思惑
桃花と杏子が久しぶりに談笑している時、別のファミレスでは、スーツ姿の龍彦が若い女性と会っていた。
「――えっ……と。 舞子ちゃんだったっけ?」
龍彦が、右手を後ろに回して思い出すように上を向いて、対面している女性に聞いた。
「はい! 母さんから、龍彦さんに色々教えて頂くように言われました!」
目をキラキラさせながら、龍彦に元気よく答える女性は、会澤家の家政婦である『高橋怜子』の娘『高橋舞子』である。
龍彦は目のやり場に困っていた……。
というのも、舞子の服装は、ひどく煽情的な服装であった……。
胸が殆ど見えているのではないかという、オフショルダーのシャツを着ており、着ているスカートはパンツが見えるほどの短い丈であった。
そして、なんだか唇はえらくツヤツヤしており、怜子の言っていた『就活の相談』とは程遠いような、まるでキャバクラのアルバイトの面接のような様子であった。
恐らく、ファミレスにいる客も、茶髪のスーツ姿の男と、破廉恥な服装をしている若い女性を見て、同じような事を思っていたに違いない……。
龍彦は周りの客の目を気にして、舞子の額辺りを見ている――視線を下に移すと胸が見えてしまうからだ……。
「……それで、舞子ちゃんは、その……『就活の相談』をしたいと怜子さんから聞いているんだけど……」
龍彦はそう言うと、困った様子で額に手を当てて話を続ける――。
「――そもそも、この服装じゃ、就活以前の問題だと思うよ……」
すると、舞子はテーブルに手を付き、前のめりに龍彦に顔を近づけた――。
龍彦は思わず舞子の胸に目を移す……。
舞子は悲しそうな顔をして龍彦に甘い声で囁く――。
「龍彦さん……。 私ってそんなに魅力が無いんですか……」
舞子の言葉に、龍彦は後ろに仰け反って、天井を見上げて困惑した表情を浮かべる。
「……いや……その、魅力とかそんな問題じゃなくて……」
そうして、チラっと舞子の顔を見ると、舞子は涙目になった子犬の瞳をして龍彦の顔を見つめている――。
龍彦は取り敢えず何かフォローを入れなければと思い、姿勢を正して「……コホン」と咳ばらいをした……。
「……舞子ちゃんは、凄く魅力的な女の子だよ――」
穏やかな口調で話し始める龍彦。
すると、舞子は龍彦の次の言葉を待たずして「――ホントですか!?」と言って、龍彦に抱き着こうとする――。
龍彦はその抱き着き攻撃を巧みに躱して、さらに言葉を続ける……。
「で……でもね……。 君は『就活の相談』を僕にしてきているわけだし――ちょっと、その恰好はあまりに……そう言った話をする場には不向きだよね……」
「――これじゃ、面接する人も舞子ちゃんが魅力的過ぎてさ……ドキドキしちゃって、舞子ちゃんをまともに見れないよ――」
そう言って、舞子の肩を両手でつかみ、舞子に席に戻るように促す――。
龍彦は『一応』舞子をフォローしたつもりだったが、舞子は何だか納得していない様子で、席に戻る――。
「龍彦さんが、そう言うなら明日からそのようにします……」
舞子は、少し落ち込んだ様子で俯きながら言った。
龍彦は内心(何か厄介な頼み事引き受けちゃったな……)と後悔をしつつ「そうだね! その方がきっと僕も良いアドバイスが出来ると思うよ!」と言って、舞子の額を見てニッコリと笑った。
――こうして、周りの客がジロジロと舞子を見つめる中、龍彦は『就活の心得』を一生懸命、舞子に指南していたが、10分程度で舞子が欠伸をし始めたので、龍彦は呆れ果てて適当に話を切り上げ、舞子と一緒に店を出た。
店を出ると、舞子が急に龍彦の腕を取り、龍彦の腕の胸を押し付けた……。
「龍彦さん、私なんだか疲れちゃった……」
そう言って、上目遣いに龍彦を見つめる舞子……。
龍彦は「……ははは」と苦笑いをし、にわかに額から冷や汗がにじみ出てきた。
すると、ちょうど良いタイミングで、龍彦のスマホに着信が入った。
父親の辰夫からの着信である――。
龍彦はすぐに応答し「はい、はい――」と頷き「――分かりました。 すぐ戻ります」と言って、電話を切った。
「舞子ちゃん、悪いんだけどさ――親父から電話がかかって来て『すぐ戻って来い』って言うんだ……。 舞子ちゃんのお母さんも一緒みたいだから、僕はこれから戻らないといけないんだ」
龍彦は(表向き)残念そうな顔をして、腕にしがみ付いている舞子の頭を『ポン』と叩いて、離れるように促す――。
すると、舞子は不承不承、龍彦の腕から手を離し「そうですか……寂しいです……」などと言って、またしても子犬のような眼を潤ませて、龍彦の顔を見つめた。
龍彦は「大丈夫だよ! 近いうちにまた僕が『就活の相談』に乗ってあげるからさ。 舞子ちゃんはそれまでに、僕の言ったことを実践して来てね!」と言って、舞子の手を取って、車へと案内した。
――車の中でも、舞子による龍彦への誘惑が続いていたが、龍彦は巧みな言動でこれを回避しつつ、何とか舞子を家まで送り届けた。
「――あぁ、しんど……親父から電話がかかって来て助かったよ……」
舞子を送り届けた後、龍彦は疲れた顔をしてそう呟いた……。
――昔の龍彦であれば、舞子の煽情的な格好に誘惑されて、思わず不貞を働いていたかも知れない。 しかし、今の龍彦は舞子に対して邪な考えを抱く事は全く無かった。
むしろ、舞子の振舞を苦々しく思っていたのである。
龍彦は、そもそも真面目で大人しい人間である。
ところが、真面目過ぎる人生を送って来た途中で、一気にタガが外れてしまい道を踏み外してしまった。
その踏み外した道を正しい方向へと導くべく、辰夫が手を尽くしたが力及ばなかった。
そんな龍彦が更生するきっかけが、桃花との出会いであった。
龍彦にとって、桃花の性格、容姿、声、しぐさ――全てが愛おしかった。
桃花と出会った当初は、当然桃花を狙った男たちが野犬のように群がっていた。
龍彦は、可憐な子羊を野犬から引き離す為にあらゆる手を使った。
その汚い手口は、承知の通り、桃花と杏子の心を深く傷つける事となったのだが、龍彦は『他の男に獲られるくらいなら、嫌われても傍にいて欲しい』という、通常では理解しがたい考えを持っていた……。
つまり、それほどまでに、桃花の事を愛していたのである。
自らの魂を卑劣な謀りで汚してまで桃花を手に入れようとした龍彦は、もはや、桃花以外の女性には何の興味も無かったのである。
――そんな龍彦を手練手管で誘惑しようと企図する舞子。
舞子は、龍彦に家まで送ってもらった後、母親にメールを送った。
『今日は進展なし……』
ふくれっ面で母親にメールを送った舞子は「あーあ、全く面倒くさいなぁ……」と言ってベッドの上で大の字になって寝転んだ。
――すると、舞子のスマホにメールが入ってきた。
母親からの返信かと舞子がメールを確認すると、なんと『パパ活』の依頼メールであった……。
舞子は『パパ活』などという、如何わしいアルバイトをしており、中高年の男性に現金をもらっては、デートをしたり、セックスをしたりしていた。
世間では『パパ活』などと呼んではいるが、やっていることは、もはや『売春』である……。
――そんな貞操観念が皆無の舞子は、高校時代から卑猥な悪事に手を染め始め、幾度となく中絶を繰り返してきた。
だが、こんな事を繰り返しているうちに、中絶をする費用も底を尽き、ちょうど龍彦とファミレスで会う3ヶ月前、母親に今までの悪事がバレてしまった。
その時、舞子のお腹には再び新たな命が宿っており、すでに臨月を迎えていた。
そして、舞子は母親の見守る前で、自宅にて肌の黒い赤ん坊を出産した……。
つまり、生まれた赤ん坊は、外国人とのハーフであった。
舞子がどのような経過で外国人との間の子供を妊娠したのかは割愛するが、とにかく、外国人との間で子供が出来てしまったのだ。
もちろん、子供の父親である外国人は、今何処にいるのかすら分からない……。
当然、母親である玲子は、そんな不良娘の舞子の所業を嘆き悲しみ、何とか子供を育てていく事が出来ないのか懊悩した。
だが、二人で食べていく事が精いっぱいである家庭環境では、子供を育てていく事は難しい――ましてや、まだ娘は若く、子供がいなければやり直しも効く――。
こうして、追い詰められた玲子は、子供をどうにかして『いなかった事』に出来ないのかと、人道に悖る考えを巡らせた。
そして、ついに玲子は、ある非道で恐るべき行動を取るに至った……。
――舞子が子供を出産して1週間後――
その日は、雨が降りしきる寒い夜であった――。
自室で何か手紙をしたためていた辰夫の携帯電話に突然着信が入った。
着信は、辰夫が出資している児童養護施設の職員からであった……。
何か問題でも発生したのかと慌てて応答する辰夫――。
すると、職員から信じられない言葉が飛び込んできた。
「――会長! 施設の玄関に赤ん坊が捨てられていました――!」
驚いた辰夫は慌てて車を手配して、真夜中にも拘わらず施設へと向かった――。
施設へ到着すると、恭しく職員たちが出迎えてくれた。
そんな職員に労をねぎらい、すぐに赤ん坊の許へと向かう辰夫――。
赤ん坊は、職員たちに見守られながら、タオルにくるまれてベッドでスヤスヤと眠りについていた。
「――こんな可愛い赤ん坊に、なんという仕打ちを……」
辰夫の目には涙が溜まっている――。
すると、赤ん坊は目が覚めてしまったのか、にわかに悲しそうな鳴き声を上げた。
女性職員が泣き叫ぶ赤ん坊を抱きかかえてあやす――。
「まだ、首もすわっておらず、恐らく生後間もない赤ん坊かと……それに……」
女性職員が複雑な顔をして赤ん坊に目を遣った。
すると、辰夫は女性職員が抱いている赤ん坊を支えるようにして、女性職員の腕から、自分の腕へと赤ん坊を抱き移す――。
「――『肌の色』がどうであろうと、かけがえのない命に変わりはない――」
仏のような優しい顔で赤ん坊を見つめ、ニッコリと微笑む辰夫。
赤ん坊は辰夫に抱かれて安心したのか、再びスヤスヤと眠りについた――。
「さっ、すぐに病院へ行って赤ん坊の健康に問題が無いか検査しよう――!」
辰夫はそう言って、2人の職員と共に『東都大学付属病院』へと向かった――。
――
――高橋家から響き渡っていた赤ん坊の泣き声は、朝の訪れと共に止んだ雨のように、ピッタリと止まった……。
近所の人は不審に思い、玲子に赤ん坊をどうしたのか聞くと、玲子は「親戚に預けた」と言って、複雑な笑顔を浮かべるだけであった……。
こうして、首尾よく赤ん坊を『いなかった事』とした玲子は、舞子の今までの悪行を叱りつけ、何とか舞子を更生させようとした。
ところが、玲子が幾ら頑張っても、相変わらず舞子は不特定多数の男を作っては乱痴気騒ぎをする――親の心子知らずとはまさにこの事である……。
玲子は、舞子の破天荒な性格に、ほとほと困り果てていた。
舞子の性根をもはや更生すべからざると感じた玲子は、この際、舞子の器量の良さを利用して、自分たちが一生食べていけるような資産家の男を騙し、舞子と結婚させようと考えた。
よしんば、舞子の浮気癖によってその資産家と離婚したとしても、たんまりと慰謝料をせしめる事が出来るだろう……。
とはいえ、そんな『都合の良い』金持ちの男など何処にいるのか――。
玲子の思いつく男は、龍彦ただ一人であった。
だが、龍彦は桃花という嫁がおり、桃花に惚れ込んでいるので、引き離す事は容易ではない……。
ところが、玲子には切り札があった。
玲子は、龍彦の母親である芳江の『ある秘密』を握っていたのであった。
玲子の頼みであれば、芳江はその秘密の暴露を恐れ、玲子に協力してくれるであろう。
しかも、芳江自身も桃花に良い感情を持っていない……。
こうして、玲子は芳江に娘の事を相談し、何とか龍彦と桃花の仲を引き裂こうと画策した。
だが、芳江としては、愛する息子をそんな堕落しきった舞子のような娘と結婚させたくはなかった。
とはいえ、玲子の握っている芳江の『秘密』は、絶対に他者へ漏洩する事は許されない……。
また、舞子は何の因果か子宝に恵まれやすく、龍彦の跡継ぎが何としてでも欲しい芳江にとって、そのただ1点だけは都合が良かった……。
(まあ、子供を産ませて、とっとと離婚させてしまえば良いか……)
こうして、芳江と玲子のさもしい利害が一致し、龍彦と桃花を離婚させようと、お互い協力して桃花を貶めようとしたのであった――。
――
――龍彦が舞子を自宅へ送り届け、辰夫の指示で帰宅を急いでいる時、桃花も辰夫から呼び出しがあり、杏子の車で会澤邸へと帰宅していた。
杏子はまだ運転免許を取得したばかりなので、運転は桃花がして杏子は助手席で幸せそうに眠っていた……。
ところで、芳江はというと……芳江も会澤邸にはおらず『自己啓発セミナー』に行くと辰夫に告げて家を空けていたのであった。
――高速道路のインター近くにある田園地帯にポツンと立つ1棟のホテル。
駐車場にはいくつもの軽自動車の他に、ドイツ製の高級車が止まっている……。
その高級車の主は、このホテルの3階――301号室で妙齢の女性を連れて休憩をしていた。
ホテルの301号室では、立派な髭を蓄えた紳士が、鏡に向かってフサフサな黒髪をブラシでとかしていた。
鏡に映る紳士の後ろには立派な『回転ベッド』が鎮座しており、そのベッドの上には妙齢の婦人が裸で羽毛布団にくるまって恍惚な表情を浮かべ、紳士の背中を見つめている――。
すると、紳士が髪をとかしながら、後ろで横になっている、肌も露わな婦人に背中から声を掛けた。
「――ところで、芳江。 『あの男』の病状は、まだ分からないのか?」
ベッドに寝ている婦人は、なんと芳江であった……。
芳江は『自己啓発セミナー』へ行くと言っておきながら、男と逢瀬を楽しんでいたのであった。
「……まだ、分からないわ。 あの『兵頭』とかいうヤブ医者が、妻である私ですら『アイツ』の病状を教えてくれないんですもの……」
芳江はベッドから起き上がり、一糸まとわぬ姿で紳士の背中へと近づき、後ろから紳士を抱きしめる――。
「雄二さん、心配しなくても『探偵』を使って『アイツ』の遺書を手に入れるから――」
芳江がそう言うと、『雄二』という紳士が振り向き、二人は口づけを交わした……。
――暫く、二人は唇を求めあう――
そして、芳江は恍惚な表情を浮かべながら、雄二に囁く――。
「――何もあんなヤブ医者から病状を聞かなくても『アイツ』が末期ガンである事は間違いないはず……。 そうなると『アイツ』は必ず遺書を作っているに違いない……」
「――なんとか、その遺書を見つけ出して、私と龍彦に全財産を移すように遺書を作り替えるわ……」
芳江はそう言って、甘えるように雄二の胸に顔を埋める――雄二は芳江の頭を撫で、微笑んだ。
「――遺書が早く見つかるといいな。 しかし、龍彦君の嫁はどうするつもりなんだ?」
雄二の言葉に、芳江は顔を上げる――。
芳江の顔は、先ほどまでの恍惚とした表情とは打って変わって、いつもの蜘蛛女の恐ろしい顔へと変貌していた……。
「――ふん! あの小娘は龍彦の跡継ぎも産めないような『穀つぶし』だから『アイツ』が死んだら、とっとと追い出してやるわ!」
すると、雄二は意地悪い笑顔を浮かべて、芳江に恐ろしい提案をする――。
「追い出すのは良くないよ……。 その役立たずの小娘は、少しでも俺たちの役に立つように自殺でもしてもらって、保険金を回収しないと……」
悪魔のような提案を平然と言う雄二。
その言葉にニヤニヤしながら、黙って頷いている芳江も、まるで悪魔に魂を売ってしまった魔女のような顔つきになっていた。
だが、雄二と芳江は、ある重大な事実を知らなかった。
――桃花が龍彦と交わした『約束』があるという事実を――。
その『約束』が有効である限り、龍彦が桃花と離婚しようが、桃花が自殺しようが、会澤家は、一生藤川家の面倒を見なければならないのである……。
さて、桃花と龍彦がそんな約束を交わしていたとも知らずに、雄二と芳江はその歪んだ欲望をむき出しにして、再びベッドへと向かい、激しく抱き合った――。
二人共サカリついた獣の様相である……。
――すると、芳江のスマホに辰夫から着信が入った。
「チッ、ジジイからだわ‥…」
快楽の海に溺れていた芳江は、辰夫からの着信によって無理に引き上げられ、憤懣やるかたない様子だ。
芳江が雄二に抱かれながら、辰夫からの着信に応答する――。
「もしもし――」
「はい――今、セミナーの最中であまり大声は出せませんが――」
「――えっ!? これから、ですか!? ‥‥…わかりました」
芳江は、そう言って電話を切り、スマホを睨みつけた。
「……雄二さん、ごめんなさいね。 あの『クソジジイ』から家に帰るように言われちゃって……」
そう言って悄然とする芳江を、雄二はそっと抱きしめた――そして、二人はまた口づけを交わす――。
「まあ、もうそろそろ『くたばる』んだし、そんな邪険にしないで、最後くらいは言う事聞いてあげなさい――」
雄二が狡猾で意地汚い笑顔を浮かべてそう言うと、芳江は、ニヤニヤと笑みを浮かべて頷いた。
「――そうね。 暫く逢えなくなるのは寂しいけど、雄二さんがそういうなら『ボランティア』だと思って頑張るわ……」
――こうして、ホテルを後にした二人――
雄二が運転する車は会澤邸の近くまで来ると、コインパーキングへと立ち寄った――すると、芳江が助手席から降りてきて、パーキングに止めてあった車へと乗り換えた。
芳江がクラクションを鳴らし『さよなら』の合図をして、パーキングから走り去る――その様子を見て、雄二もパーキングからおもむろに出て、芳江とは逆方向へと走り去っていった――。




