【閑話】 ある朝
ミリスが目を覚ますと、隣に黒い外套の姿がなくなっていた。それに気づくのは今日が初めてではない。普段ならこのまま瞼を下ろすところだったが、久しぶりの熱気はあまりに寝苦しく、ミリスは粗布を払った。彼女は胸元を少し開き、鎖骨を露にした。
遠つ空が仄かな青紫に照り、曙の兆候を表し始めている。
消えかけの火種を掘り起こして枯木を被せた。白い煙が燻り、それに黒い糸が混じる。三角に座り、寝起きの呆然とした頭でミリスはそれを眺めていた。
気づくと瞼が半分ほど下りて、そこからゆっくりと瞬きをしていた。ゆらゆらと頭が揺れて、ミリスの首がカクンと折れた。半覚醒の眼が焚火の向かいに黒い人影を捉えた。
「おはよう」
それは、よく知った声でミリスに声をかけた。半開きの瞼が一気に跳ねあがり、その衝撃で背筋が伸びた。
「おはようございます」
急な反応に、黒い外套は躰ごと傾いた。
「いえ、なんでもありません」
ミリスは立ちあがって焚火の横に二又の金具を二つ突き刺した。その又に棒を渡して、水を満たした鍋をかけた。鍋の上に網を乗せて、乾物を抛る。間もなく、香ばしさが立ち昇り始めた。
向こうの雲が段々と白く染まり、そこら中に繁茂した樹木と枝葉と蔓草が暗闇の中で確かな実体を顕在化させる。
ウィンジーが鼻腔を大きくして胸いっぱいに香りを吸いこんでいる。それを確認してミリスは咳払いをした。
「ところで……」
「ところで?」
ウィンジーは首を傾いだ。
「ウィンジー様は夜中にどこへいっているのですか?」
「え?」
彼女は我関せず、といった様子だった。
「周辺の警戒にね」
あからさまに視線をさまよわせている。彼女は網の上の乾物に手を伸ばし、指先がそれに触れるが早いか勢いよく手を引いた。
「素手じゃ取れないよ」
「誤魔化しても無駄です」
「だから、外敵がいないかの確認にね」
「嘘ですよね?」
「ミリスが安心して寝ていられるように、と」
ミリスは言葉なくウィンジーを見据えた。彼女は視線を落とし、自らの爪先を見つめた。
「……あのね」
それは独り言のように小さな声だった。
「私は人が近くにいるとうまく眠れないんだよ」
「え?」
ミリスは一瞬、耳を疑った。
「一人旅が長かったからかな」
「本当なのですか?」
「嘘なんかつかないよ」
「ウィンジー様にもそのような弱点があったのですね」
「弱点……。そうかもね」
ウィンジーは下を向いたまま苦笑した。
「確かに眠っている間は無防備ですからね」
「まあね」
「でも、少し悲しいです」
「どうして?」
「信用されていないみたいではないですか……」
「これは癖みたいなものだよ。ほら、私が空を見あげながら歩くようなものだよ」
「そうですよね」
「うん」
「……でも」
「まだなにかあるの?」
「やはり気になります」
「だから癖みたいなものだって……」
「私のこれも癖のようなものですから……」
次はミリスが顔を逸らす番だった。




