1章-13 杖呼びの魔法
2023/11/25 加筆修正
ミリスは檻のある天幕の横につくと、外に向かって魔法を放った。透明なそれは天幕の脇を縫って岩塚の一つを弾けさせた。岩が崩れる音が鳴り止まないうちに警鐘が響いた。その音を合図に、蜂の巣をつついたような勢いで跫音が一斉に集まってくる。それでいて、騒乱というような状況ではなかった。けれども一人が天幕に這入るくらいの隙はあった。
武器を持って行き交う人波の間隙を狙って、ミリスは天幕に忍びこんだ。
檻の中の子を宥めるように両手をあげながら、そっと近づき、軽く念じた。野営地の中で爆炎があがり、今後こそ、騒ぎが大きくなった。
ミリスは檻の裏に回り、柵の隙間から杖を入れて錠前にあてた。
――開錠の魔法。
淡い光が錠前を包む。
息を潜めながら開錠を待つ。ミリスは息を潜めて魔法を使用している状態ではあったが、気分としては手持ち無沙汰だった。しかし不思議と緊張や焦躁の類いはない。だが、ただ黙して開錠を待てるような鎮まった状況ではない。ミリスは自然に中の子供へ識別の目を向けていた。
その子供は小柄で痩せ細っていて、肉付きから性別は判らない。年はミリスと同じか少し上くらいに見えた。だが、膝頭を抱える手が異常に逞しく、ミリスは息を呑んだ。彼女は、この手に見覚えがあった。
それはセンリョクの手だった。彼の手はより大きく、岩のようにゴツゴツとしていたが、間違いなく――
「ドワーフ……?」
子供は虚ろな表情で小さく頭を上下させた。それは、確かに首肯だった。
そのとき、ガチャッ、と開錠音が鳴った。意外に早かった、というのがミリスの率直な感想だった。
「逃げるよ」
ミリスは檻にも開錠の魔法をかけて、そっと開いた。
「こんなところに鼠がいるな」
愉快そうな男の声だった。恐る恐るそちらを見ると、人影が多数、天幕の入口を塞いでいた。
「杖……」
上等な身形の男が面白くなさそうに呟いた。男は鋭い目付きでミリスの全身を隈なく鑑別し、嘆息を漏らした。
「相手は魔法使いか」
「そうですが?」
「威勢がいいな。出番だぞ、アルチーナ」
「あら、魔法使い?」
人波を掻き分け、色香を振り撒く長身の女が現れた。女は深いスリットの入ったワンピースに身を包み、胸元のほとんどを露にしている。
その右手には短い杖があった。
「魔法使いが相手ですか……」
ミリスは二歩下がった。そのとき、近くで巨大な爆発音が鳴った。人垣に明らかな動揺が走る。男たちがあたふたとするなか、アルチーナと呼ばれた女は魅惑的な微笑を崩さずにミリスを見下ろしていた。
「魔女よ、私は魔女。魔法使いなんかと一緒にしないで欲しいわね、小さい魔法使いさん」
アルチーナは唇をそっと撫でた。それだけのことで、天幕を囲んでいた人垣が雪崩れるように倒れた。
ミリスは愕然とした。目下で筋骨隆々とした男たちが前触れもなく卒倒したのだ。それが魔法だとしたら、ミリスにはとても計り知れないほど高度な技術だ。彼女の目には驚駭よりも恐怖が色濃く表れていた。
「それにしても、その若さで単身の突撃とは……。相当腕に覚えがあるのか、それとも若さゆえの無鉄砲?」
「…………」
ミリスは応えなかった。ただ、子供を引き寄せて杖を構えた。
「なかなか良い杖を持ってるじゃない。それ、頂いてもいいかしら」
アルチーナは右手を前にだし、魔力を集中させた。
――杖呼びの魔法!?
ミリスは反射的に杖を握り締めた。その直感は正しかった。杖は不思議な力に引かれるところを、なんとか離さなかった。
「さすがに馴染んでるわね」
アルチーナは杖先を鋭く輝かせ、ミリスの右肩を撃ち抜いた。なんの変哲もない魔法の矢であったが、ミリスは反応することができなかった。
ミリスは咄嗟に左手で傷口を抑えるが、右手の感覚が薄れていく。
再びアルチーナが右手に魔力を集中させた。その瞬間、ミリスの右手が宙を掴んだ。ミリスの表情が驚愕に染まった。空になった右手と、アルチーナが持つ杖を見比べた。
「返してください」
その声は掠れていた。
「これは……、ひよっこには勿体ない杖ね」
アルチーナは足元で倒れた男に杖を向け、その心臓を撃ち抜いた。籠った断末魔だけ残して、男は上半身が消滅した。
「これは戴くわね、お嬢さん」
そのまま杖先をミリスに向け、魔力を集中した。
――杖呼びの魔法!
ミリスは咄嗟に石杖を呼び、正面に障壁を展開した。甲高い鐘のような音が鳴り、障壁が砕けた。
「やるじゃない」
アルチーナが嗜虐的な微笑を湛えたまま、感心したように呟いた。
「どこまで耐えられるのかしら?」
杖先に魔力を溜め、ミリスに放った。ミリスはなんとか障壁を張る。だが、それで終わらなかった。まるで時間を刻むがごとく連続した魔法がミリスを襲った。
ミリスは必死に抵抗した。
「いい加減、面倒ね」
目元の微笑が消え、冷徹な光を帯びた。その杖は、檻の中で篩えるドワーフの子供に向かっていた。
「まっ――」
ミリスは咄嗟に身を乗りだした。その背中はあまりにも無防備だった。まるで死体でも撃つかのように、アルチーナは笑いながら魔法を放った。
「甘いわね」
腹を撃ち抜かれたミリスは掠れ声で喘いだ。その吐息には血反吐が混じっていた。
さようなら。アルチーナの口がそう動いた。瞬間、上空から声が響いた。
「情に掉さしたら、早死にするっていったでしょ」
その言葉が終わるより早く、アルチーナが天幕の外に吹き飛ばされた。
アルチーナは空中で体勢を整え、怒りを込めて天幕を睨みつけた。
「もう一人いたのか」