2章-4 洞窟
ハンレイに貰った印章を見せると門番は怪訝な顔をしたが、面倒な問答はなく洞窟に這入ることができた。
冷気と暗闇を抱いた洞窟は、人の気配はおろか生物の気配すらもなかった。洞窟は入口こそ街燈のように並んだ松明が明るくしていたが、外界の光が届かなくなるころ、その燈火の列が終わった。松明の火花を散らす音を置き去りにすると、その空間から音がなくなった。そこに二人の跫音だけが淋しく響いた。
松明の残光が薄れて、いよいよ完全な闇に呑まれた。
「役に立たないね」
そういいながら、ウィンジーは短杖の先に明かりを燈した。入口の光が天よりも小さくなったころ、人の気配がなくなるとウィンジーが口を開いた。
「あの爺さんはああいってたけど、私の魔法は特別ってわけじゃないよ。ただ魔法には色があって、透明というのは見ることができない。見えないものは測れない。それだけだよ」
それを特別と呼ぶのではないのですか? 喉元まででかかった言葉を、しかしミリスは呑みこんだ。彼女は今更ウィンジーにそれを指摘するのは野暮だと痛感していた。
「実際、色は後天的な要素でいくらでも変えられる。ただ、先入観に邪魔をされているだけだよ」
「前に似たような話を聞きました」
「そうだったっけ?」
ウィンジーは心当たりないかのように首を傾げた。
「そういえば、ここにはどのような魔獣がいるのですか?」
「え、知らないよ」
「知らないのに引き受けたのですか?」
「私だって全てを知っているわけじゃないんだよ?」
「申し訳ありません」
「別に謝ることじゃないよ」
「では、ある程度の見当はついているのですか?」
「無ではないよ」
「教えてください」
「見てからの楽しみにしたほうが良くない?」
「足を引っ張りたくないので」
「知ってたところで変わらないと思うけどね」
「…………」
「そんなに知りたいなら話すけど?」
「お願いします」
ウィンジーは短杖を振って光を消した。と、同時に彼女は足を止めてミリスもそれに続いた。真暗な中、ミリスは一歩たりとも踏みだすことはできなかった。
「洞穴に住む魔獣ってどんなのか判る?」
「岩を食べる魔獣でしょうか?」
「確かに、魔獣も生物である以上、そこに食物は必要だ。でも、本質的に、その答えは間違っている。よく考えてみて。どんなところでも、地面を掘れば大抵岩に当たるんだよ。深いか浅いかの違いはあるけど。でも、食物に埋もれていなければいけない生物というのも変な話だよね」
「はい」
ミリスは自らの回答が短絡的であると思い知った。
「穴の深くにあって、外にはないものってなんだと思う?」
「……外にないものですか?」
「難しく考えすぎだよ」
「……でも」
「逆に考えてみなよ」
「外にあって、穴の深くにないもの……。陽射し、でしょうか?」
「お、正解」
ウィンジーが微笑んで、再び短杖に光を燈した。
「こういうところにいるのは、光を嫌う魔獣か、光を求めない魔獣か」
「それは違うのですか?」
「全然違うよ。光を嫌うのは、そのままの意味でしょ。光を求めないというのは、光が必要ない魔獣ということだよ」
「少し判りました」
ミリスは杖先の光点を見た。
「だから、その光なんですね」
「違うよ。光を嫌う魔獣はこんなところにいない」
「え、そうなのですか?」
「普通、そういう魔獣は土の中にいるからね。たまに迷いこむこともあるから絶対じゃないけどね」
「光を必要としないとはどういうことでしょう」
「単純だよ。視覚に頼らないってこと」
「なるほど」
「そう簡単に捉えたら本質を見失うよ」
ミリスは疑問符を浮かべた。
「今、視覚に頼らないことと他の感覚が鋭いことを連想したでしょ?」
「はい」
「間違ってないけどね。その感覚が人と共通しているかどうかは別の問題だよ」
「人には判らない方法で状況を捉えている可能性を考えなければならないってことですね」
「簡単にいうと、デモンウルススと対決したときのような方法は使えないってことだよ」
「見ていたのですか?」
「まあね」
「全然気づきませんでした」
ミリスはあのときの高ぶった気持ちを思いだした。あのときの感覚はいつ思いだしても清々しい気分になれた。しかし、その感覚は勝利を知っている今だからなのかも知れない。ミリスはそう冷静に分析する。戦闘において、恐怖心を忘れてはいけないのだ。
「もう一つ重要なことを教えておいてあげるよ」
ウィンジーは忠告した。その声はどこまでも続くかに見える穴によく響いた。しばらくして闇の奥から残響と、気味の悪い物音が返ってきた。
「陰には同時に光という意味もあるんだよ」