今日のラッキーカラーはピンクらしいのだが、私物でピンク色のものが元カノとの思い出しかない
『本日の正座占い、残念ながら最下位となってしまったのは……おうし座のあなた! 今日は忘れたい過去が、突然目の前に現れるかも! そんなおうし座のラッキーカラーは……ずばりピンク! おうし座のみんな、今日はピンクの物を身に付けて、一日を乗り切ってね!』
朝の情報番組の占いで、アナウンサーが元気良く言う。
たかが朝の占いと思うかもしれないけれど、最下位になると意外と気落ちするもので。おうし座の俺・志木英雄は、朝からナーバスな気持ちに陥っていた。
忘れたい過去が突然目の前に現れる、か。……どうしよう。思い当たる節が多すぎる。
プールの授業で海パンが行方不明になったこととか、修学旅行で班員に撒かれたこととか。……ヤバい。今思い出しただけで、泣きたくなってきた。
忘れたい過去……それは言い換えれば、黒歴史ともいえる。
思い出しただけでこれなのだ。黒歴史が目の前に現れたら、俺の精神が保つかどうかわからない。
そんな事態は、何が何でも回避しなければならない。俺の本能が、そう訴えかけている。
幸いにも朝の占いには、最悪な運勢をひっくり返す方法も示されている。――そう、ラッキーカラーだ。
今日の俺のラッキーカラーはピンク。しかし悲しいことに、俺はあまりピンク色のものを持っていない。
制服にピンク要素なんてまるでないし、筆記用具やスマホカバーも黒や青を基調としている。
辛うじてゲーム機がピンクなんだけど……そんなもの学校に持ち込んだら、没収されるしなぁ。
ピンク色且つ学校に持ち込める物を探していると、たった一つだけ、条件に該当する物があった。
机の鍵付きの引き出しを開けると、視界に飛び込んできたのはピンク色のピアス。半年前まで付き合っていた恋人との初デートの時、記念にとお揃いで買ったものだった。
元カノの鹿嶋菫とは、高校に入学してすぐ、図書室で出会った。
二人とも趣味が読書ということもあり、互いに読んだ本の感想を語り合っている内にすっかり意気投合して、気づけば好き合っていた。
デートの行き先も、ほとんどが本屋や図書館。読書に夢中で会話がないデートなんていうのもあったけど、それはそれで楽しかった。
そんな感じで一年近く順調な交際を続けて、そして……破局の時が訪れる。
別れることになった原因は、どちらか一方にあるわけじゃない。俺も菫も、大好きな読書より恋愛を優先しなければならない生き方に耐えられなかったのだ。
喧嘩別れしたわけじゃない。ただ単に、互いが互いを一番に考えられなかっただけ。
次第に俺たちの会う頻度は減っていった。
「これ、付き合っている意味なくない?」。二人とも同じことを思っていたわけだから、どちらから別れ話を持ち出したのかなんて、今更どうでも良かった。
別に、菫のことが嫌いになったわけじゃないのだ。だけど元恋人という肩書きがある為、会う度に気まずさに苛まれる。
そういった事情もあってか、俺はこのピアスを捨てられずにいた。
だけど目に見えるところに置いていたくないということで、半ば封印するようにこの引き出しの中にしまっておいたんだっけ。
菫と付き合っていた当時のことを懐かしく思いながら、ピアスを眺めていると、自宅を出なければならない時間が差し迫っていた。
ピアス以外のピンク色の物を探している猶予は、もう残っていない。……ええい、仕方ない!
最悪な一日を回避する為だ。多少の妥協は必要だろう。
俺は実に半年ぶりに、ピンク色のピアスを付けて家を出るのだった。
◇
いくらラッキーカラーを身に付けていたとしても、最悪な一日が最良の一日になるわけじゃない。
ある程度の不運は覚悟していたわけだけど……おい、神様。これは流石にないだろう。
登校するやいなや、俺は昇降口で菫とばったり出会していた。
最悪なのは、菫と会ったことじゃない。なんと菫も、俺と同じようにピンク色のピアスを付けていたことだった。……しまった。こいつもおうし座だったのを、すっかり忘れていた。
菫の方も当然俺の耳に輝くピアスに気付いたようで、「げっ」と声を上げながらあからさまに嫌そうな顔をしてきた。
「どうしてあんたがピアスなんて付けているのよ? いつもはしていなかったでしょう?」
「今朝の占いのラッキーカラーが、ピンクだったんだよ。……そういうお前こそ、何でそれを付けてきたんだよ? ピンク色の物なんて、お前なら沢山持っているだろう?」
記憶が正しければ、菫のパスケースはピンクだった筈だ。わざわざピアスを付けてくる意味はない。
「今朝の占いのラッキーアイテムが、ピアスだったのよ」
どうやら俺と菫は違う占いを見ていたようだ。その結果、二人ともピンク色のピアスを付けてくることになるなんて……嫌な偶然もあったものだ。
「ピンクなら私のシャーペンを貸してあげるから、そのピアス外しなさいよ」
「嫌だね。俺は筆記用具は慣れ親しんだ物しか使いたくないんだよ。……お前が別の色のピアスに付け替えれば済む話だろ?」
「生憎これ以外のピアスを持っていないのよ。アクセサリーを買うお金があったら、その分一冊でも多く本を買う女だって、知っているでしょう?」
知っている。
少なくとも一年半近く前から、熟知している。
俺は今、内心舌打ちしまくりだった。
朝の占いで言っていた、「忘れたい過去」。何のことかとビクついていたけど、間違いない、菫のことだ。
ていうか、ピンク色のピアスをしてきたせいでこんな状況に陥っているのだから、寧ろピンクってアンラッキーカラーなんじゃないのか?
◇
最悪の一日は、まだ始まったばかりだ。
この日の1、2時間目は家庭科の調理実習だった。くじ引きで決まった三人で班を組み、協力して料理を作る。
そんな説明を先生からされた時点で、はい、なんとなく予想していましたよ。案の定、俺は菫と同じ班になった。
もう一人の班員は、笠木爽香。彼女は菫の友人なので、俺とも接点があった。
当時はよく、恋愛相談に乗って貰ったものだ。
座席の都合上隣同士に座った俺と菫を見て、笠木は尋ねてくる。
「……復縁したの?」
『してないから!』
笠木はこのピアスが初デートの時に買った物だと知っているわけだし(初デートの翌日、菫が散々惚気ていたのを覚えている)、そりゃあ今の俺たちを見たら復縁したのではないかと勘繰ったりもするだろう。
俺も菫もそのような疑問を抱かれるとわかっていたので、即座に否定することが出来た。
「でもそのピアス、二人にとって付き合っていた頃の思い出みたいな物だよね? そんな物を揃って付けてくるなんて、復縁したとしか……」
『本当にたまたま! 偶然だから!』
「わお、息ぴったり。もう偶然じゃなくて、運命なんじゃないかな?」
『全くもって、違うから!』
「わかったわかった」と言いつつも、笠木は明らかに誤解し続けている。だってめっちゃニヤニヤしているし。
これ以上否定しても無意味だと悟ったのか、菫は調理実習の課題へと話題を変えた。
「私語はこれくらいにして、授業に集中しましょう。今回の課題は、「理想の朝食」だったわよね?」
「そうだな。取り敢えずご飯と味噌汁は決定として、あともう一品くらいおかずを作っておきたいな」
「じゃあさ、卵焼きなんてどうかな?」
「良いんじゃないか。折角だし、だし巻き卵に挑戦してみるか」
などという感じで、俺と笠木が話を進めていると、突然菫がストップをかけてきた。
「ちょっと待って。どうして理想の朝食が、ご飯と味噌汁だって決まっているのかしら?」
「なんだよ、違うのかよ?」
「違うわね。理想の朝食は、トーストとコーンスープよ」
理想の朝食という課題で起きるであろう、ご飯派パン派論争。奇しくも俺たちの班でも、起こってしまっていた。
ただでさえ同じピアスをつけてきたことで、俺と菫の仲は朝から険悪なのだ。相手の為に譲歩するなんて選択肢は、今の俺たちにはない。
笠木もそれを恐れたのだろう。すぐに俺たちの言い争いの仲裁に入った。
「もしかして、菫は毎朝パンを食べているの? 逆に志木くんはご飯を食べてきていると?」
『いいや、違うけど』
志木家の朝食は、決まってパンだ。そして鹿嶋家の朝食はご飯だと、前に菫から聞いたことがある。
「じゃあ、何で二人は自分たちが食べているのとは逆の朝食を推しているの?」
『それは……』
「もしかして、課題が「理想の朝食」だから? 理想の朝食のメニューじゃなくて、理想の朝食の風景を想像したの?」
『……』
図星だった。
理想の朝食と言われて、俺は自分の思い描く理想の朝食像を想像していた。
なぜそこで日頃食べているパンではなく、ご飯が思い浮かんだのか、そこまではわからないが。
ニヤニヤしていた笠木が一転、呆れ顔になって溜息を吐く。
そして一言、こう呟くのだった。
「もう二人で結婚したら?」
◇
不運な一日は、ギリギリまで続く。
夜11時、近所のコンビニに買い物に出かけると、菫に遭遇した。
「あんた、何しに来たのよ?」
「アイスを買いに来たんだよ」
「嘘でしょ。私も同じなんだけど……」
アイスコーナーに向かうと、これまた運悪くあまり種類が残っていなかった。
今あるのは、2本入りの棒アイスと値段の高いカップアイスだけ。懐事情と相談した結果、棒アイスを1本ずつ食べることにした。
会計を済ませてコンビニから出るなり、俺は棒アイスの片方を菫に手渡す。
代わりに彼女から、代金の半分を受け取った。
これで解散かと思ったが、菫はその場から動こうとしない。夜空を眺めながら、アイスを食べ始めた。
俺も帰るタイミングを逸して、菫に倣ってアイスを食べ始める。するといきなり彼女が話しかけてきた。
「ねぇ。私たちって、何で別れたんだっけ?」
「付き合っている意味がないって考えたからだろ? 俺もお前も、恋愛第一主義じゃないから」
「そうよね。でもさ、今になって考えてみると……付き合っている意味がないっていうのは、別れる理由にならなくない?」
「それは……確かにそうだが」
互いに恋愛が一番じゃないというのも、またある種の交際の形なのだろう。意味がなければ付き合っちゃいけないなんて規則、どこにもないのだから。それに――
「思ったんだけどさ、別に一番が一つじゃなきゃいけない決まりだって、なくないか? 一番が二つあって、その両方が大切。それじゃあダメなのか?」
「何、それ? 私とまた付き合いたいって言っているように聞こえるけど?」
「そうは言ってねぇよ。でも……あの頃の俺は、別れたいとも思っていなかった」
「理想の朝食」と言われて、どうしてご飯が思い浮かんだのか? ようやくわかった。
なし崩し的な破局だったから、俺は心のどこかでその事実に納得していなくて。未練というやつが、きっと自分でも気付かない内にあったのだろう。
俺はピンク色のピアスに触れる。
占いの結果の通り、忘れたい菫という過去が目の前に現れた。でもピンク色のピアスをしていたことで、忘れちゃいけない気持ちを思い出すことが出来た。
そう考えると、確かにピンクはラッキーカラーだったのかもしれない。
「ねぇ、またデートに行かない? そして今度も、お揃いのアクセサリーを買おうよ」
「そうだなぁ……指輪はもうちょっとしてからにするとして、ネックレスなんてどうだ?」
デザインは実際に見に行ってから考えるとして。色はもう、決まっている。
言うまでもなく、ピンク色だ。