丸くて甘ーい“アレ”の名前
「あー、なんか急にアレ食べたくなってきた、アレ!」
「“アレ”でなんでも通じると思うなよ?」
うちの嫁は、とにかく面倒くさがりというか、雑というか……。何でも『アレ』と言って、こっちに察してもらおうとする。
「急には名前が出てこないんだもん」
「まぁ、それも分からなくはないけどな」
「ほらっ! ゆーくんも“それ”とか言うじゃん!」
三十半ばも過ぎたのに、旦那のことを付き合ってた当時と同じ愛称で呼ぶなと言いたい。
だから、娘が小学生になっても俺のことを『ゆーくん』って呼ぶんだよ。
「嬉しいくせにぃー」
「……っ、うるさい」
嫁のにやにや顔が妙にウザい。
同僚には羨ましがられてるとか、絶対に教えられないな。
「で、“アレ”って何?」
「そうそう“アレ”! 丸くてさ、甘めの生地ってか、皮のやつ」
丸? 甘い生地? ……皮ぁ?
「よくさ、スーパーの出店みたいなとこで百円とかで焼き立てが売られてたじゃん!」
「あ! たい焼きか!」
「違うっ! 丸って言ってんじゃん」
丸いことを一瞬で忘れていた。
え、たい焼き以外に売られてたりしたか?
「クレープは違うよな?」
「違う」
「まさか、ベビーカステラ……」
「違う! “アレ”だってば! こういうやつ!」
手でジェスチャーされたのは、十センチほどの円形で、厚さは三センチほどの円柱型のもの。
「あっ! あー! そいや売ってたな!」
「ねっね! 何か急に焼き立て食べたくなってきたの」
「あー、言われたら俺も食べたくなってきた」
生地はほんのり甘くて、外側はカリッ、中はふわふわ、具は熱々の『アレ』。
中の具は邪道と言われようとも、俺はカスタード派だ。
嫁は……ん? そういえば知らないな。
「真紀、具って何派?」
「ゆーくんはカスタードでしょ? 私はね――――」
待て、何故に俺の派閥を知っているんだよ。
「悩ましいとこなんだけど、粒あん!」
「何と悩んだんだよ」
「こしあんと、とろくすん」
とろ、くすん?
「何語?」
「日本語」
「でしょうね。とろくすんって初耳なんですが……」
「白あんの豆の名前だよー」
へぇ。知らなかった。
こいつ、時々物知りだよな。
調子に乗るから、絶対に褒めないけど。
確かに久しぶりに食べたいな、などと話してはいたものの、『アレ』の名前が全く出てこない。
これが老化現象なのかとか、軽く恐怖していた時、閃きの女神降臨。
「あ! “アレ”思い出した。今川焼きだろ」
「あー、そんな感じの名前だったね」
何でそんなに反応薄いんだよ。今の流れは『あー! それそれそれー! ゆーくん流石!』とかだろうよ、ヲイ。
あぁ、そういえば、『アレ』は地方によっていろいろと呼び名があったな。
真紀んとこは、違う名前だったパターンか。
「他には、大判焼き、回転焼き、おやき、二重焼き。レアだと、ホームラン焼きとかロンドン焼きとか……いろいろあんだよなぁ」
「あー、地元は蜂来饅頭か回転饅頭なんだけど……違うの! カタカナの…………」
真紀がうんうんと唸って、机に突っ伏した。
どうやら数年前、ネットで見た名前にビビッと来て、ずっとそれで呼んでいたのに、すっかり忘れてしまったらしい。
ネットで『今川焼き 別名』で検索した名前を言うが、全部違うという。
「んあー、もう! なんだっけなぁぁぁ!」
「あるよなぁ、そういうとき――――」
「あーっ! 思い出したぁぁぁ!」
って、思い出したんかい!
ここ最近で一番の笑顔だな。
「ベイクドモチョチョ!」
「………………べ?」
ちょっと待て。ちょっと、本当に待って!
なにそれ。初耳も初耳なんだけど!?
「ベイクドモチョチョ!」
いや、そんなドヤった顔で言われても、共感とか一ミリも出来ねぇよ?
マジで何そのドヤ顔。ちょっと可愛いけど、なんかイラッとする。
「ちょっと前に流行ったじゃん!」
流行ったというから調べたら、まさかの二年前。しかも、トップに来たのは『ニコ○コ大百科』。
なに急に若者ぶってんの?
あと、だから『ベイクドモチョチョ』ってなんなの?
「食べたいよねぇ」
「え、いや、うん」
「ゆーくん、反応薄っ! 明日、買ってきてあげないよー?」
「食べたいけど……え、ベイクドモチョチョで売ってるとこあんの?」
素朴な疑問。
あれか? 俺の知らないうちに、どこかでお店まで出来て、大流行してたのか?
「冷凍食品にあんじゃん。“今川焼き”」
「…………」
そこは『今川焼き』って呼ぶんかい!
ベイクドモチョチョって呼べよぉぉ!
「食べる」
「はいはーい。カスタードなかったらあんこでいー?」
「うん」
何だこの、納得のいかなさは。
それに対して、嫁は満足そうに寝る準備を始めている。
俺たちは、真夜中のリビングで一体なにに盛り上がってたんだか……と、スンっとなった。
だが、このスンとなった『ベイクドモチョチョ』、翌日から我が家内で大流行した。
娘のクラスでも大流行した。
会社でもこそっと流行させた。
“アレ”の名前。それは『ベイクドモチョチョ』である。
―― fin ――
面白い。アホだなぁ。ほのぼのした。頑張れ旦那。
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