3章-28
息を殺して藪の隙間から広間を窺っていると、真白な毛を蓄えた男が姿を現した。その見目は老人といった感じだが、背筋は伸びており、年齢は感じさせなかった。
まるで老人の皮を被った子供のようだ。そのようにミリスには感じられた。
その男は真直ぐに異形の樹木の元まで寄り、根元にそっと手を触れた。すると根の股から薄明かりが立ち昇り、深淵の闇を抱える樹の洞を浮かびあがらせた。男はそのまま、その洞に姿を消した。
「…………」
ミリスは塞がらない口を抑えて隣を窺った。ウィンジーはいつもの平然とした表情だったが、その瞳は確かに驚愕の色を帯びていた。
「……這入ったね」
「這入りましたね」
あのウィンジーも動揺を隠せないようで、焦点の定まらない瞳が呆然と暗闇に向かっていた。否、全てを呑みこむ深淵の闇が彼女の視線を吸い寄せて放さないのだ。
「なにがあるのでしょう」
這入りましょう。本当はそういいたかった。けれども彼女の旅人であるという矜持がそれを思いとどまらせた。冒険者ではないのだから、当然冒険はしない。安全な道を安全に移動する。そこに迷宮は必要がない。けれども、人は理解していても納得できないことがあるものだ。
「さあね」
ウィンジーは興味なさそうに鼻を鳴らすが、その視線は寸毫も移ろいでいない。それに少しの手応えを感じてミリスは確と頷いた。
「這入りましょうか?」
追いましょうか。そう訊ねなかったのは彼女の前のめりな心情を表している。それを指摘しないのだからウィンジーの心も漣程度は昂っていたのだろう。
少しの逡巡を経て、ウィンジーは頷いた。
「そうだね」
「…………」
「どうしたの?」
「少し、意外だったもので」
「……なにが?」
そう訊ねるウィンジーは少し不満そうだった。
「旅人は冒険者と違うって」
「それはそうなんだけどね」
ウィンジーは収まりが悪そうに、髪の上から項を撫でた。
「他になにかあるのですか?」
ウィンジーは唸りながら首を傾ける。そして、小さく頷いた。
「この先に忘れものをした気がしてね」
忘れものですか? ミリスは訊ねなかった。不思議というより他にないのだが、彼女自身もウィンジーが口にしたような感覚を――靄を掴むような儚い手応えだが――確かに覚えていたからだ。
「……では」
急ぎましょうか。その言葉が喉につまった。
既に決心がついているはずなのに、なぜか躊躇われる。それは忘れものとなにか関係しているのだろうか。
結局、二人は言葉にして進路を語ることなかった。
ウィンジーは無限に続くかに思われる穴を覗きこむと、おもむろに光の玉を闇の中に抛った。明るく塗りたくられた壁がずっと降りていく。それを追うように、ウィンジーは飛びこんだ。
はためく真黒な外套が明かりを隠し、穴の底が途端に暗くなった。次の瞬間、ウィンジーの存在を際立たせるように柔らかな光が浮かびあがった。全てを受けとめるような、その優しい明かりに惹かれるようにして、ミリスも穴へと飛びこんだ。




