る音だけが、不気味に響いている。


(こんな場所に、何かあるとは思えないが…

万が一ということもある。念のため、調べておくか)


スキルウィンドウのマップにも、

特に目立った情報はない。

諦めて引き返そうとした、その時だった。


「グルゥ…?」


リュウガが、不意に短い、しかし鋭い唸り声を上げ、

ある一点を、射抜くように見つめた。

その黄金色の瞳が、何かを捉えたように細められる。


その視線の先には、

巨大な岩山の影に隠れるようにして存在する、

小さな、黒々とした洞窟の入り口のようなものが見える。

まるで、獣の巣穴のようだ。


「どうした、リュウガ?

何か気になるのか?

あんな場所に、何かあるとでも言うのか?」


リュウガは、俺の言葉に応えるように、

ゆっくりと、しかし確かな意志を持って、

そちらへ高度を下げ始めた。

あいつの、人間にはない鋭い感覚が、

何かを捉えたのかもしれない。

俺は、リュウガのその勘を信じることにした。


俺は、ゴクリと唾を飲み込み、

リュウガと共に、その謎めいた洞窟へと

吸い込まれるように近づいていった。

心臓が、嫌な予感と、ほんの少しの期待で高鳴る。


そこには、一体何が待ち受けているのだろうか…?

希望か、それともさらなる絶望か。



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