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弔花のウィンジー  作者: 鈴木白紙
3章 回帰の魔窟
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3章-3 翁

2024/2/12 加筆修正

2024/9/23 加筆修正

 煙が鎮まり始めると、鬱然とした木立が浮かんでくる。二人を前のめりに睥睨する立姿は自然の不気味さと威圧の象徴のようであった。


 所狭しと並んだ樹々と蔓草が成した密林は遠目を許さず、まるで絶壁のように二人を囲っていた。それは閉ざされた扉のように先を塞いでいたが、同時に二人を外敵から守ってもいる。


 しかしウィンジーの展開した障壁になにかが直撃したのは確かだった。


「敵の数は?」


 ミリスは姿勢を低くしたまま訊ねた。


 その問いにウィンジーは答えなかった。ただ息を潜めたまま、じっと意識の網を張り巡らせていた。ミリスはその意味を確かめようと顔をあげた。


 まず目に這入ったのは下草に降り積もった砂埃の類いだった。毒々しいまでの緑に白い斑点を作っていた。さらに顔をあげると、そこにあるのは黒い壁だった。


 間隙のほとんどない木葉が作った暗闇が樹皮の表情を暗くしている。その様子は壁と形容されるものだった。それが威圧するようにミリスを見下ろしているのだ。その暴力的なまでの重たい威圧は思考を許さない。ここでは恐怖の味がする空気を吸いこむこと以外にできることはないのだ、という気にさせた。


 ミリスはすっかり空気に呑まれていたが、ウィンジーは杖を握って叛逆の構えを見せている。


「走るよ?」


 ミリスが頷かないうちにウィンジーは森に向かって魔法を放った。牆壁を穿ち、籬垣に隙孔を開けた。そこから風が吹きこむや否や、ウィンジーはミリス手を握った。ウィンジーはそのまま、闇の巣食う間隙に飛びこんだ。


 ミリスは引きずられるように走りながら、後ろを振り返った。ウィンジーに撃ち抜かれた樹は腹に穴をあけ、白い煙を立てている。蔓草は黒く焦げ、厭な臭いを発していた。


 そうしているうちに、ミリスは無為の桎梏から解放されていることに気づいた。自由の利く手を軽く振って、それから頷いた。


 一人で走れますから。ミリスは掠れた声で囁いた。


 右も左もない昏い叢林の迷宮の中、幽かに草を踏み分けたような痕が見えた。本当に踏まれてできたものなのか確かではなかったが、今の二人が縋るには十分だった。もしかしたら、ほんの少し、人の温もりを追いかけたのかも知れなかった。二人はもう数ヶ月も互い以外の人と出会っていなかったのだから。


 段々と鮮明になる草分けの果てに朧な明かりが滲んでいた。ミリスは無意識に安堵の吐息を漏らしていた。


「人のようです」


「みたいだね」


 ウィンジーは歩を緩め、警戒するように身を屈めてそれに近づいた。ミリスもそれに倣って藪の隙間から火元を覗いた。


 白髪を頭頂に結った翁が腐りかけの丸太に座っている。背中に大きな弓を背負い、手元を見つめてなにやら細工をしていた。


 藪に身を潜めてそれを窺っていると、不意に翁が箙から矢を一本抜き取った。弦の張り具合でも確かめるようにゆっくりと弓を構え、宛もない様子で、その鋩を水平に移動させている。


 その射線が通るたびに、ミリスは身を強張らせた。何度目かの往復の折、それが二人に向いた瞬間に鋩は制止した。それは真直ぐにミリスを見据えていた。


 ミリスは思わず息を呑んだ。そのとき、弓がギシリと軋んだ。気がした。


 ――ヒュッ。


 鏃の煌めきが空気を切り裂いた。藪の隙間を的確に貫いて、ミリスの眉間へと迫る。


 あ。と、声を発する間もなかった。死んだという確かな直感を受けた瞬間、ミリスの視界には、枝先のように細く頼りない棒が現れた。それは突けば折れそうだったが、矢を受けとめた。キンッと金属同士が衝突するような音が響いた。一瞬の均衡の後、矢のほうが弾かれた。


「驚いた」


「それはこちらがいいたいね」


 ウィンジーは立ちあがった。それは旧友の挨拶のようだったが、互いの射るような視線がそうでないことを物語っている。


 陰鬱とした樹林の陰のような黒い外套で全身を隠したままのウィンジーに顔を露にする素振りはない。それを敵愾心と見たのか、翁は反射的に二の矢を掴んでいた。しかし、ウィンジーが右手に持ったままの短杖を見て、それを番えることはなかった。


「……もう一人いたのか」


 そういわれて、ミリスは狼狽した。翁の鏃のような鋭い目付きが藪に潜んだ彼女を正確に突き刺していた。矢の標的はミリスだったのだ。すみません。彼女は謝罪しようとしたが、喉が強張ってうまく言葉にならなかった。


「私たちは敵じゃないよ。道に迷ってしまってね」


 そういう彼女は杖を握ったままだった。


「探検家かな?」


「ただの旅人だよ」


「そうか」


 老人はゆっくりと立ちあがった。大弓を背負い直し、焚火を蹴飛ばした。灰が舞いあがった。火種を抱いたまま転がった薪に向かって足で土をかけた。土の焦げる臭いと共に白い煙があがった。


「こっちだ」


 彼は振りかえることなく、矍鑠とした足取りで木立の中に這入っていった。


 闇に誘うような背中にミリスは身震いを禁じ得なかった。けれどもウィンジーは逡巡なく、それを追った。それに続こうとミリスは立ちあがったが、足が竦んだままでうまく歩けなかった。その足を魔法で運びながら、ウィンジーの背中を追いかけた。

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