序章10
2024/5/3
ミリスが目を覚ますと、そこはいつもの寝床だった。もう眠気はなかったが、柔らかな暖気には不思議な引力があった。もう少し布団にいようかと思ったが、それは良くない気がする。不意に薪の弾ける音に気がついた。ふと窓を見ると、粉雪がちらちらと舞っていた。
布団から起きあがると肩から布団が滑り落ち、冷気が薄い服を貫通して柔らかな肌を刺した。空気は冬の臭いを帯びている。上着を取って居間にいくと、センリョクとウィンジーはそれぞれ工作をしていた。
「どれくらい経ちましたか?」
「昨日一日寝ていただけだよ」
答えたのはウィンジーだった。センリョクは石の棒をゴツゴツとやっていて、汗を流している。ミリスは暖炉の傍に立った。
「そんなに……」
「典型的な魔力欠乏だね」
「魔力不足ですか……」
「お腹減ったでしょ」
「……はい」
俯いて、ミリスは思いだしたようにお腹を摩った。すると、強烈な空腹感が襲ってきた。どこからともなくシチューの良い香りが漂っている。ミリスは自然にその香りの源を目で探っていた。
「センリョクが御馳走を用意してくれたみたいだよ」
ウィンジーは暖炉の上を目で指した。
土鍋がグツグツと音をたてながら揺れている。蓋の踊りにあわせて馥郁たる香りを漂わせた。隣では鉄板の上に鳥が姿のまま寝かせてあり、机には青々とした野菜が盛りあわされている。
ミリスは驚いた。姿の鳥も御馳走に違いないが、なにより青い野菜である。まだ冬ではないが、雪が舞い始める季節に青い野菜を用意するのは並大抵ではない。
「これはどうしたのですか?」
「まあいろいろとね」
ウィンジーは木彫りに向かって錐を突きたてている。センリョクの工作家としての優れた手つきとは、また違うこなれた手つきで彼女は紋様をあしらっている。その目つきはかつてないほど真剣で、ミリスはそれ以上の言葉を発するのがためらわれた。
ミリスは一人分の食器を用意し、食事に向かって小さく頭をさげた。それを務めてゆっくりとやる。そうしなければ、先に手がでそうだったからだ。そうして、熱々のシチューを一掬い口に含んだ。
そこからは至福の時間だった。
ミリスが少しずつ満腹感を覚え始めたころ、出し抜けにウィンジーが立ちあがった。
「ヨシ、できた」
木彫りを燈火に翳しながら大きく頷いた。そして、錐で開けた穴に紐を通し、ミリスの首にかけた。
「これはなんですか?」
「ペンダントだよ」
見れば判るでしょう。彼女の目はそういっている。ミリスは釈然としなかったが、丹念に施された細工と先のウィンジーの真剣な眼差しを見てしまったら、追及するのはためらわれた。
「似合ってるよ」
そのウィンジーの言葉が少し嬉しかった。
「かなり元気になったみたいだね」
「お陰様で」
「魔力が回復したら出立できる?」
「はい」
「ちゃんと食べて体力つけるんだよ」
ミリスは黙って頷いた。それに合わせてセンリョクが一際大きく石を打った。槌にあてられた砕片は火の粉のように散った。
「儂を忘れられたら困るな」
そういって重たそうに立ちあがった。先まで叩いていた石の表面を撫でると、満足そうに頷いた。持ち手には革が巻かれ、上部には黒い宝石が飾られている。そのせいか、前の石杖よりも立派な風格を漂わせている。
横でウィンジーが呆れ顔をしていたが、ミリスは嬉しそうにそれを受け取った。両手で掲げるように持って、ミリスは目を見開いた。
「軽いですね」
「そうだろう。これは焔核石でできておる。丈夫さは界要石に劣るが、その分軽い」
センリョクは誇らしげに顎鬚をつまんだ。ミリスは深々と頭をさげた。
「ありがとうございます」
「儂からのプレゼントだ」
「大事にします」
ミリスはそっと振りかえり、ウィンジーを窺った。石杖を左手に持ち替え、右手に聖樹の杖を呼ぶ。
「これ、ありがとうございました」
それをウィンジーに差しだすが、彼女はそれを受け取らなかった。
「持ってていいよ」
そう、いとも簡単にいった。両手に杖を持つミリスには判る。誂えられた宝石によって一見すると石杖のほうが絢爛に見えるが、聖樹の杖のほうが明らかに格上だ。
それに対して、驚いたのはセンリョクだった。
「おい。それはエルフの守り神だろう?」
「滅んだ守り神に拘泥する価値なんてないよ」
だが、ウィンジーは取りあわなかった。
「それに、杖も出番があって喜んでるみたいだ」
ミリスは二本の杖を見比べながら、恐る恐るといった感じでウィンジーに訊ねた。
「あの。ウィンジー様はなぜ……あの杖を使っているのですか?」
その、とミリスは口籠る。言葉にしようとしないが、誰から見てもなにをいおうとしているかは判った。
「風の藜杖のことだな」
「深い意味なんてないよ。ただ軽いから」
「でも……」
「安っぽいって思った?」
「はい」
「あまり目立ちたくないからね。安物を使ってるくらいでちょうどいいのさ」
はぐらかされた感はあったが、ウィンジーが「さてと」といいながら外ででてしまったので、それ以上は訊ねられなかった。
一瞬開いた扉から流れこむ冷気が病みあがりのミリスの躰に凍みた。躰はまだ本調子ではないようだった。




