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プロローグ

風が頬を打つ。


眼下に広がるのは、

見たこともないほど雄大で、

緑豊かな大地。


遥か下には、

蛇行する川が陽光を反射してキラキラと輝き、

点在する村々の赤い屋根がミニチュアのように見える。


俺は、

巨大な翼を持つ瑠璃色の竜――リュウガの背に跨り、

どこまでも続く蒼穹を駆けていた。


『グルルゥ…』

(ケンタ、風向きが変わるぞ。少し高度を上げる)


相棒の力強い意志が、

脳内に直接響く。

その逞しい首筋に手を置き、

俺は風の流れを読む。


「了解だ、リュウガ!

前方の積乱雲を避けつつ、

最短ルートで頼む!

あの街で、俺たちの荷物を待ってる人がいるんだ!」


そうだ、俺たちは『ドラゴン便』。

この世界の誰よりも速く、

誰よりも確実に、

大切な想いを届ける運び屋だ。


風を切り裂き、

雲を追い越し、

依頼主の笑顔のために空を飛ぶ。


なんて自由で、

なんて気持ち良いんだ!!


――その時だった。


前方の雲の切れ間から、

黒い影が複数、

急速に接近してくるのが見えた。


翼を持つ獣に跨った、武装した者たち。

ワイバーン騎兵か!?

まずい、囲まれる!


「リュウガ!

敵襲だ! 回避しろ!」


俺が叫ぶと同時に、

リュウガは鋭い咆哮を上げ、

機体を翻す!

激しいGが全身を襲う!

矢が風を切る音がすぐそばで聞こえる!

必死で鞍にしがみつき、

迫りくる脅威から逃れようとするが――!


ピピピピピ! ピピピピピ!


けたたましい電子音が、

突然、世界に割り込んできた。


風の音も、

リュウガの咆哮も、

敵の怒号も、

急速に遠ざかっていく。


翼の感触も、

風圧も、

スリルも、

全てが薄れていく…。


「ん……ぅ……」


重い瞼をこじ開ける。


目に飛び込んできたのは、

蒼穹ではなかった。


チカチカと不規則に瞬く、

冷たい蛍光灯の光。


鼻をつくのは、

緑の香りではなく、

埃と、安っぽいコーヒーと、

誰かの加齢臭が混じったような、

淀んだ事務所の匂い。


「……………夢、か」


かすれた声が漏れた。


俺、佐々木健太、32歳は、

事務所のデスクに突っ伏していた。

頬には、キーボードの跡がくっきりとついている。

全身が、まるで鉛を詰め込まれたかのように重く、

軋んでいる。


ピピピピピ! ピピピピピ!


けたたましいアラーム音は、

スマホから発せられていた。

設定した仮眠時間終了のお知らせだ。

時刻は…午前4時。

あと数時間もすれば、

また忌々しい朝がやってくる。


「ドラゴン…便…か。

アホらし…」


自嘲気味に呟く。

疲労が極限まで達すると、

人はこんな奇妙な夢を見るものらしい。

空飛ぶドラゴン?

異世界?

運び屋?

馬鹿馬鹿しい。


現実は、

積み上がった伝票の山と、

鳴り止まないクレーム電話と、

パワハラ上司の罵声だけだ。


俺はのろのろと体を起こし、

冷え切ったコーヒーを胃に流し込む。

苦い液体が、無理やり覚醒を促す。


ふと、窓の外を見る。

東の空が、わずかに白み始めていた。

あの夢で見た、

どこまでも広がる蒼穹とは似ても似つかない、

排気ガスに汚れた、灰色の空だ。


リンリンリン…!


デスクの電話が、

けたたましく鳴り響く。

早朝からクレームか、

あるいは上司からの催促か。

どちらにしても、

ろくな用件ではないだろう。


俺は深いため息をつき、

重い受話器を取った。


「はい、お電話ありがとうございます。

株式会社…」


いつもの、

感情のこもらない声で応対を始める。


あの夢の残照が、

まだ瞼の裏に焼き付いているような気がした。

風を切る感覚、

リュウガの温もり、

空を飛ぶ自由…。


だが、それはただの夢。

疲れた社畜が見た、束の間の幻。


そう、ただの幻のはず、だった。


この時の俺は、

まだ知る由もなかった。


あの蒼穹の夢が、

やがて俺の『現実』になるということを――。

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