3章-5 イーヴィヒの爺さん
2024/9/24 加筆修正
暗緑の葉を茂らせた森はひどく不穏に見える。ボロボロの布切れを外套ように羽織った男は、その光景と非常によく馴染んでいた。その姿は旅の人というより長く彷徨を続けた浮浪者のようだった。
「また来客みたいだよ」
ウィンジーは夕闇が滲む窓を見た。しかし村長は少し不満そうだった。彼は訝しそうに振り返り、失望したようにウィンジーのほうを見た。
「あれですか」
村長は盛大に溜息をついた。窓の外では男がちょうど布切れを脱いでいるところだった。彼が無造作に布を畳むと、背中に大きな鶴嘴が見えた。その嘴先は鈍色に輝き、木の柄には握り痕があった。
「あれはイーヴィヒの爺さんです」
「この村の人なのですか?」
ミリスが細い首を傾げた。その無垢なる瞳に見つめられて村長は僅かに目を泳がせた。それから両膝に腕を立て、手で顔の半分を隠した。
「そう問われれば否定できません。……彼は不思議な人なのです」
村長の目は確と据わっていたが、それは特定のなにかに向かってはいなかった。
「彼は輝石の採掘者で、私が子供のころから採掘を続け、今でもあのように採掘に向かっています。輝石
はとても硬いので、老人一人では一〇日に一欠片ほどしか採ることができませんが……。それでも、あの奥の小屋を見てください」
そういってイーヴィヒの爺さんの後ろの小屋を指差した。古びた建物が並ぶ村の中においても、それの古めかしさは一段と際立つものがある。
「あと数年も経たないうちに、あの小屋がいっぱいになるでしょう。まるで昔のドワーフの諺のようです」
「砂を寄せれば岩となる」
ミリスを見る村長の眼差しに色が差した。
「感心しました。幼い少女が二人旅と聞いて初めは悪魔付かなにかかと疑ってしまいましたが、それほどの知識があれば、旅路も越えられたことでしょう」
彼は大きく頷きながらフードの下から微かに覗くウィンジーの口元を見遣った。ウィンジーは唇を一文字に結んだまま、視線から逃れるように少し俯いた。
「それにしても元気なお爺さんですね」
「本当にもう」
「いくつになるのですか?」
「それが……判らないのです」
「あ、すみません。村長だからといって、全員の年齢まで憶えきれないですよね」
「そうではないのです」
「…………」
「私が幼いころから、あの姿なのです」
「もしかして、……ドワーフなのですか?」
「いえ。それなら気味悪がったりしません。彼は正真正銘、我々と同族です」
「……え?」
「驚かれたでしょう。不老不死の魔法にでも罹っているなら、あるいは……」
「そんな魔法はないよ。あるとすれば呪いの類いだね」
「それが本当なら余程気味が悪い」
村長は全身の毛を毛羽立たせるように身震いした。
それをフードの陰に隠れた双眸が冷たく突き刺していた。彼はもう一度身震いして席を立った。彼は奥のほうにいき、しばらくして帰ってくると、湯気の昇るカップを持っていた。席につくなり、それを一気に呷り、ゆっくりと胸を撫で下ろした。
「若人を脅かすようなことをいってしまい、申し訳ありません。本当に怖がらせるつもりはなかったんです。久しぶりの来客に年甲斐もなく浮かれてしまったんですかね」
先までの雰囲気から一変して温厚な笑顔をした。しかし、あまりにも温厚を絵に描いたような表情は別の一面を覆い隠しているように見えた。その秘めたる表情こそが核心である、そう思われてならなかった。
村長は出し抜けに立ちあがった。逆光が温厚な佇まいに闇を落とした。
「あまり長く拘束しては迷惑ですよね」
彼はそういって扉を開き、退出するように促した。
「輝石がご入り用でしたら、勝手に持っていってくださいね。遠慮はしなくて結構ですよ。なにせ、あの通り余っていますから」
「そう?」
ウィンジーは嬉しそうに呟いた。「ありがとう」と彼女は礼をいって、席を立った。先回りしたミリスが扉を開けた。ウィンジーが敷居を跨ぐとき、思いだしたように「あ」と呟いて足をとめた。
「そうだ」
「なにかありました?」
「グレンツェの結晶の採掘者は他にもいるの?」
「いえ。彼が最後の一人です」
「そっか」
ウィンジーは素気なく応えて部屋を後にした。扉が閉じられたことを確認すると、彼女はしみじみと呟いた。
「不思議なこともあるものだね」
ウィンジーの瞳は、老い耄れた背中を映していた。




