3章-29
地の底は暗いというのは既成観念である。それはなんらかの論理的な手段において導かれた解ではなく、視覚を頼りに生活するあらゆる動物が生来的に知っている摂理である。摂理であるから、疑われるものではない。
のみならず、二人は暗闇に向けて飛びこんだのだ。
しかし、二人はその摂理に反する現実に直面した。
純白の世界が見渡す限り繋がっている。そこは地中深くに位置する筈なのに。
青空の下、長らく目を瞑ったのちに目蓋を持ちあげた際のように、世界が淡く白みがかっているのだ。けれども、そこに陽光による温かさはない。純白さは、むしろ白々しさとして目に写る。
その真白な世界の中で、二人の影が落ちた。
ミリスは目を細めて、長い前髪で瞳を覆い隠すように少し俯いた。
「これは……」
足は確かに面を踏んでいたが、視覚的にそこに地はなかった。現に足を少し持ちあげるが、どこにも影は現れなかった。
この世界には陰というものが存在しない。ミリスはそう直覚した。
瞬きのたびに異なる驚愕の色を表すミリスに対して、ウィンジーは平静を僅かたりとも揺らがせなかった。
「不思議なところだね」
それは相槌の域をでないほどの穏やかな声音だった。多少の驚きはあるのだろうが、それが表面化するほどではない、ということだ。
「これは幻影でしょうか?」
ミリスは訊ねながらにして、疑問自体に疑問を抱いていた。
幻影特有のいやに鮮明な視界ではないし、完全に無音の空間は違和感を凝縮していたし、なによりこの世界には手触りがなかった。
これが魔法だとしても、投影の類いだろう。それがミリスの出した結論だった。
「私には幻に見えないけどね。ミリスにはそう見えるの?」
「私にも……」
見えません。
その答えをウィンジーは別に求めていなかったのだろう。
「目下の課題は方角が判らないことだね」
彼女は全く別の話題で首を傾げていた。それは冷静な声だったが、その実、途方に暮れていることを窺わせる。
なにせ、前を見ても後ろを見ても真白な世界は、一切の目印がないことを意味している。つまり気分的には右へ進もうとも左へ進もうとも同じなのだが、個人の認識は別にして世界の視点で見たときに同じとは限らない。
「どちらに向かいますか?」
「とりあえず歩くしかないよね」
「それは、そうですね」
方角が判らないからといって、立ち止まっていてもなにかが解決するわけではない。時間が解決することがあるといっても、少なくとも現況には当てはまらない。
「とりあえず進もうか」
ウィンジーは適当に一歩を踏みだした。この地に降り立ったときの方角と同じなのかも判らない。けれども、今更考えても詮のないことだ。
歩き始めれば、いつものごとく後ろを振りかえらないウィンジーをミリスはただ追いかける。
色が変わらないということは、一切の距離感がないということだ。距離感が曖昧だと時間感覚までも揺らぐのだろうか。それとも真白な光を浴び続けると、脳裡まで白に染めあげられるのだろうか。
しばらくして、遠方に黒い点が浮かんだ。初めは一つのみだったが、しばらくすると無数に増えている。さらに進むと、点が人の姿になった。
寝たり、座ったり、いろいろな姿勢だったが、例外なく無気力だった。それが気づくと人垣のように二人を囲っていた。
「人がいっぱいいますね」
その言葉はあらゆる感情が押しこめられた結果だった。
ミリスは視線を落として、俯きがちに歩いている。言葉にしないだけで気味悪がっているのだろう。
「やあ」
そのとき、突然横から声がかかった。浮浪者のような人だらけの中、彼は襟を立てて髪を整えていた。
「久しぶりに魔法使いと出会いましたよ」
彼は右手をミリスに差しだした。ミリスはその手を取った。次はウィンジーに握手を求めた。彼女はほとんど手を打ち鳴らすくらいの間だけ握手を交わし、すぐに手を引いた。
「私は魔法の研究をしていましてね」
彼は独りでに話し始めた。
「ここで奥地に発つ人を分析しているんです」
そういって書類を差しだした。穴に紐を通して纏めただけの簡素なものだったが、混じり気のない紙に整った文字は彼の几帳面な性格を表している。
「ここに訪れる人はみなが特別なんですよ。なにせ、この世界では意識を保つことすら簡単ではないのですから」
彼は襟を整えて小さく深呼吸をして、半透明な球体を取りだした。
「この結晶に触れて頂いても?」
「なに?」
ウィンジーは訝しむことを隠そうともしなかった。
「ちょっとした確認ですよ」
「それが、どれほど大切か判っていってるの?」
「大丈夫ですよ。私は、外の世界には出ないので、漏洩の心配はいりません」
彼は学者らしくない人好きのする笑みで答えた。




