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弔花のウィンジー  作者: 鈴木白紙
序章 出会い
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序章1

2024/04/28 加筆修正

2024/12/10 加筆修正

2025/03/22 一部誤字の修正

 ミリスが仙人に拾われてから既に三年が経過していた。小さな子供にとって、行動範囲が即ち世界である。人里から離れた八方を木々に囲われる小屋が彼女にとって世界の中心だった。突如として住む世界が変わってしまい、始めは右も左も判らなかったが、今では山の中をまるで庭のように歩けるようになり、背丈も仙人より少し高くなっていた。


 仙人というのはミリスを拾ったドワーフの愛称で、真白な毛を顔中から生やした相貌と山奥に籠る偏屈さ、そしてなによりドワーフという種による圧倒的な寿命の長さ。それらが合わさって人から仙人と呼ばれているのだ。


 けれども、これは必ずしも理解の範疇を超えた存在への畏敬の念だけを表すのではなく、人間には計り知れない圧倒的な年の功への崇拝もあった。


 なにせ人間が十世代代わるくらいは平気で生きるドワーフが近くの山奥に籠って生活しており、時折ぶらりと人里に顔を出しては困りごとを解決する。風貌も相まって、まるで御伽噺の仙人のようだ、ということらしい。


 そんな塵界から離れた仙人のような生活を送る彼が、ここ数日は落ちつかない様子だった。普段なら丸石の上に座って瞑想に耽っている時間も、なにかを探すように森の中を彷徨していた。小屋でなにやら作業をしていると思いきや、前触れもなく溜息をついて、こう口にする。


「今回は少し遅いな」


 それがもう口癖になっていた。ことあるごとに、そう呟いては麓のほうを物憂げに見つめる。なんとなく、ミリスはそれが厭だった。


 どうやら人を待っているようだ、とミリスが薄々勘づき始めたころ、不意に山小屋の扉が開いた。真黒な布に金の刺繍をあしらった外套を被った不思議な人影が挨拶もなく小屋に踏み入った。街中を歩けば誰しもが不審者と思うような風貌に加え、礼儀作法も弁えない行動にミリスは思わず机の下に身を隠した。


 ミリスが椅子の足の隙間から恐る恐る窺うと、不審者は扉を閉めているところだった。その無防備そうな背中に油断して、ミリスが眺めていると、不意に視線が交差した。ミリスが咄嗟に隣の杖に手を伸ばしかけたそのとき、奥の部屋から仙人が飛びだしてきた。その表情は方今の憂色など忘れたかのように晴れ渡っている。


 不審者は優雅な仕草で外套の頭の部分だけを脱ぎ去ると、長く尖った耳が現れた。エルフの象徴たる尖耳には鎌形の宝石が下げられている。真紅のそれは白皙と緑髪の中、まるで山中の林檎のようによく映えていた。


 彼女は項と髪の間に手を入れ、長い緑色の髪を払った。絹のように艶やかな髪が美しく靡く。それを肩から前へ流し、手櫛で毛先を梳かした。彼女は少女のようなあどけない顔立ちだったが、目に子供の無邪気さはなく、どこか達観していて、同時に神木のように穏やかだった。


 彼女は無表情のまま、平淡に呟いた。


「相変わらずの仙人面だね」


 その失礼な挨拶に、仙人は嬉しそうだった。


「相変わらず彗星のようなやつだな」


「随分と老けたね」


「風格があるじゃろう?」


「なんで、こんな不精人を崇めるのか、人間の考えることは判らないよ」


「人間は長者を崇める性質を持っておるのだ」


「それが不思議なのさ。それに、私は崇められたことなんてない」


「それは、お主が子供面だからだ」


「私はセンリョクの倍は生きているのにね」


「お主、年を数え忘れたといっていなかったか?」


「私はセンリョクの師匠が小さいころから生きているんだよ」


「人間にとっては外見も重要ということだろう」


「所詮は狭い価値観での話か」


「短い人生、別の視点を見つけることも難しかろう」


 仙人がたっぷりと蓄えた顎鬚を撫でた。絞るような仕草で掴まれた髭は、手から解放されたところからゆっくりと膨れあがる。その、まるで花が咲くような柔らかさがミリスは好きだった。


「ところで、あの物陰に隠れているのはなに?」


 不意にエルフの視線がミリスを刺した。ミリスは驚きと恐れで物陰から顔だけを出した滑稽な姿のまま固まった。仙人が小さく手招きをしているが、足が強張っているのか、なかなか歩こうとしなかった。


「ほれ、自己紹介をしなさい」


 ミリスは身を隠す先を物陰から仙人の背中に変えて、そっとエルフの顔を見あげた。均整の取れた顔立ちに水晶のような澄んだ瞳が浮かんでいる。その奥には全てを吸いこむような闇が坐しているが、それですら美しく、色を忘れたかのような肌の色も相まって、この世のものならざる雰囲気を持っていた。


「ほれ、自己紹介だよ」


 仙人がもう一度いった。


「はい。ミリスと申します」


「私はウィンジー」


 エルフは素気なく名乗った。彼女は自己紹介の間だけミリスに視線を投げかけた。そして、終わった途端に仙人を睨みつけた。先までなにも語っていなかった目に厳しさが宿っている。


「ねえ。孤児を拾うのは前回で最後だっていってなかった?」


「目の前に泣いている子供がいたら見棄てられるはずがなかろう」


「面倒も見切れないのに拾われる子も可哀そうだよ」


「本来子育てとはそういうものよ」


「全く。本当に無責任なものだ」


「無責任ではないさ。儂の目論見通り、お主は姿を現しただろう」


「それ、どういう意味?」


「そう身構えるな。なにも面倒な依頼をするわけではない」


 仙人は丸まった背筋を伸ばして、勿体ぶるように咳払いをした。


「これをお前さんの旅に同伴させてはもらえないだろうか?」


「いいの? 私は弟子を戦地に送りこんで見殺しにした魔法使いだよ」


「構わない。お主はあれを悔いておる。それでだけで十分だ」


「私が殺さなくても、大抵の魔法使いは未熟なまま死ぬんだよ」


「だから長い人生で、儂が最も頼れる人に依頼しているわけだ」


「馬鹿だね。私みたいな人でなしに大切な子供を任せるなんて」


「そうでもないさ。お主は十分に優しい」


「知らないの? 私は人間嫌いなんだよ」


「何度も聞いた話だ」


「なら……」


 仙人はウィンジーの言葉を遮った。


「死なせたくないからだ」


「死なせたくないなら祈祷師にすれば良いじゃない。ドワーフは名門でしょう」


 センリョクはその仙人面を僅かに歪ませた。それを隠すように口元を手で覆い、そのまま髭をつまんだ。口元が露になったとき、解脱した仙人の表情に戻っていた。


「儂も何度もいったぞ。これからは魔法の時代じゃ」


「確かに前も聞いたよ。初めて聞いたのは二百年前だったかな。どっちでもいいや。でも、まだ魔法の時代にはなっていない」


「だが、これからは魔法の時代だ」


「そのこれからは百年後かい?」


「いいや、間もなくだ。それに、この子は才能がある」


「老人の戯言にしか聞こえないね」


 エルフの平淡な口調に、仙人は俯いて淋しそうに笑った。


「説得は一旦諦めることにするよ」


「そのまま永久に諦めることをオススメするよ」


「お主にしては面白い冗談だな。しかし、このまま帰るわけではなかろう」


「そうだね。竜星を見るために、こんな辺鄙なところまできたんだから。この山の頂からの見る星空は絶景だからね」


「長い人生、何度見たか判らんだろうに」


「何度見てもいいものは何度見てもいいものだよ。センリョクもいくんでしょ?」


「いいや。儂はここから見ることにするよ」


 センリョクは淋しそうな微笑を浮かべ、僅かに丸まった背中を撫でた。それは言葉以上に老いを感じさせた。


「八十年前と同じようにはいかない。代わりといってはなんだが、この子を一緒につれていってくれないか?」


「山路は険しいよ」


「普段から山で暮らす子だ。その辺は問題なかろう」


「なら構わないけれど、本人の意志は?」


「ミリス、いくだろう?」


 少女は黙ったまま小さな首を縦に振った。が、それは意志の現れというよりも反射に近い行動だった。

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