3章-4 グレンツェの結晶
2024/9/24 加筆修正
翁は藪を掻き分けて奥へと進んでいく。森に整備された道は通っていない。樹々の間隙のうち、進みやすい筋道を繰り返し歩き続けることで、いわゆる獣道となるのだ。だから彼の進む道も当然のように曲がりくねっていた。
その道は迂路を描いていたが、その足取りに一切の懊悩がないからミリスは彷徨している気分にならなかった。ただ鬱然とした森の中では老人の背中が頻繁に大樹の陰に隠れるから、そのたびに見失ったという恐怖が背筋を走るのだけが気持ち悪かった。
正しく天然の迷宮だった。
「……もう何十年ぶりか」
前触れもなく老人は呟いた。
ミリスはそれに対する相槌を考える。その答えが出る前に視界が開けた。
円形に拓けた樹林。その区画はなにかに隠されるように、不吉な霧に覆われていた。陰鬱と表現するに相応しい場所にその集落はあった。
「随分と早かったね。上々かい?」
「いや。今日は手ぶらだよ」
「なにしてんのさ」
暢気そうな中年女性が翁の背中を思いきり叩いた。彼は老人らしく二三歩よろけて苦笑した。その拍子に傾いた弓を背負い直しながら振り返った。
「一服してたら珍しい人に出会ってね」
彼はミリスに一瞥をくれた。それは確かにミリスを捉えていた。
「客かい?」
女は首を伸ばして老人の後ろを覗いた。そして二人の姿を認めると、不景気だった顔が途端に晴れた。と同時に振りかえり、傍から判るほど大きく胸を膨らませる。
「おーい。お客さんだよ!」
その一声に反応して、寂れた家から一斉に人が溢れだした。彼らは勢いそのままに二人を囲って好奇の視線を向けた。とはいっても、黒墨の郷の歓迎ほど大勢ではない。女は全員が揃ったのを確認すると、両腕を広げて二人を顧みた。その顔には、すっかり外行の笑顔を張りつけていた。
「やあ、お客さん」
二人は理由も判らないまま歓迎を受けた。その歓迎は黒墨の郷のような宴会ではなく、寂れた村で一番立派な屋敷に通されるというものだった。そこで色褪せた革張りのソファに座らされ、酸味の香る茶が二つ天板に並べられた。
「どうぞ。遠慮なさらずに」
村長は人の良さそうな笑顔で茶を勧めた。
勧められるままにミリスはカップを取った。口元まで運ぶと、その香りはより強烈になって鼻を突き刺す。ミリスは上目遣いに村長を窺った。彼は顔色一つ変えていない。ミリスは恐る恐る上澄みを啜った。一瞬にしてなんともいえない渋みが広がり、少し遅れて刺激的な酸味が口内を支配した。ミリスは顔を青くしないことに精いっぱいだった。隣で同じように啜っているウィンジーは平然としている。
「この村の特産品なのですが……」
村長は遠慮がちにいった。
「少し古い味がするね」
ウィンジーはカップを置いた。
「昔は活気があって、この茶を作る家もたくさんあったのですが」
「今は?」
「細々と作っているだけです。技術を繋ぐという名目ですが、在庫は積みあがっていくばかりで……」
ミリスはもう一度茶を啜り、それからカップを置いた。やはり二口目から美味ということはなかった。
そうですか……。村長は悲しげに肩を落としている。悄然と萎びた立派な顎鬚がミリスの目に留まった。
ミリスは小声でウィンジーに耳打ちした。
「ここでは旅人は珍しいのですか?」
「さあね。辺鄙なところだから」
「昔はよく訪れたのですよ」
決して相手が老人だからというつもりはなかったが、ミリスとしては内輪の話のつもりだったから決まりが悪かった。けれども村長に気にした様子はなかった。彼は俯いたまま話し始めた。
「私がまだ、あなたくらいの年頃、この村はとても賑わっていました」
唐突な回想は、これから始まる壮大な冒険を予感させた。
「ここから少しいったところで、不思議な結晶があるのです。それは魔力を吸収する性質があるようで、剣に埋めこめば魔剣に、布に織りこめばちょっとした魔法くらいなら弾くようになります。要するに、それは使えばあらゆるものを魔法具にすることができるのです」
「グレンツェ の結晶か。聞いたことあるよ」
「それは……」
村長はちょっと驚いて見せた。
「お嬢さんの年齢で。博識ですね、その通りです。世間ではグレンツェの結晶と呼ばれていましたが、私たちは奇跡の石や魔の輝石と呼んでいました」
彼は喉を撫でてから大きく咳払いをした。
「話が逸れてしまいましたね。魔法使いなら、その有用性も判るでしょう。それに、輝石はとても稀少なものでした。どうやら、この周辺でしか取れない上に、ご覧の通り、この近辺はよく眩惑の霧がかかります」
「それが、どうして……?」
「世の中が平和になったからです。魔法具は主に武器や防具として用いられます。それは戦いのためにあるものです。その時代、戦いというのは主に魔属と行うものでした。魔属と戦うのに魔法は欠かせません。しかし、魔法は誰にでも平等に使えるわけではない。けれども、その厄災は誰にでも降りかかるものです。だから才のないものは道具に頼るしかありませんでした」
「そのための魔法具なのですね」
「そうです」
「人属相手に魔法は効果的ではない」
ミリスはウィンジーの言葉をそのまま呟いた。老人は心底驚いたように目を見開いた。
「さすがです。まるで歴戦の魔法使いのようですね。ただでさえ魔法具は人属相手の戦闘には向いていない。さらに万能に見える魔法具にも弱点がありました。それは融通が利かないことです。火炎を撃つ魔法の輝石はそれしか使えないのです。威力は高くても多勢には無力です」
「そうですね」
唇を固く結んだ。人狩りに襲われたときに、ミリスはそれを厭というほど思い知っていた。
その重苦しい表情に、村長は苦笑した。
「それに人間を殺すためには、もっと手っ取り早い方法がたくさんありますから」
村長は悲哀の眼差しでミリスを見つめた。ミリスはなんと答えればよいか判らず、黙して俯いた。
しばし沈黙が流れた。
「あ」
ウィンジーが不意に声をあげた。その視線は窓のほうを見ている。
「珍しいことは続くものだね」
その先にはボロボロの外套を羽織った影があった。




