リリアの冒険日記 第二話:市場の小さな声と、キラキラ光る蜂蜜の瓶
ケンタさんに頼まれた「市場調査」。
その言葉の響きだけで、
私の心は、なんだか特別な任務を授かったみたいに
ドキドキしていた。
リンドブルムの中央市場は、
今日も朝から、たくさんの人々の熱気で
むせ返るようだった。
色とりどりの野菜や果物、
焼きたてのパンの香ばしい匂い、
遠い国のものらしい不思議な香辛料の香り。
その全てが、私の鼻をくすぐり、
心をウキウキさせてくれる。
(よし、頑張るぞ!)
私は、小さな革のポシェットをぎゅっと握りしめ、
まずは馴染みのある薬草売りの一角へと向かった。
「こんにちは、マルタさん!
今日も、お店には素敵な薬草がたくさんですね!」
薬草売りのマルタおばさんは、
ふくよかな体と、太陽みたいな笑顔が素敵な、
この市場でも一番の古株だ。
私のお父さんも、よくマルタさんから
珍しい薬草を仕入れている。
「あら、リリアちゃんじゃないの。
今日は薬屋さんの店番じゃないのかい?
お父さんは相変わらず元気かい?」
マルタさんは、いつものように
大きな声で私を迎えてくれた。
「はい、お父さんも元気です!
今日は、ちょっと市場の様子を見に来たんです。
マルタさんのところは、いつも珍しい薬草があって、
本当にすごいなって思うんですけど、
ああいう珍しい薬草って、
仕入れるのが大変なんじゃないですか…?」
ケンタさんが言っていた、
「物がどこから来てどこへ行くのか、その流れ」…
『ブツリュウ』のことだ。
それを知るのが、今日の私の最初の任務。
マルタさんは、私の言葉に、
ふぅ、と大きな、本当に大きなため息をついた。
その顔には、いつもの太陽みたいな笑顔が、
少しだけ曇って見えた。
「大変なんてもんじゃないよ、リリアちゃん。
あんたも薬屋の娘だから分かるだろうけど、
この『月光草』なんて、見てごらん。
暗闇でぼんやり光る、夜間の仕事をする人には
欠かせない薬草だけどね、
これは、ここから馬車で三日もかかる、
隣の隣の、もっと高い山脈の奥深くの崖っぷちまで行かないと
採れないんだからね」
マルタさんが指差した『月光草』は、
確かに、他の薬草と比べても
ずっと値段が高く設定されていた。
私も、お店で扱う時には、
その値段にいつもドキドキしてしまう。
「往復するだけで何日もかかるし、
途中でゴブリンや、もっと悪い盗賊に襲われる危険だってある。
だから、どうしても、この値段になっちまうんだよ。
お客さんには、いつも申し訳ないと思ってるんだけどねぇ…」
マルタさんの声には、深い苦労が滲んでいた。
(遠くの物を運ぶのは、やっぱり時間もかかるし、
危険もいっぱいなんだ…
だから、値段も高くなっちゃうんだな…)
私は、ケンタさんの言葉を思い出しながら、
羊皮紙のメモに、
「月光草、輸送困難、高価、危険伴う」と、
小さな文字で、でもしっかりと書き留めた。
「それにね、リリアちゃん。
この『太陽の実』みたいに、
特定の時期にしか採れない、
とってもデリケートなものもあるだろ?
これは、南の暖かい地方の特産品で、
リンドブルムではなかなか手に入らないから、
すごく高く売れるんだけどね…」
マルタさんは、今度は真っ赤な、
宝石みたいにキラキラした実を手に取って見せてくれた。
「ここまで運んでくる間に、
半分くらいは傷んでしまって、売り物にならなくなることも
珍しくないんだよ。
もっと早く、そしてもっと丁寧に、
まるで自分の子供を運ぶみたいに
安全に運ぶ方法があれば、
私たちも、そしてお客さんたちも、
どれだけ助かることか…」
マルタさんの言葉の一つ一つが、
ケンタさんが言っていた「物流の課題」そのものだった。
遠くの物を安全に運ぶことの難しさ。
そして、鮮度が命の、デリケートな品物を
どうやって新鮮なまま届けるかという、大きな問題。
私は羊皮紙に、
「太陽の実、鮮度維持困難、輸送中の破損ロス多し」と、
ケンタさんが後で読んでも分かるように、
少しだけ詳しく書き加えた。
マルタさんにお礼を言って、
次に足を運んだのは、
色とりどりの野菜や果物が、
まるで小さな山のように積まれている、
農家の人たちが集まる賑やかなエリアだ。
見ているだけで、なんだか元気が出てくる。
「こんにちは!
このカボチャ、すごく大きいですね!
ツヤツヤしていて、とっても美味しそうです!」
笑顔が優しくて素敵な、
働き者の農家のおばさんに話しかけると、
彼女は「あら、薬屋のリリアちゃんじゃないの!」と、
嬉しそうに顔をほころばせてくれた。
このおばさんのお店には、時々、
お母さんのお使いで野菜を買いに来ることがある。
「ああ、リリアちゃんかい。
そうだろう? 今年はカボチャが、それはもう見事に大豊作でねぇ。
嬉しいんだけど、実は、ちと困ってもいるのさ」
「困ってるんですか?
こんなに立派で、美味しそうなカボチャがたくさんなのに?」
私は、不思議に思って尋ねた。
「うん。たくさん採れすぎちまって、
このリンドブルムの市場だけじゃ、
とてもじゃないけど売りさばけなくてね。
おかげで、カボチャの値段も、
去年の半分くらいになっちまって…。
隣町の市場なら、もう少し高く売れるって話も聞くんだけど、
あそこまで、この重たくてかさばるカボチャを
荷馬車で運ぶ手間と時間を考えると、
結局、運賃の方が高くついちゃって、
赤字になっちまうんだよ。
ああ、この可愛いカボチャたちが、
まるで鳥みたいに空でも飛んで、
高く買ってくれる人のところに、
ひょいっと届けられたら、どんなに良いかねぇ…」
おばさんは、
大きな、丸々としたカボチャを、
まるで我が子のように優しく撫でながら、
冗談めかして、でも心の底から寂しそうに笑った。
「豊作貧乏」…
ケンタさんが、以前そんな難しい言葉を教えてくれたのを思い出す。
どんなに良いものがたくさんあっても、
それを本当に必要としている人の元へ、
ちょうど良い時に、ちょうど良い量だけ届けられなければ、
その価値は、悲しいくらいに下がってしまう。
これもまた、荷物を運ぶということの難しさなんだ。
私は「カボチャ、たくさん採れても運びきれず農家の人が困っている。
他の町へ運べればもっと喜ばれるはず」と、
しっかりメモに書き留めた。
市場をゆっくりと歩いていると、
ふと、美しい模様が描かれた陶器を売るお店の前で、
いつもは陽気な店主のおじさんが、
がっくりと肩を落として頭を抱えているのが目に入った。
お店の隅には、無残に割れた陶器の破片が
たくさん散らばっている。
どうしたんだろう…?
「どうしたんですか、旦那さん?
何か、大変なことでもあったんですか…?」
私が心配して声をかけると、
店主のおじさんは、顔を上げて、
力なくため息をついた。
「ああ、リリアちゃんか…。
いやね、さっき、遠くの窯元から
やっとのことで運び込んできた荷馬車がな、
市場の入り口の、あのガタガタした石畳の段差で
大きく揺れちまって、
積み荷の一番上にあった、
とびきり上等な絵付けの壺が、
いくつも、いくつも割れちまったんだよ…。
丁寧に、それはもう丁寧に、
藁で何重にも包んで、
揺れないようにしっかり固定しておいたつもりだったんだがねぇ…」
店主は、足元に散らばる、
色鮮やかな陶器の破片を、
本当に悲しそうに、そして悔しそうに見つめている。
一つ一つ、職人さんが心を込めて作った、
世界に一つしかない大切な作品だったのだろうに…。
「壊れやすいものは、
運ぶのが本当に、本当に大変でね。
馬車の速度を落としても、
道の悪いところじゃ、どうしても揺れてしまう。
もっとこう、荷物が揺れないように、
ふんわりと、優しく運べるような、
何か特別な運び方でもあればいいんだがねぇ…。
それか、空飛ぶ絨毯でもあれば別だがな、はっはっは…」
おじさんは、力なく、そして自嘲するように笑った。
ケンタさんがいつも口癖のように言っている、
「丁寧な梱包」と「安全な輸送」の重要性を、
私は改めて、そして痛いほどに実感した。
ただ物を運ぶだけじゃダメなんだ。
その荷物に込められた、作り手の想いも、
そして受け取る人の笑顔も、
一緒に、大切に届けなければ意味がない。
それもまた、荷物を運ぶということの、
とってもとっても大事な心構えなんだ。
私は羊皮紙に、
「陶器、壊れやすい、輸送中の衝撃で破損多発。
より丁寧な梱包と、揺れの少ない輸送方法が必要」と、
ケンタさんにも伝わるように、
そして自分の心にも刻みつけるように、
しっかりと書き加えた。
あっという間に、お日様が空の真上まで昇って、
お昼の時間になった。
市場の隅にある、大きな菩提樹の木陰のベンチに腰を下ろし、
持ってきた木の実のパンをかじりながら、
今日の午前中の発見を、
小さな羊皮紙のメモに、一つ一つ丁寧にまとめる。
「リンドブルムの中央市場…
マルタおばさんの『月光草』は、
遠くの山奥まで採りに行かないといけないから、
運ぶのがすごく大変で、値段も高くなっちゃうんだ…」
「南の地方の特産品の『太陽の実』は、
とってもデリケートで、
リンドブルムまで運んでくる間に、
半分くらい傷んでしまうこともあるって言ってたな…
もっと早く、もっと丁寧に運べたらいいのに…」
「カボチャ農家のおばさんは、
今年はカボチャが大豊作なのに、
重くてたくさん運べないから、
他の町に売りに行けなくて困ってた…
『豊作貧乏』って、ケンタさん言ってたな…」
「陶器屋さんのおじさんは、
大切な壺が運ぶ途中で割れちゃって、
すごく悲しそうだった…
壊れやすいものを安全に運ぶのって、
本当に難しいんだな…」
一つ一つの「困りごと」は、
もしかしたら、リンドブルムという大きな街の中では、
ほんの小さな出来事なのかもしれない。
でも、その小さな困りごとが積み重なって、
たくさんの人々の生活に、
そして心に、
見えない影を落としているのかもしれない。
ケンタさんが言っていた、
「物流は血脈」…荷物の流れは、私たちの体の中を流れる血と一緒なんだって。
その言葉の意味が、
今日、市場の人たちの小さな声を聞いて、
ほんの少しだけ、でも確かに、
分かったような気がした。
この、街の隅々まで流れるはずの血の流れが、
もっともっとスムーズに、
そして温かく、よどみなく流れるようになれば、
きっと、このリンドブルムの街は、
もっともっと元気で、
もっともっと笑顔で溢れる場所に
なるはずだ。
「よし、午後からは、
ケンタさんが薬を届けた、
あの『せせらぎの村』へ行ってみようかな。
あそこなら、リンドブルムとはまた違った、
新しい発見があるかもしれない!」
私は、残りのパンをお母さんが作ってくれた
甘いハーブティーで流し込み、
革のポシェットを、きゅっと肩にかけ直した。
ケンタさんの役に立てるかもしれないと思うと、
なんだか、足取りまで軽くなる。
心臓が、期待でドキドキと高鳴るのを感じながら、
私は、次の目的地へと、
小さな、しかし力強い一歩を踏み出した。
リリアのわくわく市場調査は、
まだ始まったばかりだ。
どんな小さな声も、どんなささやかな願いも、
絶対に見逃さないようにしなくっちゃ!




