悲鳴が歌う地獄の挽歌
前回のあらすじ
異教狩り登場
吹雪の中、首と右腕の無い死体が雪に血の跡を広げている。その断面は粗い。すぐ傍ではマルセロが目を見開きながら、彼を見下ろすそれを見ていた。
──死神が如き、黒い異形の姿を。
「お前、一体どこから……!」
カジミールの問いに答えることなく、それは大鎌を振り上げた。標的は、眼前で己を見つめる男。
次の瞬間、硬直したマルセロの身体はカジミールの手に引っ張られた。強く引かれ、雪の中に倒れこむと同時に、先ほど彼がいた場所へ刃が突き立てられた。
錆びと刃こぼれが目立つ大鎌には、首を刈った鮮血だけが赤く光っている。
「す、すまねえ」
「謝罪は後だ! 今すぐ離脱を……!?」
彼ら視線を戻すと、大鎌を携えたそれは消えていた。
「あ、あの野郎、どこに!?」
その時、彼らの背後から男の悲鳴とどよめきが聞こえた。
「本隊の方角!? 馬鹿な、どうやって!?」
「とにかく行くぞ!」
深い雪に足を取られつつ、彼らは歩を進める。
本隊に追いついた彼らの目に、おぞましい光景が飛び込んだ。黒襤褸の下から伸びる無数の腕。その全てが腐敗し、ところどころ白骨が覗いている。
腕の先には、一人の傭兵が全身を掴まれている。
「離せ、離せよぉ!」
掴まれた傭兵は力の限り叫ぶ。表情は強張り、瞳孔は大きく開いている。しかし、指の一つ動かせていない。
異形は何も言わず、叫ぶ彼を──大鎌の刃に押し付けた。
「ぎっ、ぐああああ!!」
周囲の傭兵たちから血の気が引く。正中線上に刃を押し付けられ、傭兵は激痛に悶えている。
しかし、斬れない。斬れるはずがない。首と違い、頭蓋や脊椎、股関節といった骨が邪魔をする。たとえ磨かれた刃であろうと、強引に押し付けて両断できるはずはない。ましてその鎌の刃は使い物にならない。
だが、異形は更に腕の数を増やし、傭兵を両断しようとした。
「があああっ! 痛い、痛い! 誰か、助け──」
襤褸の下から更に腕が伸びる。メキメキと骨の砕ける音と傭兵の絶叫が響き、その体は無残にも斬り潰された。赤い血が周囲にばらまかれ、襤褸の一部が赤く染まる。傭兵の体は潰れたトマトのような姿で二つに分かれていた。
その二つの体を、異形は黒襤褸の下に取り込んだ。
「な、なんだよアレ……」
異形を見る傭兵たちは、何も言わない。いや、言えない。それどころか、経験の無い何かを目の前にし、ガチガチと歯を震わせている。その場にへたり込む者さえいた。
恐怖しているのだ。戦場に立ち、死の恐怖をともにしてきた彼らは、戦場と違う異質な恐怖を感じているのだろう。事実、眼前で仲間を殺された彼らは動けずにいた。
「お前たち! 何をしている!」
その時、ハイネスの怒号が響き渡った。
「形はどうであれこいつは敵だ! 殺さなければ俺たちはここで終わる!」
傭兵たちは数瞬ほど困惑した。だが、自分たちに迫る危機を眼前にした彼らはすぐさま剣や槍を構えた。
素早く槍を構えた一人の傭兵が、勇ましく突きを放つ。異形は一切の回避行動を取らず、その突きを受けた。
しかし、異形は一切の反応を見せなかった。呻きもせず、それどころか血の一滴さえ流れない。ただし、突き刺されたことは認識したらしい。異形はゆったりと、突いた傭兵の方へ顔を向けた。
「ひぃっ」
傭兵が恐怖で槍を手放す。それと同時に、鎌の刃先が彼の顔を斬りつけた。
怯み、傭兵は顔を押さえる。その頭を一つの腕が雪の中に押し倒した。黒襤褸から出た異形の腕である。
倒れこんだ傭兵に対し、異形は鎌を振り下ろした。一度では息があったためか、異形は何度も、何度も振り下ろす。そこには何の感情も感じられない。殺し、取り込むことを目的とした機械のように、無機質な刃を振るう。
そうして息絶えた傭兵は鎌で寄せられ、黒襤褸の中へ取りこまれた。
「な、なんなんだよアレ……俺たちは何と戦ってるんだよ!?」
「ウェスレーってただの田舎のはずだろ!? なんであんな化け物がいるんだよ!?」
眼前の事象に対し、パニックが広がる。背を向け逃走を図る者もいた。だが、雪に足を取られ思うように動けない。
ところが、そこで奇怪なことが起きた。異形が地面の中へ消えたのだ。
「なっ!?」
驚く傭兵たち。異形がいた場所には雪が消え、穴が一つ空いているだけだ。
「おいカジミール、どうなってんだ!?」
「一瞬で消えてこっちに来た。だが僕たちの前を通ってない……まさか!?」
彼が何かを察すると同時に、東から悲鳴が聞こえた。見るとそこには、逃げようとした傭兵たちの鼻先に異形が立ちはだかっていた。
「やっぱり──地面を潜行していたのか!」
異形は無数の手を伸ばし、傭兵たちを捕らえた。そしてそのまま地面の下へ消えた。10秒にも満たない出来事の後、今度は西南方向から悲鳴が上がる。その手に先ほどまで捕らえていた傭兵の姿は無い。
「ぜ、全員集合しろ! 散開するとマズい!」
ハイネスの指示を聞いた傭兵たちは、必死に彼の元へ集った。雪の中を這いながら行く者さえいた。その間にも悲鳴が様々な方向から聞こえる。
もはや彼らも理解しただろう。自分たちが地獄の門へ踏み入ったことに。