1章-8 囚人
2023/11/22 加筆修正
2023/12/14 加筆修正
ミリスの手に力が籠った。それをウィンジーは煩わしさを隠す素振りもなく振り払った。しかし思ったより、その束縛は強かった。ウィンジーは手首を摩りながら、ウィンジーは振り返った。
「まだなにかあるの?」
「ちょっと待ってください」
ミリスの声は潜みながらも、語気は弱まるところを知らなかった。が、無論ウィンジーがそれしきに怯む筈もない。ウィンジーは面倒そうに振り返った。
「もしかして、あれを助けようと思ってるの?」
その言葉はいつも通りに平淡だった。が、だからこそ、ミリスには冷淡な響きに聞こえた。
「…………」
ミリスは言葉をつまらせた。彼女は間違いなく助けたいと思っていた。だが、彼女にそれを主導できるほどの力はない。昨晩、五人を相手にしただけで危うかったのだ。あの野営地は規模から考えれば百人を超えていてもおかしくはない。
ミリスは唇をきつく結んで悔しそうに俯いた。
「残念ながら私にその気はないよ」
「……判っています」
確かにミリスは判っていた。ウィンジーにとって、これが平常運転に違いないことも、同時にこれがいつもの冗談でないことも。
だからこそ、ミリスは軽々しく言葉を発せなかったのだ。
「見損なった?」
「そうではありません」
「じゃあ、あの子に同情してるの?」
ウィンジーは檻のほう見ながら訊ねた。その言葉も、前の言葉も全てが同じ調子で、これがウィンジーにとっての普通なのだということを色濃く語っている。ミリスもそれを判別できる程度には冷静だった。
二人はしばらく黙して檻を見ていた。その間、所在なげに野営地を眺めているが、あの子は一向に動く気配を見せない。ただ、膝を抱えて、膝頭の上に額を置いている。眠っているのか、項垂れているのか。そこに生気は感じられなかった。
「同情……。確かに、これは同情なのかも知れませんね」
「そうだね。ミリスが一人だったら、今頃あの子の隣で同じようにしていたかもね」
その言葉は重たかった。ミリスは昨晩の夜襲に気づけたが、対処できたとはいえなかった。その事実をウィンジーは的確に指摘した。
「でもね、情に舵を任せていたら早死にするよ」
「でも、私には見過ごせません」
「助けたところでどうなるのさ。人狩りに狙われたんだ。あの子の両親はとっくに殺されてる筈だよ。あの子が大人になるまで面倒見られるの?」
天幕の奥の〝あの子〟は暗闇で小柄な躰をより小さくしている。それを横目で見て、ミリスの呼吸が浅くなる。ミリスは心を決めた。直接的に述べなければいけないときもあるのだ。
「助けたいです。手伝ってください」
その声は少し大きかった。ミリスは咄嗟に両手で口を塞いで、恐る恐る振りかえった。だが、野営地のほうに波風は立っていなかった。ミリスが安堵の吐息を漏らして正面を向くと、短杖を構えたウィンジーと目が合った。野営地に向けられ杖は仄かな光に包まれており、それは魔法の兆候を表していた。
すみません。その謝罪は口だけのもので、声には乗らなかった。
「それにさ。弱ってる奴隷なんかつれて、この先は進めないよ」
ウィンジーの声は至って平淡だった。
ミリスは俯いて、手に籠った力が抜けていく。ミリスは項垂れた。と同時に手に籠った力が抜けていく。それを見たウィンジーは満足そうに頷いて、後ろ髪を引かれた様子もなく踵を返した。
彼女はもう止まらない。そう判っていたが、ミリスはもうなにもいうことができなかった。しかし、それは言葉に限った話である。もともと彼女は言葉数が少ないほうだが、それ以外は饒舌なのだ。今は足が饒舌に彼女の心情を語っていた。その内容は哀愁漂うものだった。
感情というは少なからず周囲に影響を与えるものだ。正であれば正の、負であれば負の――。それはウィンジーも例外ではなく、負の足音は耳障りだった。ウィンジーは子供が相手だからと初めは無視していたが、これがいつまでも続くとなれば辛いものがある。
既に弊害もでていた。旅人のウィンジーからすれば大して距離は歩いていないのにいつもより足が重たかった。
ウィンジーの本分は基本的に一人旅である。ゆえに人付き合いは不慣れだった。彼女は項に手を置いて、小さく咳払いをした。
「仕方ないな。もしだよ、もし――」
そう前置きをして、ウィンジーはミリスを一瞥した。その眼差しは河原の石のように角が落ちていた。
二人の視線が一瞬だけ交差し、ウィンジーのほうからそれを外した。
「帰りここを通って、あの集団がまだいたら、そのときはまた考えてあげるよ。帰り道なら多少衰弱してても、そこまでの負担にはならないからね」
ウィンジーはいつも通りに呟いた。
ミリスの表情がパッと晴れた。振り返らずともウィンジーにはそれが判った。先ほどまであれほど重たかった足が急に軽くなったからだ。軽くなったどころか、普段よりも調子が良いくらいだった。
「このままいけば、日が暮れる前に山頂つける気がするよ。疲れてない」
「はい、大丈夫です」
ミリスは無邪気に頷いた。
「なら、善を急ぐこととしようか」