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婚約者が大好きな歌手だった

作者: 相模かずさ

「もうすぐ有希の卒業式ですね。待ち遠しいな」


 私だけに聞こえる声で囁くように歌うように言った後、お皿を洗いながら小声で歌ってる彼。


 始まりは切ない別れのメロディ。

 そして希望、明るい未来。

 綺麗な、素敵な旋律と男性にしては高く澄んだ声。


 っていうか、ちょっと待って。


 私、この曲を今までに聞いたことないのですが。

 もしかして新曲なんですか?

 頭ひとつ分高い彼の隣で、彼が洗い終えたお皿を一枚づつ拭いて棚に片付けながら、私は食い気味に問い糺す。


「この曲はねー、即興です。今作った」


 はぁああっ? 

 そんな素敵ワンマンステージを見れちゃってる?

 えーと、どこに入金すれば良いのでしょうか。


「い、いいんですか? 私だけになんて」


 焦りまくって敬語になる私に、事も投げに言い放つ彼。


「有希は俺の奥さんになるんだもん。いいんじゃないでしょうか?」


 そう言いながらさらに音量を上げてご機嫌に歌い出した彼の、素晴らしすぎる声を聞きながら、私はここ数ヶ月の怒涛の日々を思い返していた。

 

 △▲△


「有希、再来週に婚約者の幸二くんがくるから、身の回りのもの準備しておきなさい。すぐ出発できるようにな。式はお前が卒業する来年の春だ」


 うちのリビングは三十畳近くあって、庭に面した窓も大きく明るい。

 アイランドキッチンに近い食卓はテーブルセットが置いてある。それとは別にローテーブルが置いてあって布張りの三人掛けソファが対面で二脚と一人掛けが二脚。

 三人掛けの真ん中に座って新聞から目を離さない父が、株価を見るのと同じ調子で語る。

 今年四十五歳の父、香川篤宏は祖父の経営するそこそこ大きな会社の部長さん。

 来春、執行部役員になる予定だそうです。

 外では長身細マッチョでキリッとしたスーツのよく似合うイケおじだが、家では子煩悩なヘタレパパ。


 私は食卓の方でノートパソコンを開いて昨日の講義を反芻しながらまとめつつ、父の話を聞いている。


 婚約者の話は初めて聞いた十代の頃から、承知して納得している。


 私、香川有希と彼、神戸幸二は幼い頃に将来結婚しようねなんて約束したそう。親もそれを見て親友同士という間柄から親戚になれると大歓迎。私たち二人はそこから婚約者という間柄になった。

 でもまだ半分冗談、というか子供の約束だしと思って高を括っていた。

 それが、彼が迎えにきて、私はそのまま彼と一緒に暮らすって?

 っていうか半年ほどなのですが、今からだと。

 せめてそういう大事なことは目を見て言って欲しいのですが。

 ん、父の目に涙? やっぱり嫌なのかしら?


「ねえ父さん、私まだ二十二よ? 本当にお嫁に行っちゃっていいの?」

 だから今回のお話はもう少し時間を、と続けようとしたところに父からの無情な待ったが入った。


「でも幸二くんはすっかりその気で、有希のために結構いいマンション買ったらしいぞ。親の補助なしで」

「私のためって、冗談でしょ? それにそんなにお金持ちなら恋愛したって選り取り見取りじゃないの?」


 うちもお金がないわけじゃないけど、持ってるのは親であって私はまだ時々バイトをする程度の大学生。

 たとえ就職しても、すぐにマンションが買えるほど稼げるとは思わない。


「有希がいいんだそうだ。惚れ込まれたものだな。まあこれだけ可愛いんだから当然だけどな」

「ちょっとやめて、恥ずかしいわ」

「ははは。それにな」


 優しい顔で父が言う。

 卒業してすぐに結婚するよりは、それまで数ヶ月同棲してみてどうしても合わなかったら今回の話はなかったことにするという。


「同棲って思うから重いんじゃない? 新婚さんごっこと思えばいいのよ」

「ええ? 母さん、その方が深くない?」

「暮らしてみてわかることって結構多いものよ?」

 

 片付け物をしていた母が私の隣に座って会話に参加する。


「そういうものなのかなー」

「あとね、その間はキスも禁止って言ってあるから」


 と母に囁かれた。


「き……、そ、それよりっ! 幸二さん、私より三歳上だっけ」


 子供の頃何回か会ったことはある。

 でも引っ越しなんかで疎遠になってしまっていた。

 ただ私の知らないところで親同士は親密な付き合いが続いていたらしい。

 ところで二十五歳で買えるくらいのマンションってどのくらいの広さなんだろう?

 私の荷物全部入るのかしら。


「有希の写真を定期的にメールで送っててな。彼、お前に夢中らしいんだ」


 といきなりの衝撃的な言葉。


「えぇ? 何で娘の写真を勝手に送るかしら? それなら彼の写真だって送ってくれてもいいじゃない。一応幼馴染みだし、見たいなぁ」


 一体どんな写真を送っていたのかな、変顔しているのとかがないと良いんだけど。

 うちの家族は写真を撮るのも撮られるのも好きだから、送ろうと思ったらかなりの枚数があったはず。

 今の時代はいちいちプリントしなくていいから楽だよなと父は笑っていたけど、あまり多いと向こうにも迷惑だと思うな。


「幸二くんの写真なら持ってるじゃないか。だから父さんは渡す必要がないなと思って」


 抗議する私に、新聞で顔を半分隠しながら一応すまなそうな顔をする父。

 そんなのポーズだって分かってるんだからと思いつつ、父の顔に絆されて許してしまう。

 それに大人になってからの写真なんてないのに、何を言ってるのかしら。

 父の満面の笑み。


「幸せになれるよ。有希と幸二くんなら」


 慈愛に溢れた父の顔。これは本当に私を思ってのことらしい。

 まぁ、知らない人相手じゃないし。

 子供の頃遊んでくれた神戸幸二ことコウちゃんは、爽やかで優しくていいお兄さんだったし。

 私の淡い初恋の相手だったりするし。


「花嫁修行の成果が出せるように頑張るわ」



 それから私はたっぷり時間をかけて自室のクローゼットと格闘し、母に教えてもらいながら花嫁修行のチェックをしてその時を迎えた。

 持っていくのは服と大学の教科書、ノート文具などの小物。ノートパソコン、タブレット、スマホ。

 それに忘れちゃいけない相模みなとのアルバム五枚。

 今一番好きなシンガーソングライター。元々フニフニ動画でボカロPだった中の人がメジャーデビューしたらイケメンイケボだった。

 切なくて疾走感溢れる歌声に夢中になって雑誌にちょっとでも載ってたら切り抜きをファイルしちゃうほど好きになった。テレビになかなか出ないレア感もいい。

 いけない、ぼーっとしていたら時間がすぎていく。


 荷物で膨らんだ衣装ケースをじっと見る。衣装ケース五個か、中々上手に纏まったわ。

 大きな家具は部屋を見て、元からある家具に合わせて揃えるのも良いかな。


 いよいよ明日、我が家に婚約者がやってくる。

 私は夕飯の後、家族に挨拶をした。


「父さん、母さん、真由、智、明日私はこの家を出るけど、上手くいかなかったらすぐ戻ってくるかも。そしたら何も聞かないで暖かく迎えてね」


 てへっ、と言いながら軽ーく言う。

 でもちょっとだけ本音入り。

 不安なんですよ、これでも。


「姉さんの部屋開くよな? 俺欲しい! 八畳エアコン付き!」

「じゃあ私、姉さんの漫画コレクションが欲しい! 大事にするから!」


 妹の真由は公立高校三年、茶髪ショートの可愛いかっこいい系女子。受験生なのに漫画なんて読んでる暇あるのかな? 大事にしてくれるなら私も嬉しい。

 弟の智は私立高校一年、サッカーに夢中の黙ってればイケメン、話すと騒がしい系。

 六畳エアコン無しだったのは、君が部屋でサッカーボールを蹴ってエアコンを壊したからだよ?

 まあ私の部屋は別にいいかな。大事なものはしっかり詰めたし、持っていかない私物は屋根裏の物置に置いておけばいいわ。

 両親は二人の勢いに押されて呆れてる。

 母は苦笑い。父はそんな母を見てほっとしてる。

 しんみりにならない、いい子達です。


 そして弟妹揃って私に全力で帰ってくるなと言っている。姉邪魔? ぐすん。


「二人ともオッケーよ。智は部屋を綺麗に使ってね。家具いらないのはどうするか母さんに聞いてね。真由は本棚ごとどうぞー。でも大学受験大丈夫?」

「大丈夫。それより姉さんこそしばらく同棲して卒業してから籍入れるんでしょ? 就職活動平気?」


 真由が心配そうな顔。

 母が食後のコーヒーをみんなに配る。私もお茶菓子を出すお手伝い。


「就職先には結婚予定ありで内定もらってるもの。仕事も結婚式場のブライダルコーディネートだからちょうどいいかなって」


 大学の友達には、卒業して籍を入れたら招待状を渡すついでに知らせようと思ってる。先に教えると面倒になりそうなのが何人かいるから。

 ああ、でも親友には教えておこう。

 お風呂から上がって自室のベッドに横になる。

 この部屋でこうして寝るのも最後かぁ。

 人妻、うん、なかなかエッチい響きでいいわね。

 くだらないことを考えつつ、お気に入りの曲をかける。


「コウちゃんが一緒に音楽聴いてくれる人ならいいなぁ」


 そんなことを思いながらいつものようにぐっすり眠れました。


 △▲△


 そして、秋晴れ眩しい土曜日の午後。


 ふー、いよいよ私の婚約者がいらっしゃる。

 予定時間は午後二時ごろ。え、やだ、もう十分前。

 胸がドキドキします。

 やばいです。

 意外と緊張しています。

 

 ピンポーン 

 変哲もないチャイムの音なのに、やけに心臓に響いた。


 来た! 

 私はインターホンを無視して玄関の扉を開いた。


「ユキ?」


 目の前には私より頭ひとつ以上背の高い無造作ヘアのよく似合うイケメン。

 そして、お腹にずしんと響くイケボ。

 メガネとキャスケットでもわかる、この輝きに満ち溢れたイケメンは。


 神様、かな


「ユーキ? お家いれてくれませんか?」


 苦笑いをする神、いえ相模みなと。


 えっ、ちょっと待って?

 どういうことなのですか?


 プチパニックに陥った私は壊れた機械のようにぎこちない動きで、それでもなんとか彼を家の中に招き入れた。


 居間には我が家族が勢揃いしている。

 白い大理石のローテーブルの周りには、三人掛けソファと一人掛けが二つずつ置いてある。

 私は空いてる三人掛けに彼を促すと、自分はその端に座った。

 三人掛けでよかった。二人掛けでは身が持ちません。


「おじさんおばさん、お久しぶりです。神戸幸二です」


 スッと立ち上がり綺麗なお辞儀で挨拶をする彼を、まだ夢見心地でぼーっと見上げる私。

 頭が考えることを拒否している。


「コウちゃん、お久しぶり。大きくなったわねぇ」

「幸二くん、約束を守ってくれてありがとう。今日からはパパって呼んでもいいぞ」


 明らかに挙動不審になってるだろう私を、気にも留めない両親。

 どうやら兄弟は、私と同じようにパニック中かな。

 だが若さのせいか弟が先に立ち直ったようだ。


「ちょ、ちょっと待って、姉ちゃんの婚約者ってこの人なの?」


 勢いよくテーブルに乗り出す智。

 

「あ、申し訳ない。失礼でしたね」


 ソファーに座り直した彼はキャスケットとメガネを外した。

 やっぱり、相模みなと‼︎


「みなとさま⁉︎」


 停止していた真由が再起動した途端に叫んだ。

 コウちゃんが困ったようにポリッと頬を掻く。


「はい、歌手やってます。相模みなとって言う名前で」


 陽だまりのような穏やかな微笑みで、私をにっこりと見ながら答えてくれる。

 

 あ、好き。


「父さん、婚約者は父さんの子ってことよね。どうでしょうみなとさま! 姉より私の方がスタイルいいですよ! 若いし!」


 なんとも恐ろしい、若さって怖い。

 真由のとんでもない発言に場が凍った。


「あー、申し訳ないのですが。子供の頃から有希さんだけ見てたんです。有希さんと結婚するために頑張ってたので他の方は、ごめんなさい」


 困ったように眉根を寄せながら、それでもきちんと真由を見ながら答えてくれる。

 って、聞き捨てならない言葉があったような気がするわ。


「え? 子供の頃から?」

「うん、有希覚えてない? 小さい頃、俺とよく遊んでたの」

「もちろん覚えてるわよ。コウちゃんいつも私に合わせてくれて、おままごととかお絵描きしてくれたわ。一緒に歌も歌ったわね」


 小さい頃から私はとってもインドアなお子様で、外で遊ぶよりは家の中で静かに何かをするのが好きだった。

 そんな時もコウちゃんはいつも優しく相手してくれていた。きっと外で遊びたかっただろうに、良い人だ。


「あの頃から有希のことが大好きで、わがまま言って婚約者にしてもらったんだよ」


「幸二くんすごくてなぁ。有希を連れて帰るって会うたびにいうもんだし、かといって会わせないと静かに怒ってるっていうんで、彼の親に泣きつかれてなー」

「幸二くんのお母さん、美幸さんにお願いされたのよね。いつか有希をお嫁さんにするんだって人生設計組み立てているから、諦めさせるために一応婚約という形をって」


「でも有希の方も幸二くんのファンみたいだし、これはこのままほっとくほうがお互いのためだって思ったんだよな」

「あー、だから私はもう写真を持ってるってことね。十二歳で婚約者がいるって聞いた時、コウちゃんだったらいいよって言ったのは覚えてるわ」


「ずっと有希のことを考えていたからね。嬉しいなぁ。有希のための曲がちゃんと届いてた」


 ひぇっ、あの名曲の数々が私のための曲⁉︎


 うそ、でもないみたい。

 私をじっと見つめるコウちゃんの目は、それが本当のことなんだと教えてくれていた。

 

 その時、私は気が付かなかった。

「お姉ちゃんが先に生まれたから? ずるいよ、みなと様と結婚なんて」

 真由が、昏い目をして呟いていたなんて。

 

 △▲△ 


 コウちゃんとの暮らしは快適そのものだった。

 広いマンションは設備も行き届いていて特に気負うこともなく、私が作る料理を美味しいと言ってくれて、毎日幸せを感じていた。


 ただ、一日一回は必ずお互いに好きということ、なんて恥ずかしいやら照れ臭いやらなルールを決めちゃって。

 まぁ、それも、ちゃんと言ってます。

 耳元でイケボに囁かれるとね、ふぇええって腰が砕けるのよ。

 最初の頃は耐性がなくて、椅子に座ってからじゃないと言えなかった。


 さて、卒業に必要な単位は取得済み。

 あとは自分の好きな講義を受けに大学に通っている。友人と会うというのも目的の一つ。

 ただ、幸せな毎日に浮かれていたせいか、すっかり忘れていた。会いたくない人も何人かいたこと。

 誘われて入った音楽サークルの先輩で何かと絡んでくる人がいて、周りには私と付き合っていると噂を流しているらしい。

 友人たちにはそれは絶対に違うから、訂正の噂を流すように頼んである。

 その先輩、武藤さんが目の前に彼の友人三人と一緒に、食堂にいる私と友人の前に現れた。


「有希、俺以外のやつと結婚するってほんとかよ? 俺たち付き合ってたじゃん」


 武藤先輩が私の腕を掴んだ。

 やだ、触られたくない。

 茶色い前髪が私の鼻につきそうになる瞬間、力一杯突き飛ばした。


「付き合ったことなんてないわ! 先輩が私の行くところにいつもいただけじゃないですか!」


 うう、非力なわけじゃないのに、ちょっとよろめかせただけだった。

 それでも離れてくれたから良いかしら。


「妹さんに聞いたんだ。有希が幼馴染と親に言われて無理やり結婚するから止めるなら今だって! お前だって俺のこと好きなんだろ⁉︎」

 

 どうしてそういう思考になるのかしら。好意を示したことなど一度もないのに。


「私は大好きな幼馴染と愛し合って結婚するんです! 先輩のことなんてなんとも思ってません!」

 

 ここまで言わなきゃわからないなんて、辛い。


「やめろ武藤! 俺たちも知ってるんだ! お前振られてるんだよ諦めろ」

「すまん香川さん、本当に付き合ってないんだね。俺たち武藤のいうこと真に受けてたよ。こいつは俺たちでなんとかするから」

「武藤、見苦しい真似やめとけ」

「なんでだよ! 俺の女だぞ!」

「おい、連れていこうぜ、頭冷やさなきゃダメだこれ」


 友人たちに引きずられていく先輩を食堂中の人が見ていた。

 私は友人や周りの人に騒がせたことを謝ると、午後の講義への参加を諦めてコウちゃんと暮らすマンションへ帰った。


 一人部屋の中で考える。

 お気に入りのクッションを抱えながらベッドの上で体育座り。思考する時の定番の格好。

 それにしても、


「真由、どういうこと……?」


 あの人、妹に聞いたって言ってたよね?

 どうして真由がそんなことを言うんだろう、まさか本気でコウちゃんを私から奪うって考えてる?

 でも、ダメ。

 真由はコウちゃんを見てないから。


 それにコウちゃんが毎日くれる好きに私は応えたい。

 私も毎日コウちゃんを好きになってる。


 その日、私はコウちゃんに真由のことを相談した。


「一度、話をしてみたい。義妹になる人とうまくやれないのは悲しいからね。何より有希がそんな顔をしているのが嫌だな」

「ありがとう。でも、そんな顔ってどんな顔なのかしら……」


 ほっぺたをむにーっと引っ張ってみる。


「っぷ……あはは、いきなり可愛いことしないでよ。有希、大丈夫だよ俺に任せなさい」

「うん、頼りにしてます」


 キュッと抱きしめられて、安心する。

 言葉の好きも、こうして態度で示してくれる好きも、どちらもコウちゃんの気持ちがこもっていて嬉しい。

 私はこれにちゃんと返せているかなぁ。

 返したいな。好きだなぁ。

 そんなことを思っていた。


 二人で実家を訪れたのは、それから二日後の日曜日。


「お母さん、真由いる?」

「いるわよ。あらあらコウちゃんまで、どうしたの? 夕飯食べていく?」

 

 いつもふわふわ笑顔の母を見ると毒気が抜けてしまう。

 色々な感情が重なってトゲトゲしていた心がほんの少し霧散されたよう。うちの母はすごい。


「夕飯はいただくわ。それより真由に話があって」


 内容が言えないのがもどかしい。

 私の様子をみて、母は真由と合わせるべきじゃないと思ったのか、軽く邪魔してきている。


「姉さん、もう母さんには話してある。私がしたこと」

「あら、真由。もういいの? お話できる?」

「ありがとう母さん。リビングで話そう。みなと様もわざわざごめんなさい」


 母に促され、四人でリビングへ。

 母が入れてくれた紅茶を飲みながら、どうして武藤先輩にあんなことを言ったのか聞いた。


「羨ましくて、みなと様のことは私もファンなのに、姉妹なのにどうして姉さんだけって」


 一瞬昏い目をする真由が哀しい。


「それであの人に余計なこと言ったのね」


「どうして、真由ちゃんはその人の連絡先を知ってたの?」


 コウちゃんが鋭いことを! 

 そういえばそうだわ。私でさえ知らない連絡先をどうして?


「あの人に振られた子が友達にいて、姉さんと付き合ってるからって言われたって、でもそんな事実ないからおかしいなって思って調べたら武藤さんの片想いみたいだし、焚き付けたら姉さんもそっちにいって、みなと様フリーになるって思ったの」


「ないな」

「ないわ」


 コウちゃんと顔を見合わせて、深いため息をつく。


「まず最初に言っておくと、私はあの人をストーカーだと思っていました。呼んでないのにいるし、来るし。付き合ってる噂の時は火消しに大変だったし」


 少し不安になってコウちゃんを見ると、いつもの笑顔で私をみていた。


「有希が誰とも付き合ったことないのは知ってるよ。叔父さんに聞いていたしね」


 キュッと手を握りしめると、そっと大きな手が重なる。暖かくてホッとする。


「私、そのあと自分が何てことしちゃったんだろうって、母さんに相談して」

「ちゃんと謝れるなら会いなさいって言ったのよ。謝れなくて逆恨みするくらいならこのまま縁を切ったほうがいいわ」


 母の強い言葉にしゅんとうなだれる真由。コウちゃんは、困ったように言った。


「俺はね、どうしても有希が好きだから、真由ちゃんとはお付き合いもできない。でも、いい義兄にはなれると思うんだ。真由ちゃんは君をみてくれる人を探したほうがいいよ」

「はい、そうします。それにやっぱり私、みなと様をコウちゃんって呼ぶ姉さんってすごいと思っちゃうから、ダメなんでしょうね」

 

 手を握り合ってる私たちをスルーして、それから色々な話をした。


 夕飯のメニューは本格中華でした。母の作る青椒肉絲最高。



 そして、月日は流れて大学の卒業式。

 式自体は両親も参加してくれて、厳かに、和やかに、私の色々なことがあった四年間の集大成として静かに終わった。

 仲の良い友人たちにこれからの予定を聞かれ、


「今日、入籍するの」


 と言ったら大変驚かれた。

 唯一教えていた親友にはもちろん相手のことも知らせてあるので、落ち着いたら新居に招くことになっている。


 今日、コウちゃんは仕事で八時頃帰宅と聞いていた。

 なのでそのまま両親と実家に戻り、妹弟がもじもじしてるのを見ないふり。

 

「有希姉、卒業おめでとう。これ、プレゼント。その、結婚祝い兼ねて」

「う、嬉しい。智が選んでくれたの⁉︎ なんだろ〜、あ、可愛い!」

 

 白い額の写真立て。

 これって結婚写真を入れろってことかな。

 ああ、うちの弟ってば世界一可愛い。優しい。


「姉さん、私からはこれ」

「ええ! 真由まで! もう、うちの子達可愛すぎ!」

「良いから見てみてよ」


 真っ赤になって照れる真由。開けてみたら、オルゴール!

 これって好きな曲を入れられるやつ。


「みなと様の曲で姉さんが好きなやつ入れておいたから。あと、横のとこ引き出しがついてて宝石箱になってるの」


 指輪ケース入れですね!

 嬉しいと涙が出ちゃうものなのね、ポロポロ涙をこぼす私に二人がオロオロしてる。


「これは嬉し涙だから拭わなくて良いのよ。本当にありがとう」


 両親からのプレゼントは、旅行券とスーツケースのカタログ。欲しいのがあったら選びなさいだって。新婚旅行用らしいです。

 母はパーティ料理を作ってくれた。夕飯は相変わらず美味しくて、いつかこの味を出すんだとゆっくり噛み締めながら頂いた。


「姉さん、話があるの。私の部屋で話したい、いいかな?」

「真由、お前また」


 智が気にしてくれるけど、私はそれを嬉しく思いながらも真由に向かった。


「大丈夫だよ、うん、真由、お話しよう」


 もうあの目はしてないし、私への申し訳なさばっかりが立った表情してる。このままの真由をほっとけないよ。


「ごめんなさい姉さん。みなと様、姉さんしか見てないし、私の入る隙なんて一個もないことがよくわかった」


 真由の部屋で並んでベッドに座った途端に謝られちゃった。


「真由、ごめんね。私もコウちゃんじゃないと嫌みたいなの」

「私、姉さんに嫉妬してた。綺麗だし、勉強できるし、料理上手いし、でも姉さんが努力してるのもちゃんと見てたはずなのにね」

「真由、貴方だって、頑張り屋で、負けず嫌いで、可愛い可愛い私の妹なんだよ?」

「ううう、お姉ちゃん……、 ごめんなさい」


 私の胸で小さな子供のように泣いている真由は、まるで昔に戻ったようで、しばらくの間真由を膝枕しながら二人きりでポツポツと話をして互いの溝を少しづつ埋めていった。

 ふと時計を見たら八時。あまり遅くなるとコウちゃんが心配する。

 

「私、もう帰らないと」

「うん姉さん、たまには遊びにきてね」


 ちょっぴり目の縁を赤くした真由は、やっぱり可愛かった。


 マンションに帰り、式で着た衣装を解いて箱にしまいクリーニング行きに分けておく。

 シャワーを浴びて化粧を落とし、すっぴんに寝巻きのワンピースとガウンを羽織ってリビングへ。


「有希、卒業おめでとう。それじゃあ、これ書こうか?」

「もう、せっかちすぎ。ふふ、ちゃんと書きますよー」


 親からのサインは貰い済み、後は私が記入するだけの婚姻届がそこにあった。

 躊躇することなんて何もない。

 私は迷うことなくサラサラと記入していった。

 んん? 異様に嬉しそうですね幸二サン。


「これからもよろしくお願いします。愛しの奥さん」

「はい、こちらこそです。旦那様」


 くすくす笑いながらコウちゃんに抱きつくと、優しく微笑んで抱き返してくれた。


「じゃあ、出しに行こうか」

「はい」


 コウちゃんは帽子と眼鏡で軽く変装。

 私はワンピースにローヒールというラフな格好で、二人で手を繋いで近くの役所へ。

 婚姻届は二十四時間対応してくれるんだって。

 

 こうして私とコウちゃんは、幸せな夫婦になったのです。


 親が決めた婚約者が大好きな歌手だった、しかも初恋の幼馴染でした。


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