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弔花のウィンジー  作者: 鈴木白紙
3章 回帰の魔窟
42/90

3章-1 魔の巣窟

2024/2/19 加筆修正

2024/9/22 加筆修正

 旅の本質とは別離である。


 それは誰に教わるでもなく、遊子がおのずから気づくことである。ウィンジーはとうの昔にその事実を学んでいたし、ミリスも今となっては紛れもない事実だと知っていた。その筈だった。


 しかし知っていることと目の当たりにすることは同義ではないのだ。




「ウィンジー様!」


 ミリスの必死な叫びは円蓋に反射しながら清冽な暗黒の虚空に吸いこまれていく。その無数の反響に応える声に彼女は意識を向けられなかった。その直前、鋭い痛みが彼女を襲ったのだ。


 彼女は額を抑えながら咄嗟に蹲った。抗う気概を、否、気力の一切を奪うほどに強烈な頭痛を相手に、為せることは歯を食い縛るくらいしか残されていなかった。揺らぐ視界の中に激甚とした閃光が侵入し、ミリスの揺らぐ意識を繋ぎとめていた。それ主はウィンジーだった。彼女は聖樹の杖を構え、なにか強大なものと対峙していた。表情はおろか横顔すらも見ることは叶わなかったが、か細いその背中だけは閃光によってはっきりと浮かびあがっていた。


 ミリスはその激しい逆光にウィンジーの背中を直視するも難しかったが、薄めに窺った背中だけで剣呑とした表情を察するには十分だった。ウィンジーがそれほどまで真剣に対峙している場面にミリスはいまだかつて立ち会ったことはなかった。恐ろしさとほんの少しの好奇心に惹かれ、ミリスはその正体を確かに両目で捉えようと顔をあげた。


 刹那、彼女の意識は純白を通り越して、もはや空白と化した光によって薙ぎ払われた。




 それはどれほどの時間だったのだろうか。


 火薬のように弾けた激痛は時流に排された。全身に鈍く重たい痛みが残っているだけだ。ミリスは瞼をおろしたまま、全身の傷を確かめるように上から摩っていった。傷だらけの筈も外套もつるりとした一枚の布のままで、躰は小傷の一つすらついていないようだった。


 はっと覚醒した意識が前面に現れると、そこは密林の只中だった。


 立ち止まった彼女を慮るようにウィンジーが振りかえった。


「どうかした?」


「いえ」


 ミリスは大きく頭を振った。


 そうしているうちに、記憶の破片にある風景と眼前に広がる光景があまりにも異なることに気がついた。鬱蒼と茂る草木に陽は遮られて薄暗かったが、今が昼時であると判るほどには明るい。しかし記憶にある光景は魔法の燈を提げていなければ足下さえ覚束ないような暗がりだった。


 心象にある景色と現在のそれがあまりにも異なっている。それを白日夢でないと断ずることができるほど、彼女は自身の意識というものを確固たるものと思えていなかった。


「なんでもありません」


 ミリスは首を横に振って、そう答えた。


「これから先は魔の領域だから、ぼうっとしてたら意識を奪われるよ」


 ウィンジーのその忠告にどことない聞覚えを感じながら、ミリスは深々と頷いた。


 その忠告を意識して改めて前方を見据えると、まるで行く先を遮るように立ち並ぶ木々は、その背後に暗い笑顔を隠しているようだった。


 そのときミリスは初めて進むことが怖いと感じた。山育ちの彼女はすぐ隣に森があるのは当然で、木々の間を潜り抜けることは楽しいことであって、恐怖の感情とは縁のないものだった。しかし、目の前の森が闇の帳の裏に隠した表情は、そんなミリスを怯えさせた。


 しかし、ウィンジーは平然と進んでいく。ここで立ち止まっていれば、先のようにもう一度振り返ってくれるのかも知れないが、ミリスにとって旅の邪魔になることは憚られた。


 暗い森へ踏み入ると、暗影は一歩だけ後じさりする。もう一歩進むと、さらに遠ざかる。けれども闇の向こうにはなにかが潜んでいる気がしてならなかった。


 ウィンジーから離れぬようにミリスは小さな歩幅で足早に歩く。腕を伸ばせば、手を取れるほど近くにいるのに、孤独感が迫って離れなかった。まるで一人舞台に立って衆目を一身に集めているような感覚だ。そこら中で葉擦れ音がするのに、やけに静かだった。ウィンジーの跫音もどこか遠くの出来事のよう。だのに葉擦れ音だけが耳鳴りのようにやたらと大きくて、聴力を喪ったのではないかとさえ思われた。


 今、魔人が耳元で「ここから先は魔界だ」と嘯いても、ミリスは反駁することなく鵜吞みにしてしまうだろう。彼女の精神は禍々しい森に呑まれていた。


 これ以上、黙していることにミリスは耐えられなかった。


「あの、魔の領域ってなんですか?」


「概念そのものを説明するのは難しいかな。ざっくり説明すると、上級魔人の巣窟ってことになると思う」


 本来は逆なんだけどね、ウィンジーは答えた。その口振りは言葉の物騒さに比して、至って穏健だった。だからか、ミリスも緊張を抱くことなく、いつものように疑問に感じたままを訊ねた。


「では、この奥にも上級魔人がいるのですか?」


「いるよ」


 ウィンジーは声を低めた。その一言に、ミリスは思わず固唾を呑んだ。闇色の声音は、それほど静かで同時に冷たくもあった。


「『永劫のハプテキズム』、静かなる世界の覇者だよ」

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