9話 アイドルは恋愛禁止!
私が廊下を歩いていると、王宮の侍女たちがなにやら団子になって、ある部屋を覗いていた。
興奮したようにはしゃいだ声を上げているが、よく躾けられている彼女らのそんな姿は珍しく、興味をそそられてしまう。
一体何事かと、私も近付いて後ろから覗き込んでみると――
なるほど、ルカリオたちがデビュー曲の練習をしているのですね。
って、国歌なのだけれど。
確かにこの部屋ならピアノもあるし、歌うには持ってこいです。
お抱え作曲家の男性が伴奏を弾き、三人で自主練に励んでいたようだ。
陰で努力を怠らないところが彼ららしい。
私に気を遣った侍女が場所を開けてくれ、その動きでキースがこちらに気付いた。
「アイリスじゃねーか。なんだバレちまったな。じゃあここまでにするか」
「そうだね。あまり根を詰めすぎて喉を痛めてもいけないし」
「ありがとうございました」とレンが伴奏者にお礼を言い、侍女たちも去っていくと、あっという間に四人だけが残された。
「まさか隠れて歌の練習をしているとは知りませんでした」
「アイリスが母上たちに掛け合ったり、働きづめなのを知っているからね」
「近々、大きな茶会を開催するとも聞きました」
「お前ばっかりを働かせるのもな。って言っても、俺らには練習しかすることねーし」
頭を掻きながら困ったように笑うキースの言葉に、ルカリオとレンも頷く。
その気持ちが嬉しいのですよ!
さすが私の推したち、尊い!!
アイドルになることを望んだわけでもないのに、一度決めたらやり切る前向きさが彼らにはあるのだ。
「やっぱりルカリオとキースとレンは私の自慢の幼馴染みです!……あ、この前のルカリオとキースの悪ふざけはこれに免じて許してあげましょう」
「アイリス、二人の悪ふざけって?」
「聞いてくださいよ、レン。二人ってば私をいつまでも子供扱いして揶揄うのですよ!」
レンと二人でルカリオとキースを見やれば、彼らは溜め息を吐きながらこめかみを押さえたり、頭を振ったりしている。
なんですか、その態度は。
「二人とも、アイリスに何をしたのです?」
レンが目を細めながら少し冷たい声で問うと、ルカリオとキースは肩をすくめて言った。
「僕は揶揄ってなんていないよ」
「俺だって。なんつーか……そう! 愛情表現ってやつだ」
「「は?」」
「そうなんだよ! キース、奇遇だな。僕もアイリスへの愛情を表現しただけさ」
二人揃って何を言っているのでしょうか。
いい年をして膝に座らせたり、抱えて振り回すなんて、いつまでも私を幼いと思っている証拠です。
あ、もしかして子供のように可愛い妹分への愛情表現ってことだとか?
「へえ、二人は僕の居ないところで抜け駆けしていたのですね。ふーん」
レンが落ち着きながらも、瞳が怒りに燃えている……ような気がする。
親しくなければ知らないことだが、レンは怒らせると怖いのだ。
しかし、レンが何に腹を立てているのかは謎である。
レン、私が揶揄われたのを一緒に怒ってくれるのかと思いきや、なんだかちょっと違うような?
抜け駆けって、それではまるでレンも私に『愛情表現』とやらをしたかったみたいに聞こえるじゃないですか。
「レン、悪かった。ついアイリスと二人きりになって自制が効かなくて……。でもアイリスが無防備に可愛いのがいけないと思うんだ」
「俺も悪かった。つい触りたくなっちまって。でもいい加減、俺らが男だって自覚させなきゃいけないだろ?」
「まあ、その気持ちは理解できますが。アイリスもそろそろ僕たちの思いに気付くべきだとは思いますね」
……彼らは何を言っているのだろうか?
まるで私のことを好きだと言っているように聞こえてしまう。
あら、私ってばモテモテ!
――って、そんなことがあるはずないじゃないの。
「もしかしてみんなは私のことが好きなのですか?……なーんちゃっ」
「やっと気付いたの?」
「鈍い奴だな」
「そこがアイリスのいいところですよ」
『なーんちゃって』と、冗談で終わらせるはずの私の言葉は、すぐさま彼らに肯定されてしまった。
……え、マジですか?
レンまで?
「冗談ですよね?」
「んなわけあるか」
「どうして僕たちが婚約者もいないままこの年までいると思っているの?」
「アイリスのことが好きだからですよ」
うそうそ、そんな素振り今までなかったですよね?
うええっ、これからどうしたら――
焦った私は思わず告げていた。
「あの、アイドルは恋愛禁止ですから!」
「「「……はぁぁぁ!?」」」
彼らの抗議の声が部屋に響いていた。
◆◆◆
『アイドルは恋愛禁止ですから!』――それはよほど聞き捨てならない言葉だったらしく、『チェスターズ』メンバーからは一斉に非難の声が上がった。
「僕たち、そんなこと聞いていないよね?」と、ルカリオ。
……えーと、言っていませんでしたっけ?(すっとぼけ)
「嘘だろ!? せっかくアイリスが近くに居るっつーのに、どんな拷問だよ?」と、キース。
いやいや、プロデューサーの私がメンバーとどうこうなるなんて、一番駄目なやつですから。
「アイドルが恋愛をしてはいけない理由を教えてください。そうでなければ納得できません」と、レン。
さすがレン、一筋縄ではいかなさそうです。
これはきちんと説明して納得させないと……。
しかし、理知的なレンを説得するのは骨が折れそうで、私はすでに逃げだしたくなっていた。
前世の記憶があるアイドルオタクからすれば、恋愛禁止は割とありがちというか、暗黙の了解という認識があった。
まあ、それもだいぶ変わってきていて、結婚するアイドルも増えたし、もう古い考え方なのかもしれない。
――が、アイドルにはフリーでいて欲しいと願うファンは少なからずいるのである。
「考えてもみてください。アイドルを応援する人の中には、本気で好きになり、疑似恋愛をする方もいるのです。アイドルは夢を与える存在ですので」
「だからと言って、アイドルだって普通の人間ですよね? あくまでアイドルというのは仕事で見せる一面にしか過ぎないのですから、プライベートは確保されるべきでは?」
レンは相変わらず言うことが的を射ている。
敵に回したくないタイプだ。
「それはそうなのですが、ファンはアイドルのそういった恋愛におけるプライベートは知りたくないというか、誰かのものになって欲しくはないのです。自分だけの王子様だと勘違いしていたいのです」
「……アイドルに期待し過ぎじゃねーか? 勝手に妄想されても困るだろ。そいつと付き合うわけもねーのに」
「そんな身も蓋もないことを言わないでください! こっちだってそんなことはわかっています。応援している好きなアイドルだからこそ、幸せになって欲しいと願ってはいるものの、実際に恋愛が発覚すると立ち直れないほど落ち込んでしまうんです!」
言っている内に、前世での推しの熱愛スキャンダルにショックを受けすぎて、食事も喉を通らなかったことを思い出してしまった。
あれは衝撃でした。
しばらく生ける屍状態で、かなり周囲に迷惑をかけたような。
「まさか前世でそんな経験をしたのかい?」
「アイリスをそこまで悲しませるなんて、罪なアイドルですね」
ルカリオとレンが同情したように憐れみの表情を見せるが、うっすらと嫉妬の炎が燃えている気もする。
まさか、私が前世で推していたアイドルに妬いているのだろうか。
「まあ、そんなわけで、つまりアイドルのスキャンダルは社会に大きな影響を与えるものなのです。何より、ファン離れが起こると売り上げがガクンと落ちると思われます」
「それはやべーな」
「そうなっては借金返済が目的なのに本末転倒ですね。……理解はしました」
おっ、わかってもらえた予感。
「そうですよ。ここは恋愛禁止を守って、ファンに夢を与え続け、バンバン稼いで借金を早めに返すのが得策ですよ!」
「ふむ。それもそうかもしれないね」
「仕方ねーか」
ルカリオとキースが納得してくれたようで私はホッと胸を撫で下ろした――のだが。
「じゃあ表向きは恋愛禁止でいいですよ」
レンが滅多に見せない満面の笑みで不穏なことを言い出した。
まだ諦めていなかったらしい。
「『表向きは』?」
「はい。要はバレなければいいのですよね?」
「え、いやいや、ここは表も裏も恋愛禁止でいいのでは?」
焦る私に、ルカリオとキースもその手があったか!みたいな顔をしている。
いや、ないから!
「そうだね。裏でこっそり恋愛すればいいんだね」
「スリルがあるな。上手くやるから心配するな」
確実に話の方向性がおかしい気がする。
恋愛禁止は規則であって、バレなければいいとかそういうことではないはずだ。
「駄目ですよ! ルールですから守ってくださいね! それに、ファンは恋愛ネタに敏感なんですから」
「それはますます面白いですね」
「そうだな」
「そうだね」
面白くなーーい!
あなたたち、ファンの嗅覚を舐めてますね?
しかし、言い争っている内にルカリオの公務の時間がやってきてしまい、三人は部屋を出て行ってしまった。
「絶対恋愛禁止ですからねーっ!」
一人残された部屋で私は叫んでいた。